さびしんぼうのレビュー・感想・評価
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この頃はJAZZばかり聞いていた
大林監督はギャグのセンスが無いと僕は思う。下品なシモネタばかり。それを省けば、物凄く良い映画だと思う。
だから、正味、1時間30分位の映画だと思う。
ショパンはこの映画では好きにならなかった。この頃はJAZZばかり聞いていた。
また、母親に似た子を好きになるという事も無かった。
ここから、ネタバレです。
橘ゆり子が立ち去る時、買い物かごから赤いラッピングリボンが落ちる。その赤が、僕の青春の心に暫く留まっていた。今日5年ぶり位で鑑賞し、その感情が少しだけ、蘇った。
「転校生」「時をかける少女」
と並んで尾道三部作と言われているらしい。私は「転校生」がとても好きで、同じ感動を期待して、この「さびしんぼう」を見に行った。
「アイコ16歳」でデビューした富田靖子さんが初々しかった記憶がある。
久しぶりに見返してみたいと思いつつ、なかなか見返すことができないでいる。
【”永遠に連鎖する真実の恋”思春期特有のときめきやロマンチシズムを仄かな郷愁とともに描いた作品。”さびしんぼう”を始め、四役をこなした富田靖子さんの魅力にヤラレル作品でもある。】
ー 写真が趣味の高校生・ヒロキ(尾美としのり)は、憧れの美少女・百合子(富田靖子:不老の人である。今でも美しさは変わらない。)をレンズ越しに見つめ、「さびしんぼう」と呼んでいた。
ある日、実家の寺の本堂を掃除していた彼は、母(藤田弓子)の古い写真をばらまいてしまう。するとその日から、ピエロのような格好をした謎の少女(富田靖子:4役)が現れて…。ー
◆感想
・ある日突然、ヒロキの前に現れたピエロのような格好をした謎の美少女は”いったい誰?”と言う疑問を見る側に抱かせつつ、”健全な”高校生活を送るヒロキを軸に物語は進む。
・ヒロキの父(小林稔侍)は僧侶で、ヒロキのナレーションによると、”何を考えているか分からない・・”と呟かれるが、ヒロキと無理やり風呂に入るワンシーンで父の善性が分かる。
そして、母の事を愛していることも。
・ヒロキの母も”勉強しろ”と口煩い、とヒロキのナレーションでは語られるが、母が如何にヒロキを大切にしているかが良く分かる。
・憧れの美少女・百合子とヒロキの関係性も何だか切ない。
- ”私の側面だけを観ていて・・。”貧しき私生活を知られたくない百合子の乙女心・・。-
・今作が、何より魅力を放っているのは永遠の16歳である、ヒロシが新たに”さびしんぼう”と名付けた白塗りの表情でピエロのような格好をした謎の少女を演じた、富田靖子の百合子役の抑制した演技とは違うお茶目で可愛らしい演技である。
■白眉のシーンは水に塗れると”死んでしまう・・”と言う”さびしんぼう”が、百合子に会いに行ったヒロキを雨の降る寺の階段で待っているシーンであろう。
ヒロキは彼女に優しく上着を掛け、”さびしんぼう”はヒロキの肩に顔を埋める・・。
<全編に流れる、ショパンの「別れの曲」が意味する事。
それは、大人になり僧侶になったヒロキの脇に座る女性(富田靖子)の姿と二人の子供であろう女の子(富田靖子)がピアノで弾くショパンの「別れの曲」を聞けば、分かるのである。
今更ながらではあるが、佳き作品である。>
青春映画の金字塔
共感を呼ぶストーリー。
尾道の美しい風景。
富田靖子の奇跡の演技。
大林作品のなかでも最高に好きな一本です。
近年では、振り返って語られることもなく、TVでの再放送なども見かけませんが、もし何かのきっかけがあれば、ぜひ見て欲しい作品。
私が好きなのは、後半の、富田靖子のセリフ。
「こっち側の私だけを見ていてください。」
男のコに、一方的に好意を寄せられても、現実の自分は、今日食べるオカズにも事欠くような生活。
それを、短いセリフで端的に表現した、素晴らしいシーンです。
尾美としのりの、分かっていて、何も気づいていない(いや、本当に何も気づいていないように振舞っているのですが)ような受けの演技も最高で、ごく自然に撮影したのが、偶然あのような展開になったのか、それとも狙って撮ったのか、今となってはわかりませんが、機会があれば、私ももう一度見てみたい。
2013.3.5
尾道三部作終焉。青春恋愛ファンタジー。 昭和の広瀬すず、富田靖子が...
