「戦後日本の貧しさからの脱却」しとやかな獣 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
戦後日本の貧しさからの脱却
オープニングの長回しのショット。ベランダ越しの団地の一室が能舞台として提示される。不思議なもので、BGMに能の音が使われいるときは、部屋の中を忙しく動き回る夫婦の手足が能の所作を演じているようにさえ見えるのだが、音声が管弦楽に代わると、彼らの動きが途端に映画的な動きになったようにみえてくるのだ。
映画は、この能舞台に入れ替わり立ち代わり登場する人物たちの虚々実々の会話によって進んでいく。
若尾文子が、最初に出てくるときは、ほとんどが背中しか映らず、セリフもほとんどない。しかし、ほどなく玄関扉ののぞき窓にその愛らしい笑顔を覗かせたかと思うと、この騒動の一番の受益者であり、彼女の色仕掛けで周りの男どもが踊っていたことが明るみになる。次々と暴露される男との関係とそれで得た金。しかし、若尾は動じることもなくその男たちに関係の清算を通告する。
その若尾の、肝の据わった切れ者ぶりに、振り回された男どもだけでなく、若尾に息子を翻弄された親も感心すらする始末である。しかし、ここで若尾以上に強かなのは、山岡久乃演じる母親のほうであろう。勝ち目なしと判断した以上は、無駄な憎悪をたぎらせることすらしないで、ひたすら若尾を賞賛する。息子の悪事を叱らないどころか、それを手玉に取って金をせしめる女を褒め、そのくせ自分の娘には愛人稼業をさせる。そして、娘を叱るのは、せいぜいが、あけすけな性的な物言いくらいなものなのである。
娘の愛人に金の無心をするような、身も蓋もない一家にとってのモラルとは一体どんなものなのか。それがこの映画に出てくる両親の姿であろう。父親の「あんな貧乏には二度と戻りたくない。」という言葉。このセリフのシーンは、周囲の雑音が消えて、セリフのみが響き渡る。これこそが、戦後日本のほとんど唯一のモラルのようなものである。
この狭い団地の一部屋をカメラは前後上下の4つの方向からとらえている。ただ空間的にこの一家が晒し者にされているだけはなく、戦後日本の核家族の中にある歴史性や文化的な断絶が描かれている。