四十七人の刺客のレビュー・感想・評価
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【”新解釈忠臣蔵”今作は、度々劇映画化、ドラマ化されて来た”赤穂浪士=善、吉良上野介=悪”という通説を翻し、大石蔵之介の人柄及び謀略と、幕府側の柳沢柳沢吉保の謀略に焦点を当てた作品である。】
□最初に
私の住む隣の市である愛知県西尾市には吉良町がある。且つて吉良上野介の領地の大部分があった広い町である。(かつては、独立した町であったが、平成の大合併により西尾市にな併合された。)
この町に行くと、吉良上野介は民を想い数々の善政を行った名君とされている。
実際に吉良上野介が水害を防ぐために作った黄金堤は今でもあり、桜の名所として吉良町民に愛されているし、私も昔その脇を車で良く走ったものである。
■粗筋は人口に膾炙していると思われるので割愛。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では,松の廊下の刃傷シーンは描かれないし、何故に赤穂城主・浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった理由も明かされない。
大石蔵之介に追い詰められた吉良が“待て!あれは・・。”と真実を言おうとするも、大石は”問答無用”と言い、吉良の首を取るのである。
・故に、泉岳寺に向かい首級を上げた赤穂浪士が歩くシーンも描かれない。
■面白いのは、昼行燈と言われていた大石蔵之介が、有事の際には機敏に策略を巡らせ、町民に賄賂を贈り、赤穂浪士=善、吉良上野介=悪という噂を流したという描写や、それに対し、柳沢吉保(石坂浩二)、の命により上杉家の家臣である色部又四郎(中井貴一)と対峙する謀略戦の描き方であろう。
確かに喧嘩両成敗ではないか、と言う赤穂側の意見は分かるが、吉良側の意見は描かれずに、両藩の対立を幕府の安寧に利用しようとした石坂浩二演じる柳沢吉保の、一癖も二癖もある顔付が印象的である。
・物語としては、大石が囲った妾かる(宮沢りえ)の姿も、彩りを添えている所が、映画としては上手い作りかも知れない。
<今作は、度々劇映画されて来た赤穂浪士=善、吉良上野介=悪という通説を良しとせずに、大石蔵之介の人柄に焦点を当てた作品なのである。>
■それにしても、年末に「赤穂浪士」を放映するTVは無くなりましたね。時代でしょうか・・。
討つではなく殺す!白雪を赤く染める暗殺集団!
年末と言えばこれ!って感じで、お馴染みの「忠臣蔵」。実際に起きた赤穂浪士の敵討ちの話ではあるが、江戸時代に舞台化されたものが広く知られ、現代に伝えられたと聞いている。
そんな中で、本作は従来の忠臣蔵とは異なり、最も史実に基づいたものとして、当時騒がれたと記憶している。
大石内蔵助を高倉健さんが演じ、メチャクチャ渋く魅せてくれる。
作品自体もドキュメンタリーのように淡々と進んていき、四十七士の衣装にしても、従来の有名な格好ではなく、まるで忍者のような黒装束となっている。陣太鼓も無い。
討ち入りの状況や吉良の最期にしても、従来のチャンバラとは違って見えた。
忠臣蔵は敵討ちの話なので、男の物語というイメージも強いが、本作では女優陣もなかなか豪華だと思う。浅丘さんや宮沢さんが華を添えている。
テレビで放映されていた勧善懲悪の単純な時代劇とは異なり、リアルに描かれた時代劇として面白かった。
謀略戦争・忠臣蔵
ひかりTVビデオで鑑賞。
原作は未読。
世にも有名な忠臣蔵を日本人の大好きな仇討ちの忠義物語ではなく、謀略・情報戦争と云う異色の観点から描き出す。大石内蔵助と色部安長の知略の限りを尽くした攻防戦は、それぞれの正義と威信をかけた人間的迫力に満ちていた。とにかく演技陣の重厚感が凄まじい。ここ10年くらいの日本映画にはこれほどの風格を備えた作品は無い気がする。
市川崑監督作品ならではの映像美に切り取られた四季の風景と共に、大石内蔵助とかるの恋や機会を虎視眈々と狙う赤穂浪士の姿が画面に映えに映えまくり、クライマックスの黒と白のコントラストが素晴らしい討ち入りシーンの美しさに心奪われた。
[鑑賞記録]
2022/07/21:ひかりTVビデオ
2025/10/24:WOWOWプラス
*修正(2025/10/26)
重厚さに欠ける
大物揃い
昭和を代表する名優、高倉健を筆頭に、大物がたくさん出る。今は大物と言える中井貴一は、まだ若造である。岩城滉一も宇崎竜堂も若い! そして菊之助になる前の、丑之助が麗しい! 女優では、宮沢りえの内から輝くような美しさには、息を飲む。本当〜にきれいだなぁ。ふっくらして健やかな明るい美。
赤穂浪士を助けた市井の人たち、やっぱりけっこういたんだね。塩の買い取り、鎖かたびらの細かい注文、など、なかなか現実的だった。おにぎりの差し入れは、マジなの? まさに戦場でござる。
刃傷の理由が不明なまま、ってのが逆にいいかも。当時も本当のところ、わからなかったかもしれない。後世にいろいろ加えられ、真実なんて、今や追求は不可能。でも、日本人のDNAにはもう、忠臣蔵は組み込まれていると思う。
BS日テレ特選時代劇の放送で。
浅野内匠頭がなぜ吉良上野介への刃傷に及んだのか。 その理由が最後ま...