尾道三部作終焉。青春恋愛ファンタジー。
昭和の広瀬すず、富田靖子が可愛い。しかし、白塗りはキモい(笑)
終盤までは全く面白くなかった。オウムのたんたんタヌキは笑ったが、あまりにしつこい。秋川リサのパンツも見たかない(笑)
終盤、一気に面白くなる。ショパン「別れの曲」は蓋し名曲である。
・男は母親似を好きになるということか?著しく否定(笑)
・尾身としのりのストーカー行為…私も経験がある(笑)
・それまで存在感すらなかった父親(小林稔侍)のセリフが響いた。「おまえ人を好きになったことあるか。好きになれ、思いっきり好きになれ。その人の喜びも悲しみもみんなひっくるめて好きになれ」
・ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになる
BS12録画鑑賞、「特別編」。何か違うのかな?
大林監督を偲んで
父が映画好きだったので、大林監督の作品を鑑賞したのは小学生の時。特に尾道3部作である『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』は大のお気に入りで、父と一緒に尾道を訪れたこともあります。
今作はもう何回目かの鑑賞ですが、大林監督を偲んで改めて大林作品を見直しています。
とにかく、監督はとてもロマンチスト。『異人たちとの夏』でも若き日の母親と主人公が同じ時を過ごしていましたが、今作もそれは同じ。監督は、一生自分とは恋愛関係にならない母親と作品を通して恋愛しているのかな?と思います。それくらい、愛しているのですね。
35年も前の作品なので、今鑑賞すると?なところもあり評価は色々と割れていますが、私はこの時代の尾道の風情と文化を残した貴重なフィルムだと思います。『奥ゆかしい』が分からなければ、百合子みたいな子と言えばいいかもしれません。
別れの曲を初めて聞いたのも、今作です。小学生ながらとても悲しい気持ちになりましたが、今では大好きな曲です。監督のおかげですね。
『男の子っていつでも母親に恋してるものなのよ』
木魚と別れの歌
ラストの解釈。木魚のリズムに合わせて、別れの歌を弾くシーンがあるが、ヒロキは後に木魚を叩くと別れの歌を連想するに至るようになる。周りから何を考えているかわからんオッサンとなった坊主は、ポクポクと叩きながら頭の中では、青春の若い切ない想いが溢れかえっているようだ。オッサンでもそんなもんだという監督の自白かな。
コメディであるが、藤田弓子は出てくるだけで笑えた。樹木希林と小林聡美の親子コンビは空前絶後。
富田靖子さん、最高です。
久しぶりにAmazonプライム・ビデオで観たんですが、歳とってから観ると、本当によくできた映画だなあと思います。
富田靖子さんが藤田弓子さんの若い頃という設定が、今見ても良くできてたなあと。
藤田弓子さんのあの演技なので、良かったんじゃないかなと。結果、
お二人にとって、最高傑作だと思います。
また、映画で音楽の大切さを再認識させてくれます。
別れの曲は、それは名曲なんですが、ここまでぴったりくるのもないように思います。
尾美とりのりさんと小林稔侍さんのお風呂のシーンもいいですよね。
ハッピーエンド過ぎるとも思いますが、富田靖子さんの横顔を見て幸せな気持ちになれるので、最高です。
昔数えきれないほど見返した
この映画が好きで何度も何度も見返した。
あの当時はノスタルジックな雰囲気が好きで見てたが、
内容は今ひとつ理解してなかったと思う。
今日数十年ぶりに見てようやく話を理解した。
モヤモヤしていた部分がすっきりして懐かしい気持ちと同時に
あの時強烈に感じたノスタルジックな気分はだいぶ薄れてしまった。
純粋な気持ちで見ていたあの頃と違い歳を取ってしまったのかな?
