さびしんぼうのレビュー・感想・評価
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『転校生』『時をかける少女』に続く、尾道3部作の最終作
『転校生』『時をかける少女』に続く、尾道3部作の最終作。人が人を好きになると、さびしんぼうになる。そういうキンタマに僕はなりたい(笑)
中盤まではさほど感銘を受けない、ただノスタルジックな純朴な高校生活。いたずら好きな3人組といった、どこにでもありそうな素材だった。さびしんぼう(富田二役)が現れてからは、コミカルでもあり、母親(藤田弓子)との関係を想像する楽しみが増えてくる。ヒロキにしか見えない?と考えていたが、みんなに見える存在だったことにビックリ。恋する人にそっくりな想像物だと思っていたのに・・・彼女をみつけた母親が頬を引っ叩くと自分の頬が痛い。さびしんぼうは(16歳の頃の)母親自身だったのだ。
憧れの少女、橘百合子(富田二役)とは、自転車のチェーンがはずれて困ってるというきっかけで近づくことができたのに、結局はすぐに振られて(?)しまう。人には誰でも失恋という大切な思い出がある・・・父親(小林)と一緒に風呂に入ったことで、喜びも悲しみも人生の中の一コマとして妻を愛していることがわかる。
渡せなかったクリスマスプレゼント(ピアノ型のオルゴール。曲はもちろん別れの曲)をチョコレートのお返しにと渡すシーンは、本来なら悲しいはずなのに、それよりもさびしんぼうとの別れの方がジーンときてしまう(母親だとわかっているのになぁ)。
なつかしい
30年ぶりくらいに見ました。
大林監督作品は、とにかく風景が美しくかつ懐かしい。あの美しい風景を映画の中に残しておいてくれたことが、こんなに大切なものになるとは当時考えてもみなかった。
話も、青春時代がフラッシュバックしてくるような内容で、ニヤニヤしてしまった。
ショパンのピアノが暫く耳の中に残りますね。
とても素敵な作品です。
その人の全存在を受け止めて愛するということ
前半は無邪気な16歳の少年の世界
ゆえにドタバタコメディ然とした面白おかしい毎日がつづいていることが描かれます
しかし後半は百合子との接点を得てから、ヒロキが大人になりつつある日々はすっかりセンチメンタルなトーンにかわります
その前半と後半の目一杯に振り切った対比は後半のセンチメンタルさをより盛り上げています
まさに心の状態ひとつで世界の見え方がすっかり違ってしまう
そのことの映画的表現です
そこを大林監督は観なさいといわれだのだろうと思います
藤田弓子が演じるもうすぐ42歳になる母タツ子
すっかりどこにでもいるオバサンです
そんな彼女にも16歳の少女時代はあったのです
忘れられない永遠の恋
成仏しない恋慕
あなたの母や、友達の母、道ですれ違う知らない中年女性にもそんな思い出が心の奥底に封じ込められているのではないでしょうか?
そしてラストシーンのようにあなたもすっかり大人のオジサン、オバサンになって、すっかりそんなことは忘れていても、アルバムが棚から落ちてバラバラになった古い写真を見返した時、16歳の日々を振り返えれば鮮明にその頃の素敵な思い出が蘇るのかも知れません
あなたが好きになったのはこっちの顔と百合子は右顔を差します
そういえば彼女の左顔が撮されることは無かったのです
ラストシーンで初めて左顔が撮されます
父の風呂に浸かりながら話す言葉
その人の喜びの悲しみも、昔の素敵な思い出も全てをひっくるめて好きになりさい
それができたなら左顔もひっくるめてその女性の全存在を受け止めて愛することができるということなのです
父はヒロキの名前も、ショパンの別れの曲も、子供に口喧しく勉強しろという理由も何もかも分かっていて全てを飲み込んで母を愛しているのです
自分はそんな大人になれたのだろうか?
あなたはなれたのでしょうか?
その奥の部屋でピアノを弾く少女の左側は良く見えませんが、次のカットで右顔が大きく撮されます
彼女もまたいつの日にか左右の両方の顔を愛してくれる男性が現れることでしょう
ピアノのオルゴールがあったのは、もしかしたら百合子と結ばれたのかも知れませんし、そうで無いのかも知れません
その終わり方もまた味わい深い余韻でした
やはり名作です
ファンタスティック!
富田靖子がとっても可愛ゆい!
尾美としのりは大林宣彦監督の映画にしょっちゅう出演しているわ。
彼の父母が藤田弓子と小林稔侍、脇役陣が凄い。
佐藤允、峰岸徹、樹木希林、小林聡美・・・・・
ヒロキの淡い恋が実って幸せ!
