静かな生活のレビュー・感想・評価
全7件を表示
ひどいおっさん
...............................................................................................................................................
知的障害者の兄の面倒をよく見る主人公の女の子がいた。
ある日、兄に水泳を習わせる事になり、尽力してくれるコーチを見つけた。
しかしそいつは最低な奴だった。
かつて男2人女1人でクルージングに行き、女に告白するも抵抗され殺す。
もう一人の男がそれを死姦しようとしたが、詳細は不明やながら死亡した。
警察に捜査されたが、証拠不十分でコーチは無罪となった。
主人公の父はそれを知っていたので、人のいない所で会わないよう指示。
が、強引にマンションに招待されて兄と共に行ったところで予想通り豹変。
兄が助けてくれて事無きを得たのでした。
...............................................................................................................................................
障害者の役を渡部がうまく演じており、
心の綺麗な愛すべき人物として描かれていたと思う。
主人公役の女の子もとても清潔感があって良かった。
しかしコーチの最低さがすごかった。
ってか、コイツはろくな奴ちゃうなとは思ってたけどね。
まあ演じてる俳優がそういう人だからだろう、多分(場)
でも何を訴えたかったのかはわからなかった。
主人公とコーチが兄を通じて出会ったって事以外、
障害者の存在はあらすじにそれほど関係しないしね。
良かった
・主演の佐伯日菜子がとても可愛かった。
・家がとても大きくて羨ましい生活に見えた。
・大江健三郎役の山崎努が小説?行き詰っている最中、庭の排水?のつまりを直せなかったことに対しての落ち込みようが凄くて、とても笑えた。しかし、それが原因で首吊りをしようと思い悩み、そして渡航することになったので、人それぞれの傷つく事は違うというのを改めて感じた。首吊りの試しに鞄に本を詰めて、ロープでつるしてくるくる回しているのを見て、少し余裕があるように見えて何だか笑えた。
・自宅に水?の入った瓶を門柱に置いていってるおっさんが割とえぐい少女への性犯罪をしていて引いた。身近にあんな人いたらたまらない。逮捕されて良かった。
・水泳の講師として現れた今井雅之が思った以上に悪い人でびっくりした。その人を題材にした小説の映像の部分が面白かった。割とそっちもえぐい話だったので、読みたくなった。
伊丹映画の新境地
それまでの伊丹映画は個性的な面々が所狭しと暴れ回る映画って言う印象だったが、この作品に関しては身近な人(伊丹監督の妹が大江健三郎の奥様)の原作であったこともあってか、家族の優しさと穏やかさ、暖かさに包まれた素敵な映画でした。
ただ後半に行くにつけて、不穏な展開になっていく。しかしそれは今までの伊丹映画のようなハンマーで叩き割る展開ではなく、カミソリで知らない内に切れてしまってるようなさりげなくも現実的な問題として家族の前に現れてしまう。パパの鬱、イーヨへの差別、マーちゃんの世間知らずさが起こしてしまうトラブルなど。
それでもそれをしっかり乗り越える明るい家族は穏やかな日本人の普通の家族を思い起こさせる。
あとはイーヨのモデルになった大江光さんの音楽は素敵の一言。間違いなく映画の格調を高めてました。
監督は伊丹十三。原作は大江健三郎。
ホームドラマ的お洒落に始まって、のほほんと観ていたら、
大変な火傷をしちゃったみたいな映画でした。
おまけに大江健三郎の家族(一家)をかなり連想させる私小説的映画。
