サンダカン八番娼館 望郷のレビュー・感想・評価
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『むぞなげぇ』ファンタジーフィクション。こうならなけりゃ良か
日本人の『良心』とはこんなもんだ。『おもてなし』とか『キズナ』とか言うが、所詮この程度である。男が愚かなのはどこの国でも一緒だが、個人主義ではない日本国は、社会があって家族があってそして男がいて、その為に女性がいる。年端のいかぬ子供は、現世では、社会の為に存在すると思われている。『子供の未来を考えて社会を作る』とそう言った理屈を社会は話すだろうが、しかし、本来は子供の為に社会が存在するのだ。
さて、日本の現状は
その構造は変わったのだろうか?
この映画は『火垂るの墓』と同じ構造である。つまり、社会からこぼれ落ちる者に健康な生活は無い。
さて、この映画は1974年の上映だが、この十年後に『ジャパゆき』さんと言う言葉が流行する。その後の『◯軍◯◯◯』に付いてあえて触れない。
さて、春を売る行為は違法行為である。しかし、斡旋業者に対する行為が曖昧なのは言うまでも無い。そして、先進諸国と言われる『ドイツ、オランダ、デンマーク、ベルギー、スイス、オーストリア』に付いては何もかも合法とする国なのである。(2024年現在)
さて。
『男なんて二度と惚れてたまるか』とこの主人公は言う。
しかし、自由奔放に生きる『風天の虎さん』は『男◯つらいよ』と50回も振られる。うましかな話である。
追記 溝口監督『赤線地帯』は『お兄さん!』で終わる。この映画で最後に主人公は『泣く』画竜点睛を欠く演出に感じる。
日本映画の悪いDNAの始まりだ。
島原の乱に遡る「からゆきさん」の歴史
女性史研究者山崎朋子氏の著作サンダカン八番娼館(1972)により世間に広く知られるようになったからゆきさん。
証言者おサキさんへのアプローチは現在では厳しい裁断を下されるものかもしれないが、腐った畳にムカデが巣食うあばら家で衣食を共にすることから始める山崎朋子氏の直観力とジャーナリスト根性は間違ってないと思う。だからこそ、出版の許諾を得ることが出来たに違いない。最後に礼金は固辞するが、「手拭い」を置いて行ってほしいとおサキさんに言われる。喋りたくない隠し事(取材目的)があるなら、喋らくてもいいんだよと言うおサキさん。騙され、親族からも忌避されてきた人生の中で彼女がたどり着いた心境と本当に欲しかったものが表出するシーンだ。母親(岩崎加根子)が織った着物に綿入れした布団もしかり。
1974年の熊井啓監督作品。1977年に67歳で亡くなる日本映画に人生を捧げたと言ってもよい田中絹代の人生。
このあと舞台を活動の主体にしてゆく栗原小巻や小説家に転向した高橋洋子の代表作品としても貴重。
女郎出身の女領事と言われたおキクさん役、水の江瀧子の堂々とした貫禄。
私財でサンダカンに日本人共同墓地を建てたおキクさん。日本には帰らない決意。偉い人だと思うけど、うんと悲しい。
おキクもおサキさんも天草出身だった。
島原の乱に始まる貧国日本の裏史。
胸が痛くて仕方ない。
サキ(高橋洋子)に童貞を捧げる長野の貧農出身の青年竹内秀夫役の田中健。映画初出演。このあと、青春の門で主演(共演:大竹しのぶ)
熊井啓監督は長野安曇野出身。
この役どころは山崎朋子氏の原作にはない気がするんですけど😎
母に教わった映画のひとつ。
小学校の教諭で地理と歴史が大好きだった私の母。そんな母に教わった映画のひとつがこの作品でした。
歴史を風化させてはならない。何があったのか知っておかねばならない。
その責任と使命感に突き動かされて、次世代の人間に見せようと思ってくれたのだろうとおもいます。
カラユキさん(唐行き-さん)という、実在した方々のお話です。
貧しい家の出のために身売りされ、外国で性商売のための商品として扱われた人たちです。
艱難辛苦。
いつか国に帰るのだ。そんな希望を握り締め、なんとか自分の国に戻るも、家族からは恥とそしられる……。
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あまりにも。
凄まじい話で、何か作業している時。とくに、夏の時期になると、フラッシュバックしてしまうことがあります。
初めておサキさんが客をとらされた時のシーンが、鮮明に脳裏に浮かんでしまいました。
…真っ暗な部屋。窓の外には大粒の雨。無音。ただあるのは、白い体に襲いかかる日焼けした肌の暴力。そしてあの奈落の底に突き落とされたかのような音楽。絶望。
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とても息苦しくなって、思わずこちらに書かせていただいてます。
カラユキさん。
こんな言葉も、そんな、出来事も知らずに生きてきました。
ラストのシーンは、ほんの少しだけ胸がすく思いがしましたが、ただひたすら「なぜ?」が頭から抜けなかったです。
(なぜ彼女たちがこんな目に?