映画の良さが全て詰まっている映画!
黒澤明監督が自らのスタッフ全員に、「この映画には映画の全てが詰まっているから必ず観なさい」という趣旨の命令をしたとのこと。
とても素敵な映画。とても切ない映画。全ての十代の少年少女に観てもらいたいと思う映画です。
さびしんぼう
この作品は、20歳の時初めて見た。感動、感動で泣けてしょうがなかった。富田靖子の可憐で清楚な様子は正に一般男子が描く理想の女子であり、劇中で演じるキャラクターは、果たしてこの世に実在するのか・・一体なんなんだ・・表現するにはうまく言葉が見つからない不思議なキャラクターを見事に演じていた。中盤からラストまでの流れ、そして雨の中の名シーン、本当に人生最高の傑作だと思う。年齢を重ねた今、あらためて見るとさすがにあの時の感動とはいかないだろう。それは、それだけ自分が汚れたのかもしれない・・。が、それはどんな作品でも同じであってこの作品の評価はゆるがない。最近、「君の名は。」を見たけど、とても良かった。そして鑑賞後。「さびしんぼう」を思い出した。
なぜか尾道が自分の故郷のように感じてしまった映画
坂道の多い尾道の風景、ひろきの片思いの女子高生の存在、彼女をファインダーから覗く、さびしんぼうはひろきが好きなのに最後は消えるしかない存在等、切ないシーンがいっぱい。とくに自宅のお寺の階段でさびしんぼうが待っているシーン。2回あるが、2回目の雨のなかのほうは何度観ても泣けてくる。女子高生に会いに行った帰りを待っているしびしんぼう、「どうだった?」と、ひろきに聞くシーンが特に切なくなる。さびしんぼうはいつもピエロのようなメイキャップであるが、それがまた泣いているような感じで切ない、しかもここは雨でメイキャップが流れるのだが、確かに目からは涙を流している。雨に濡れると死んでしまうのに、彼を待っていたのである。結局、濡れたために消えてしまい二度と会えなくなってしまう(消える時期でもあったが)。
劇場で観たあとは、ビデオで何度も観ているが、他の部分は飛ばしてさびしんぼうが出てくるシーンばかり観ている。
話としては、さびしんぼうの存在自体は母親の高校生のときの幻影のようなもので、それを考えると、ひろきのことを想うさびしいぼうの存在はイマイチおかしな存在になってしまう。個人的には、片想いだがひろきのことが好きな女子高校生として捉えている。さびしんぼうの部分だけ何度も再生していくと、それが正しい理解だと思えてくる。原作とは違うかもしれないが、そのように観ているせいか、私にとってかけがえのない映画となっている。
キュンとする思いの部分は現代でも共感できるはず
ノスタルジックな青春映画として見るほうが面白い。設定は前世代のものではあるもの、キュンとする思いの部分は現代でも共感できるはず。恋愛映画に限らず、映画としての完成度の高い作品(15/01/24)
切ない初恋
『好きになれ。思いっきり好きになれ。その人の喜びも悲しみも、みんなひっくるめて好きになれ』
主人公ヒロキ(尾見としのり)の父親役である小林稔侍のセリフにハッとする。
或いは、そのちょっと前のシ―ンで富田靖子が魅力的に好演する“さびしんぼう”が、こんなセリフを言う。
『人を恋する事は、とっても寂しいから、だから、私は“さびしんぼう”。でも、寂しくなんかない人より、私ずっと幸せよ』
大林宣彦監督の最高傑作『さびしんぼう』は、昔、誰もが経験したであろう片思いの切なさをまざまざと思い起こさせてくれる映画だ
とは言え、本作は完璧な映画ではない。
前半にあるギャグの部分はやり過ぎだし、入江若葉や樹木希林、小林聡美や岸部一徳の演技は悪ノリしている(俺はキライじゃないけど)。
しかし、後半の物語の急激な転換は見事としか言いようがない。
かつて、映画評論家の淀川長治先生は本作を“合わせ鏡の映画”と評していた筈だが、まさに言い得て妙だ。
ヒロキの百合子(富田靖子二役)への思いが、“さびしんぼう”のヒロキへの思いに変わり、やがて、ヒロキの“さびしんぼう”への思いが母親(藤田弓子好演)の初恋に重なるという重層的な物語の素晴らしさ
俺も本作を初めて観た時は、まだホントの恋愛も知らない中学二年生だったけど、あれから随分と時が立ち、いつか大人になってしまった。
だからこそ、冒頭に書いた小林稔侍のセリフが胸に沁みる。
恋愛とは、相手の現在も過去も全部ひっくるめて愛する事だから
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