因みにこの映画が好きで尾道もわざわざひとりバイクに乗って旅したっけ。
とても素晴らしい景色で料理も美味しかった。
夕焼けに照らされた寺院が映画の様に綺麗だったのを思い出しました。
「そんな光景を皆さんは何とお考えになるだろうか」
先のレビューで、ハッピーエンドとなったことが納得できないと書いていらっしゃる方がおいでますが、ご安心下さい。大林宣彦さんは妻となったのが百合子かどうかは作者としては答えを出していないとおっしゃておられます。それは、ヒロキのナレーションで「そんな光景を皆さんは何とお考えになるだろうか?」と一人一人に委ねる事で締めくくっておられるのだど思います。ところが、ラストがあのオルゴールであった事から大半の方が妻となったのが百合子であると思ってしまった。いわゆる映画がひとり歩きをしてしまったようです。監督としては結末を明確にしていないと言う事です。では、監督としてではなく大林宣彦さん御自身としてのあのラストシーンの思いとは、二人の恋は成就しておらず、妻や娘が百合子に似て見えるそんな日にはヒロキの心には「別れの曲」が聴こえて来るのです。と言う事のようです。
この事は監督の書物、「a move book 尾道」に書かれております。
また、監督は百合子の家を娼家と設定しており、この事から身を引いたとなっています。それで「恥ずかしいから」とヒロキに送ってもらうのを拒んだようです。そしてこの明らかにされていない百合子の反対側の顔が後の
「はるか、ノスタルジィ」で石田ひかりさんが演ずる三好遥子の物語となって行きます。
物語としての繋がりはありませんが、「さびしんぼう」の完結編とされたようです。
こちらは、1997年度版「さびしんぼう」のレーザーディスクのライナーノーツに書かれております。
小林聡美さんの「廃市」のDVDの映像特典 監督インタビューでは原作者の福永武彦さんの「草の花」について触れ、ショパンのピアノコンチェルト第1番が登場すると話しておられ、「さびしんぼう」には「別れの曲」を、そして「はるか、ノスタルジィ」の事を
「さびしんぼう」のその後の物語と言われる「はるか、ノスタルジィ」のテーマがまさに「草の花」と同じショパンのピアノコンチェルト第1番であると紹介されています。
この中で監督にとっては福永武彦さんの小説やショパンの伝記映画「別れの曲」の影響が多大であるように話されています。「別れの曲」をモチーフとされているのならば、「さびしんぼう」においてヒロキと百合子の恋が成就することはなかったでしょう。もし、「廃市」のDVDをお持ちならばチェックしてみて下さい。
再見して時代を感じた部分と年を取ってから見たからこそ良かったと感じたこと。
当方50過ぎです。初見はまだ学生でした。そのせいか藤田靖子の白塗りの顔しか印象に残っておらず、出川哲朗の某番組で尾道を旅する時に連絡船に乗るところでこの映画のことに触れ、とても大好きな映画と言っていたことに驚き、そのシーンは記憶に残っていなかったので、今回見直して確かに連絡船に乗るシーンがあることを確認しました。聖地巡礼する人は間違いなくこの連絡船に乗るのでしょうね。
他の人のレビューで英語の先生のスカートが3回落ちるところと主人公の母親の様子がおかしくなったことが学校中知れ渡り、みんなが様子を見に来る辺りについて不快、そのためこの映画の評価自体が★1という人がいました。確かにこの辺りはのシーンは時代を感じました。このころは香港映画でもそうですが、無意味に女性を性的に軽く扱ったりするシーンが散見され、同じ女性として当時から不快に思ったものですが、この映画が作成されたとき、監督は47歳、当時のこの年齢の男性の思考が良く反映されていると思います。当時は今ならセクハラと言われる行為が普通に行われている時代でしたから。また学校生活の描写がドタバタすぎてかなり興ざめしてうのも事実。終盤、あこがれの少女が長い髪を垂らして赤い着物を着ている姿も監督の中にあるあこがれの少女像を表現していると思われます。当時(1985年)でも普段の買い物に若い人が着物を着ていることはまずありえませんでしたから。