バブル崩壊という訳の分からない理不尽なもの それへの討ち入りだったのです
映画とは不思議なものです
その時にはその作品の意味や意義が理解できないまま観てしてまうことが多いものです
何年も時が経って、振り返ってみるとあの時にあの作品が撮られたのは、それは必然だったのか!
あの時にあの俳優があの役で出演したことが、そんな意味を持つなんて!
そんなふうに驚くことがままあるようです
演じた俳優達にも、製作した監督やスタッフにさえ、その時には少しも思わなかった意味や意義が生まれてくることもあるのだと思います
本作もその様な作品かと思います
本作の公開は1994年10月です
その年は一体どんな年であったのでしょうか?
バブル景気が終わり、遂にバブル崩壊に本格的に突入していく、そのとば口に日本が立った年です
そして宮沢りえはどうだったのでしょうか?
彼女は1991年にヘアヌード写真集を出して爆発的な売れ行きを示し、1992年11月に貴花田と婚約して、人気も女性としての幸せも両方の絶頂にあったことを私達は知っています
ところが翌年1月には彼女の運命を劇的に変えてしまう婚約解消会見に至ってしまったことも
さらに本作公開の1ヵ月まえの1994年9月、荒んでしまったのか彼女は不倫の果てに、とうとう自殺未遂事件を起こすのです
本作の翌年の1995年、心身を病み異常な程に劇痩せして世間を心配させ、遂には1996年にはアメリカサンディエゴへ移住してしまい、一時は芸能界からも身を引いてしまうのです
21世紀の私達は彼女のこの運命を知って本作を観ています
バブル崩壊と宮沢りえ
この二つを振り返って本作を観て下さい
すると本作が違う意味を持っていたことに気づかされるのです
表面的には、本作は変化球の赤穂浪士に過ぎません
新解釈の赤穂浪士達の姿、時制を大胆に動かす構成の目新しさにしか目が行きません
手垢にまみれた赤穂浪士の物語に斬新さを求めただけの作品としか見えないと思います
それならば色々と残念な出来の作品だとなるのは当然だと思います
しかし本作公開から28年も年月が経ち、その年がどんな年であったのか、宮沢りえとはどんな女性であったのかを振り返って本作の意味を考えてみると、見えてくるものがあるのです
本作の大きな特徴は、赤穂浪士の討ち入りへのモチベーションを、主君への忠義ではなく、自らの侍としてのプライドに求めて入るところにあります
バブル崩壊はリストラの嵐が容赦なく吹き荒れました
どんな大企業も、超一流と言われる銀行まで
会社人間と揶揄されて、会社を家族のように思っていた日本人に、リストラは暴風雨のように襲いかかって、会社への忠誠心を揺るがせ、次第に喪わさせていったのです
赤穂藩の廃絶は、まるで地方の中堅優良企業が社長の財テク失敗で突然倒産したようなものです
バブル崩壊の過程でそんな企業は山ほど出ました
本作公開から、しばらくしてそんなニュースばかりになっていったのです
業績好調だったのに突然倒産したり、倒産しなくても部門ごと売却、部門廃止、工場閉鎖、店舗閉鎖、○千人を整理解雇する
そんなリストラのニュースが連日報じられるようになったのです
苦しい決算発表の記者会見である大企業の社長が膿を出し切ると言い放ったのを覚えています
リストラされる社員達は膿だというのです
今まで過労死するほどに会社のために忠誠を尽くして働いてきたのに、そんな理不尽な言い草って無いだろう!
