「再見して時代を感じた部分と年を取ってから見たからこそ良かったと感じたこと。」さびしんぼう penguinさんの映画レビュー(感想・評価)
再見して時代を感じた部分と年を取ってから見たからこそ良かったと感じたこと。
当方50過ぎです。初見はまだ学生でした。そのせいか藤田靖子の白塗りの顔しか印象に残っておらず、出川哲朗の某番組で尾道を旅する時に連絡船に乗るところでこの映画のことに触れ、とても大好きな映画と言っていたことに驚き、そのシーンは記憶に残っていなかったので、今回見直して確かに連絡船に乗るシーンがあることを確認しました。聖地巡礼する人は間違いなくこの連絡船に乗るのでしょうね。
他の人のレビューで英語の先生のスカートが3回落ちるところと主人公の母親の様子がおかしくなったことが学校中知れ渡り、みんなが様子を見に来る辺りについて不快、そのためこの映画の評価自体が★1という人がいました。確かにこの辺りはのシーンは時代を感じました。このころは香港映画でもそうですが、無意味に女性を性的に軽く扱ったりするシーンが散見され、同じ女性として当時から不快に思ったものですが、この映画が作成されたとき、監督は47歳、当時のこの年齢の男性の思考が良く反映されていると思います。当時は今ならセクハラと言われる行為が普通に行われている時代でしたから。また学校生活の描写がドタバタすぎてかなり興ざめしてうのも事実。終盤、あこがれの少女が長い髪を垂らして赤い着物を着ている姿も監督の中にあるあこがれの少女像を表現していると思われます。当時(1985年)でも普段の買い物に若い人が着物を着ていることはまずありえませんでしたから。
しかし、そういう描写を上回る感動が終盤押し寄せます。それまで一切のセリフを語らなかった父親が息子にお風呂の中で語るシーンに、落涙してしまいました。たぶん結婚していない人にはこの場面が十分に咀嚼できないのではないかと思われます。この映画の良さがわからない人はそういうことだと思います。
ただ、私としては悲恋に終わると思われたこのストーリーがハッピーエンドに終わることには少々納得が行きません。「別れの曲」がこれだけ繰り返し流れるというのに?それは母親の青春の方の結果であって、主人公とは別ということでしょうか。思うようにならなかったからこそ永遠に思いが残る、そんな映画にしてほしかったと思うのは私だけでしょうか。