有名作家のパパ。
専業主婦のママ。
長女で大学生のマーちゃん。
長男でちょっとだけ障がいのあるイーヨ。
浪人生の次男のオーちゃん。
そこに虚構の小説が映像として挿入されています。
この作中小説のシーン。
後半に持ってくるのですが、強烈すぎて、違和感あり。
無い方が良かったと思います。
長男のイーヨ(渡辺篤郎)と、
長女でイーヨの姉のマーちゃん(佐伯日奈子)が主役。
作家のパパとママが8ヶ月の予定でオーストラリアに研修や講義などする
仕事と静養を兼ねて家を留守にします。
その留守中の「静かな・・・」とは言い難いマーちゃんにとっては
過酷な日常を、一見暖かい筆致で描くと見せかけて、
マーちゃんはとんでもない経験をすることになります。
イーヨのなんとも不器用でほのぼのした姿に、助けられてこの風変わりな映画
は独特の風味を醸し出す。
一見ハートウォーミングみたいだけど、とんでもない毒味のてんこ盛りで
ございます。
不穏分子の新井くん(今井雅之)
彼はイーヨの水泳コーチとして力を発揮。
イーヨは20メートル泳ぎ切るほどの上達をみせる。
マーちゃんも感激して新井くんを信頼する。
ところが彼はとんでもない前歴の持ち主で、
なんと保険金殺人事件で無罪放免された曰く付きの人物だった。
そしてマーちゃんを毒牙にかけようとする。
ここで新井くんがパパの小説のモデルだったことも判明する。
このモデルとなった小説が、
実録映画のように挿入されている。
原作ではどういう構成なのか不明なので、困るのですが、
新井くんは高校生です。(別の俳優が演じている)
高校生の新井くんは好きな女子生徒がいて、通学路で待ち伏せして、
花を渡す。そしたら女子生徒は怯えて逃げる→追う→逃げる→
なんと新井くんは女子生徒を押し倒して殺してしまいます。
このシーンがエグい。
AV女優が演じていて、更に闖入者が現れて、
エグさはエスカレートする。
ここが毒テンコ盛りのシーン。
そして現実に戻りマーちゃんはイーヨと新井くんのマンションに
半ば強制的に誘われて暴行されそうになる。
イーヨはなんと新井くんに反撃を仕掛けるのです。
マーちゃんの献身的な弟思い。
時々てんかんの発作まで起こすイーヨ。
マーちゃんは実に健気にイーヨをサポートします。
佐伯日奈子も渡辺篤郎も凄い演技。
佐伯日奈子は個性的でコケティッシュで魅力的です。
独特の個性と美しさ。
渡辺篤郎の障がい者演技も、研究し尽くした精巧なもの。
犯罪者?
今井雅之は一見して普通なのにその不穏さはリアルで、
こういうストーカーに狙われたら逃げ道はない。
リアル怖い。
斯くしてホームドラマは、異様な盛り上がりを見せるのでした。
伊丹十三。
流石というべきか?
毒盛り過ぎというべきか!
だからあなたは鬼才!!
原作もかなりシュールなものらしい。
ノーベル賞作家。
俗人には計り知れない。
物の見方を他感している
大江健三郎氏が亡くなったので、あるアメリカの大学のハリー・クラウスラーのインタビューを聞いた。そのインタビューで大江健三郎はどう自分の生活・困難を克服していったかについて答えた。このインタビューはそれだけでなく、日本のノーベル賞をもらった小説家である彼の見解は日本文化の中で文化を見つめるのではなく文化の枠組みの外のそばに立ってみるらしい。具体的に数多くの作品を読んでいないが、この意味が映画「静かな生活」にも
現れていると思う。たとえば、家族の問題点も問題点として立ち向かってみるより、一歩離れた家族の枠の外側から観察しているようである。
それに、監督伊丹十三は大江健三郎の友達であるし、大江健三郎は伊丹十三の妹と結婚している。監督伊丹十三はこの映画の中で団藤(岡村喬生)のように友達のけい(パパー山崎努)のなんでも知っている無二の親友に思える。
映画の冒頭の方はまるで彼の生活と同じようだった。特に、身障者の息子が言葉を覚えるまでの道のりは大江健三郎がハリー・クラウスラーに話しているのと同じだった。
