「さよなら。ありがとう。またね。…さびしんぼう(=大林監督)」さびしんぼう 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
さよなら。ありがとう。またね。…さびしんぼう(=大林監督)
大林宣彦監督1985年の作品。
“尾道3部作”の第3作目。
寺の息子のヒロキは勉強嫌いで毎日母親や学校の先生を困らせてばかりの高校生。
カメラが好きで、望遠レンズ越しにピアノを弾く名も知らぬマドンナに想いを寄せ、いつしか“さびしんぼう”と呼んでいた。
そんな彼の前に、“さびしんぼう”と名乗る不思議な少女が現れた。ピエロのような白塗りメイクの“なんだかへんて子”。
ヒロキの母が“さびしんぼう”を叩くと自分が痛がり、ヒロキの母の事を自分のように知っている“さびしんぼう”。
ふとした事でマドンナの“さびしんぼう”とも知り合う。
ふたりの“さびしんぼう”とヒロキの、交流と仄かな恋と、別れ…。
大林監督が本作に特別な思い入れがあるのは見れば分かる。
まず、タイトルの“さびしんぼう”とは監督の造語。広島弁でわんぱく男の子を指す“がんぼう”を女の子に置き換えた造語とか。
それを基に構想し、『HOUSE/ハウス』の前後から映画化を熱望。
一応原作はあるが、原案程度で、ほぼ監督のオリジナル作。
開幕のスーパーにある通り、痛ましくも輝かしい、わが少年の日日に捧げた、自伝的作品。
だからか、ずっと舞台にしている尾道の風景も、群を抜いた美しさを感じる。
そこを舞台にしたノスタルジックな青春ファンタジー。
わが故郷と少年の日日へーーー。
我々映画ファンにとって、尾道は現実と非現実が入り交じるリリカルな世界。
コミカルなシーンは漫画みたいなドタバタだが、誰にも覚えあるやんちゃだったあの頃を思い出させ、愛おしい。(それにしても、こんなにキ○タマを連呼する映画もそう無いのでは…?(^^;)
ふたりの“さびしんぼう”との別れのシーンは本当に切なく、涙ナシには見れない。こういう出会いと別れがあっての青春。
コミカルなシーンは映画的に楽しく、切ないシーンはまるで詩の如く。
それを、ショパンの『別れの曲』が情緒たっぷりに。
冬の尾道が舞台だが、温もりを感じる。
ラストもとても温かい。
『転校生』が大林監督心の映画ならば、本作は大林監督自身の映画。
やはり、尾道映画では一番好きだ。
『転校生』では女の子演技、『時をかける少女』では引き立て役。本作では実質主役で、尾身としのりの自然体の好演。
そして勿論、大林映画=ヒロインが輝く映画。
富田靖子のKO級の魅力!
麗しの“さびしんぼう”と不思議で快活な“さびしんぼう”の一人二役。
どちらも最高だが、敢えて指名出来るなら(←コラッ!)、快活な中にも悲しさ滲ませる後者の“さびしんぼう”。
他キャストもこれまでの尾道映画を彩ってきた面々。
無口だが優しい父・小林稔侍、学校の先生・岸部一徳、本物の親子のようにそっくりな樹木希林&小林聡美。尾身と小林と富田が集うシーンは、さながら大林版『アベンジャーズ』!?
中でも、母親役の藤田弓子。わんぱく息子に振り回され、顔を合わせればガミガミガミガミ勉強勉強!…の肝っ玉母さんだが、愛情深く、ひしひしと。
富田もそんな“母さん”を魅力的に。
男の子にとって母親はずっと理想の女性(ひと)。
ひょっとしたら本作は、大林監督が母親に想いを寄せた、究極のマザコン映画であり親孝行映画なのかもしれない。
“さびしんぼう”だった僕。
“さびしんぼう”だったあの娘。
“さびしんぼう”だったあの頃…。
いつまでも“さびしんぼう”では居られない。
いつかは“さびしんぼう”と別れの時が。
そして“さびしんぼう”は大人になっていく…。
我が家にあった監督作をかき集め、連日鑑賞。
『別れの曲』が奏でられる本作で一応の終わり。
でも、これっきりじゃない。
さよなら。
ありがとう。
またね。