なぜ彼女たちに更なる辛い思いをさせる?
なぜ国は彼女たちを守ってくれなかった?
なぜ彼女たちの生き血を啜り、至福を肥やしていった存在を駆◯しない?…)
この映画は、歴史の勉強として参考になりえると思います。でもとても、観る人を選ぶお話しだと思うので、厳しいと思う方は無理はなさらず…。
国へ帰ったらロクなことは無かぞ
戦争が起これば兵士のみが英雄視され、英霊として祀られる。その陰で多くの人たちが苦しんでいる。そこには大人も子どもも男も女も関係ない。それを如実に描いてくれたのがこの作品だと思う。平和な世の中だからこそ、帝国主義や侵略戦争の犠牲になった女性たちを思わなければならないと痛感。
性奴隷にさせられた史実は疑いようもないし、墓場まで過去の苦労を持っていこうとする女性たちに補償しなければ納得できない。今の世はコロナの影響で、貧困に喘ぐ人たちも多いだろうし、表沙汰にはなっていないが、必ずこうした人たちはいるはずだ。からゆきさんたちは親に裏切られて故郷を追われ、金が貯まったとしても国に裏切られ、新天地となった満州も敗戦により引き上げなければならなかったという壮絶な半生を聞かされた。
1日に30人!兵士たちの性欲を埋めなければというのは国の方針だったのだろう。回想シーンで思わず涙。そしておキクさんが男客から指輪を集め、それによってボルネオに共同墓地を建てたとか。日本に背を向けた墓が重くのしかかってきた。
一度も会ったこともない嫁。泊まりにきた三谷圭子(栗原小巻)を嫁のように扱った北川サキ(田中絹代)。娼婦として耐えていたサキ(高橋洋子)も良かったけど、やはり田中絹代の圧倒的存在感にまいってしまった。さらに、猫屋敷と化していた家の猫ちゃんたちの演技力も何とも言えない可愛らしさだった・・・ゴジラっぽい伊福部昭の音楽も悲惨な状況を描くのにピッタリだったなぁ。
現地よりも
辛いなぁ、悔しいなぁ、だけど、優しき人
からゆきさん••••明治時代から貧しい家の娘を買って外国へ連れて行かれたり売り飛ばされて外国人相手の性商売に従事させられた女性のこと。
調べようと、女性人権問題研究者が、一人の元からゆきさん宅で寝起きを共にして話を聞き出す話。
私にはわからないが、男性の性とは何だろう。
嫌がる女性に無理にでも強いるべきなのか。
しかし、男性の性があるからこそ、不本意ながら
女性は金を稼ぐことができる。
自身の懐に入るか入らないかは、さておき。
金稼ぎの手段となり、女衒も儲かるが、
本作で一番腹が立つのは、
やはり、兄にであり、日本にだろう。
あんなに別れを惜しんで泣いていた兄が、
やっとの思いで帰郷したときのあの扱い言動、
風呂の中で泣くおサキの心。
そして、亡くなった母が生きていたとしても
赤の他人の扱いをするだろう、という諦め。
時間が経過して息子もできたのに、
その息子が、結婚する際に邪魔者扱いする。
やはり、おキクさんの言葉は当たっていたか。
日本には帰るな❗️帰ると碌な事は無い、と。
人身売買を見て見ぬふりしていた日本。
研究者が、密林の奥でようやく見つけた
おキクさんはじめ、からゆきさんたちの墓標は、
日本を背にして立っていた事実。
必ず身請けすると言った竹内が、外国人の素人の娘を嫁にとる。
貴族院議員が来るからと言って目障りと言い放ち商売自粛しろ、と言いに来る元女衒。
淫売と蔑みつつその淫売の生き血を吸って生きて来たくせに。
おサキさんを利用した研究者が帰ると聞き、
利用したことを、許す。
さらに手拭いを貰い、堪えきれずに声を上げて泣く。
寂しくて仕方なかったのだ。
誰でもいいから一緒に住みたかったのだ。
想うほどの故郷はなかりけり
不幸な激流にのまれて
流れ流れて生きてきた
女性の話を聞きにいく
女性学者。
田中絹代演じる彼女は、
語るのも辛い人生を生きてきて
月並みな言い方をすれば、
それでも心が穢れることはなかったというのでしょうか。
私にはむしろなにかしらの望みをもつこと
それ自体を諦めてしまったがゆえの
つつましさ、清らかさなように
思えてしまって、
そこにいたってしまった生涯に涙が出そうでした。
自分を二度も捨てた日本はすでに故郷ではないのです。
彼女にとって故郷とは
母の存在に他ならなかったのでしょう。
もしかすると、まだ母と呼べる故郷が
かつてあっただけ
幸せなほうだったのでしょうか。
似たような境遇の女性の中で。
まるで大昔の出来事みたいだが
この話のころから
まだ100年もたっていない。