ハリー・クラウスラーとの会話で、大江健三郎は第2次大戦中9歳ごろ、母親が、1KGの米を人形とハックルベリーフィンに交換してきた話をした。亡き父親が母親にベストの小説だと言ったアメリカのマーク・トエインの文学だった。
映画に戻るが、なんでもありの世界だが、現実は多様的でない。それをどう生きていくか娘まーちゃんの(佐伯日菜子)生き方とイーヨーと家族を中心に描いていく。それにパパの友達、団藤さん(岡村喬生)からの影響は多大だ。
人間は気高く、純粋に生きていいるように見えても、父親が精神的に不安定になる時もあるし、精神障害を抱えた、兄弟を持つ時もある。ましてや、まーちゃんの兄のように精神障害で思春期を迎えている時、性の反応について、家族はどう受け止めるか。人生において、誘惑もあり、信頼していた男に暴行を加えられそうになってしまうこともある。でも、傷ついても人生はそれで終わりじゃないよ。徐々に「静かな生活」を取り戻したけど、まだまだ、人生には険しい道がある。それをどう生きていくかはあなた次第だと。
家族のサポートで生きられるならそれが一番いいね。まーちゃんはサポートを家族から、団藤さんからも受けている。幸いだ。親は子より早く死ぬから、兄弟が助け合って生きられるのが大事と考えているのではないか。そして、息子を障害者としてでなく健常者として接していこうとしているのがこの映画のテーマのようにも思える。これは大江健三郎の人生の哲学で、それがよく描かれている作品。『書くことと生きることが一つ』パパ(けい)の友達の団藤さんが言っているが、これは大江健三郎のこと。『小説の中で答えが見つかれば、人生の中で答えが見つかる』それが、お父さんの小説家としての生き方だと、団藤(岡村喬生)さんはいう。魂のことのために全てを捨てることができるだろうか?これがパパ(けい)の問題。子供の頃、セント・フランシスの話を水車小屋で読んで、『人を助けるためにはなんでも捨てる』親も兄弟も友達もと覚悟したようだ。まーちゃんの夢の意味、両親の芝居を見にいって、粗末な扱いをされる。親が亡くなった場合、どうなっていくのか?孤児になってしまうのではないか。パパのお兄さんの葬儀でみんなが考えている。
これが、イーヨーの捨て子を助けることに結びついている。(捨て子という作曲のタイトル。)
団藤さんのワルシャワでの『政府に物申す』の動きは同じ人間なのに政府高官が優先される。それも、社会主義の国なのに。おかしいという問題意識。
パパは自分は特別な人間じゃなく、なんでもない人として生きていくと。なんでもなければ、ゼロにかえって死ぬのは容易いと。何気なく死んでいくのだと。何か、宮沢賢治の雨ニモマケズのようだ。
団藤さんの伴侶(宮本信子)はポーランドの作家に対する弾圧に抗議をするビラを配る。問題点は声に出して叫べと。こういう思想を伝授し、まーちゃんたちも一体となってビラを配る。静かな生活をしながら、立ち上がるところは立ち上がるという草の根運動家だ。
まーちゃんの家族を通しての生き方だが、話題が盛りだくさんすぎて、ちょっと整理がつかないように思えるが、これが人生だとして受け止めて歩んでいる。
佐伯日菜子
えらい様子がガラリと変わるのでビックリしました。前半はたるかった。
佐伯日菜子天使みたいに可愛い、というわけではなく、ただ特徴のある顔だなあと思う。しかし佐伯日菜子を認識していない無名?だった当時にみたら、ユニークな人が出てきたなと、ずいぶん見方が変わったのかな。
今井雅之、きちんと気配が怖くていいですね。この俳優はゴルゴ皺がいい。
陰気やオタクの殺人鬼ではない、村上龍の昔の小説に出てきそうなナチュラルに女性蔑視のキャラクターが持つ、殺しの雰囲気が漂ってました。
大江健三郎この映画のこと、どう思っていたのかまったく情報を見聞きしたことがないですね。
全7件を表示