そうです
本作は、そんな人々達の怒りの為の作品であったのではないでしょうか?
リストラした会社の社長というか、
バブル崩壊という訳の分からない理不尽なもの
それへの討ち入りだったのです
そして、宮沢りえ
私達は彼女がかって幸せの絶頂期にあったことを知っています
そしてその絶頂の僅か3ヵ月後には失意の奈落の底に叩き下ろされ、人生の悲しみの限りを舐め尽くしたことを知っています
その苦しみをこらえて明るい幸せそうな役とシーンを演じていることを知っています
本作での役と実際の彼女との大きなギャップを知っています
それはまるで、かってバブルの絶頂期を味わい、リストラが始まった時、その痛みをこらえ懸命に働いている私達の姿です
その先のさらに過酷な運命を何も知らずにいた、私達日本人の姿そのものだったのです
1994年とは、日本がバブル崩壊の奈落の底に転がり落ちて行ったことが目に見えだした年なのです
初めはゆっくりと、そんなものすぐに止められると思うほどに、落ちているのも気づかないくらいだったのです
だけど次第に勢いがまし、足がもつれだしていった、その頃だったのです
リストラの地獄の鍋の蓋が開けられたのです
既に、そのグツグツ煮え立った鍋に放り投げられた人々が出始めていました
明日は我が身だと誰しも思ったのです
そんな空気を、本作は捉えています
もしかしたら市川崑監督はそこまで構想して製作をしたのかもしれません
市川崑監督なら十分にあり得ると思ってしまいます
大石内蔵助と色部又四郎
いきなり鎌倉で隠れていた大石内蔵助。従来の物語を大幅にカットした潔さには驚いたものだが、その後時系列を入れ替えての記述。しかも吉良側である色部又四郎もクローズアップされて、純粋な赤穂浪士ファンには受けないであろう内容。
ところがその映画的な編集の面白さも相まって、藩政の後始末に不破数右衛門を使って素早く対処する機知に富んだ内蔵助像が浮かんでくる。脱盟する者、仕官を促すなどの描写も今までは長編ドラマでしか描かれなかった。仮名手本忠臣蔵の見せ場を中心に添えるのではなく、人間臭い部分を中心にしたところも今までの映画と違う。そして、吉良家の図面はかなり前から手に入れているようでもあり、それを戦略的に計画を練る藩士の姿もある。
残念なことに、内蔵助とおかるのシーンで中だるみとなり、緊張感もなくなってしまう。さらに遊びに夢中となる姿もないので、敵を欺く内蔵助の頭の良さもわかりかねる。そして、色部又四郎との頭脳合戦。茶会との兼ね合いで厳重警備をいつの日にするかと相手の目論見を読みあうところが素晴らしい。
全体的に自然美を強調し、吉良邸討ち入りの美しいセット(迷路のような邸内もいい)が印象的。そういえば血判状や瑶泉院もチョイ役だし、清水一学もいないし、立花左近(垣見五郎兵衛)のシーンもない。歌舞伎よりも史実を意識した脚本なのかもしれない。
面白い視点があるのに、それを生かし切れていない演出
総合:65点
ストーリー: 75
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 70
音楽: 65
忠臣蔵といえば吉良上野之助が悪役で赤穂浪士は義士扱い、そして正義が執行されるという作品が多い。だがこの物語は吉良側のほうも比較的中立的立場で扱っているのがまず良い。それに討ち入りばかりに焦点を合わせる作品が多い中、情報戦や謀略を仕掛けたり仕掛けられたり、資金のことを描いたりと、討ち入り前のことをしっかりと取り入れているのはいいことだと思う。
しかし演出には不満が残る。科白とかがやたらと堅苦しいし、また時々やたらと説明的だったりする。塩の売買をして資金を稼ぐことが決められたり、吉良の悪い噂を流すということが会合で決められるが、それが実行される場面は描写されない。ただこれからそうしますよと言われるだけなので、現実感が伝わってこない。これから何をするかをただ科白で語って、次の場面ではすでにそれが完了していて、それだけでは映画としての躍動感がない。物語の流れが映像や動きではなく、科白で説明しようとしている傾向が強くて、それではせっかくの映画としての長所が生かし切れていないように思った。色々と面白い視点のある作品なのにもったいない。
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