日本自体が激動の時期を過ぎてきたのだな。
取材の関係づくりの難しさと田中絹代氏の演技の凄味
最初に天草の食堂で、圭子の同行者がサキに不用意な言葉を言い放ったのが気になったが、追いかけた圭子も、サキに謝罪しなかったけれども、家までついてきた圭子がサキの嘘に付き合ったことで、サキの圭子への信頼関係が芽生えていたが、次にやってきたときにも、なかなか訊きたいことは話してもらえず、1週間を無為に過ごしていた。3週間経って、圭子は取材の目的を果たし、隠していた目的を正直に話すと、サキは許すものの、号泣してしまう。『私は忘れない』の万里子と似たようでもあり、知りたい中身が深刻な問題という違いはある。圭子は取材のためにそれなりの代償を払い、その後、検証のために現地で墓探しをしていた。サキを演じた田中絹代氏の演技は凄味があった。若いサキを演じた高橋洋子氏の水揚げ前と後では、大きく風貌が変わっていた。水揚げ後も依然として客取りを嫌がったり、初な客に気を許したり、複雑な心情があり、大量で押しかける水兵たちの相手に茫然自失し、植民地の慰安婦だけが犠牲になったわけではない。故郷に錦を飾ったつもりでも、家族からは歓迎されなかった。これも悲しい。
昭和の伝説の映画
被害者の傷はカネでは癒せない!
過日、「BSプレミアム:日本映画100選」にて鑑賞。
30数年前に池袋の文芸地下で見て以来だけど70年代は、こういう映画がロードショーに乗ってたんだと思うと凄いことです。
きっと、時代が混沌としていて、みんなが真剣だったんだろうな。
一時、原発関連で一部高揚した空気も感じらましたが・・、
さて、観終わっての感想ですが「高橋洋子」が素晴らしい。あと、「水の江滝子(?)」の存在感は、圧倒的でした。
従前より、朝鮮や近隣諸国の従軍慰安婦問題が問題になってるけど日本という国は、自国の恵まれない民をも同じように誑かしてきたんだ。
「お国のエライ勲章」をもらった故中曽根元首相がこういった娼館を作るよう指示していたという事実が朝日新聞で報道されてましたね。
植民地支配、女性開放とかいう以前に「人権問題」として、どうなんだ、ってことだと思う。
以前、安倍元総理が「自虐的歴史」とかで報道を規制しようとしたり、どっかの先鋭な知事が「自ら望んでいった」みたいな発言してたけどこういった「人の痛みのわからないヤカラ」が政治を牛耳っている限り、周辺諸国との関係はこじれていくばかりだ。
補償とかは、金銭の問題では、決して解決しない。
与えられた「被害者」の傷の深さを「加害者」が慮ってこそ、償いが始まるのだと思うし、それをふまえないといつまでたってもギクシャクした国際交流が続いてしまうことを肝に銘じなければならない。
田中絹代でなけなればこの映画は成立しない、それほどのもの凄い演技でした
強烈な映画でした、そして号泣しました
田中絹代でなけなればこの映画は成立しない、それほどのもの凄い演技でした
他の誰が演じても無理です、彼女でしかなし得ない恐るべき演技です
枯れ木のように細く軽い小さな体と浅黒く日焼けした肌と顔
そこにキラキラ光る瞳と笑ったときの得も言えない包容力
正に老境のおサキさんそのものです
彼女こそ稀代の名女優です
そしてそれを清楚で上品な栗原小巻との対比をなすことで一層際立ているのです
高橋洋子も現代パートに負けない熱演でした
また熊井啓監督の演出もものすごいものがあります
特におサキが初めて客を取らされたときに、彼女の顔に掛かる客の首にかけられたチェーンの先の細長い鍵のシーンには感嘆しました
強制された処女喪失の破瓜の痛みと悲しみに歪む顔、逃げ場のない鍵をされた部屋、男が首にかけたチェーンが顔に掛かる体位、男性器を暗喩する鍵とその前後に揺れる挙動
それらを一挙に映像で表現してしまうのです
また天草の兄の家の風呂で顔を湯に浸け、声を出さずに泣くシーンにも心が張り裂かれました
音楽はあのゴジラの伊福部昭で、独特の他にない土臭い強烈な音楽で突き抜けた悲しみを増幅させる力があります
その他にもおサキさんという一人の女性に日本の近代化の軋みと歪みが見える構成と演出は見事という他にありません
終盤の主人公とおサキさんの別れでの田中絹代の号泣シーンには強烈な破壊力があり涙腺が崩壊しました
エピローグの墓が日本に背を向けている
拒絶のように見えて、実はそれこそが血のでるような望郷の叫びだったのです
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