しかし、そういう描写を上回る感動が終盤押し寄せます。それまで一切のセリフを語らなかった父親が息子にお風呂の中で語るシーンに、落涙してしまいました。たぶん結婚していない人にはこの場面が十分に咀嚼できないのではないかと思われます。この映画の良さがわからない人はそういうことだと思います。
ただ、私としては悲恋に終わると思われたこのストーリーがハッピーエンドに終わることには少々納得が行きません。「別れの曲」がこれだけ繰り返し流れるというのに?それは母親の青春の方の結果であって、主人公とは別ということでしょうか。思うようにならなかったからこそ永遠に思いが残る、そんな映画にしてほしかったと思うのは私だけでしょうか。
富田靖子・・・いつ見ても美しい・・・
突然現れた不思議な格好をした少女「さびしんぼう」と少年を、少年の初恋を絡めながら描く物語。
大林監督の倉敷3部作の1作で、他2作と比較して余り目立ちませんでしたが、個人的には最も感銘を受けた作品です。
全編に流れるショパンの別れの曲と、倉敷のセピア色の街並みが、物語を感傷的に盛り上げます。
普通の少年に起きた、ちょっと不思議な出来事。そして、誰にでも訪れる初恋。大袈裟にせず、派手にもせず、難しいストーリー展開もなく、それでもじんわりと切ない気持ちが湧き出てきます。
若い頃は自分に重ね合わせ、大人になったらセピア色の想いでと共に、いつでも感動を与えてくれる作品です。
最高だ
以前にパロディ漫画を描こうとしたら何も思いつかなかったのだが、改めて見ると確かに分かりやすく説明できない話だった。20代の時以来で何度目かの鑑賞。
尾見としのりがこれまでの尾道三部作では脇だったが、いよいよど真ん中に現れ、大林監督の理想の少年時代を体現する。二人の友達が素晴らしくて、ファンタジーのレベル。
さびしんぼうの富田靖子と藤田弓子があんまり重ならない。現在アラフィフの富田靖子と、この役で42才の藤田弓子を見比べて、富田靖子は藤田弓子を通り過ぎていない。橘百合子もいいけどさびしんぼうはとことん優しく寄り添ってくれて、そんな彼女に冷たくする尾見としのりは最低だ。また、ストーキング対象である橘さんに自分のストーカーぶりをべらべらしゃべりすぎで、当時のことを現在で言うのもなんだけど、ダメだぞとハラハラする。
入江若菜のPTA会長が作りこまれていてすっごい面白い。友達のメガネは所さんのギャグを真似する。藤田弓子が背中にゴキブリが入って発狂する場面も圧巻。
少女時代の母親が現れてまるで恋人のようにいちゃいちゃするというマザコン全肯定映画だった。いつキスしてもおかしくない状況だったのでハラハラした。
尾道の商店街が活気があって楽しそう。
瀬戸内に夕焼けはよく似合う
物語は後半に畳みかけてくるんやね💦
1時間ぐらいで修めてくれたらなぁー、、
この歳になって
『大林ワールド』がしみてくる。。
俺の「さびしんぼう」は、、
男の方がロマンチックやと思います。
(出張で尾道いった時
山の上からの景色も渡し船も乗ってみた。
また尾道行きたいなぁー)
別れのフェリーの場面
見よう見ようと思っていて、見てなかった。
若い時、「転校生」や「時をかける」を見て、
わざわざ尾道や竹原に行ったのに。
ついにBS12で見られました。
良かったですね。
もっと若い時に見ておけばと後悔。
富田靖子が別れを告げる夜のフェリーに乗る時
プレゼントの赤いリボンを落として去って行くのが
気になりました。
でも、最後に娘の弾くピアノの上に、
あのオルゴールが…
落としたリボンは彼女の心を象徴しているのか。
だから、ハッピーエンド!
ジジイの勝手な推測です。
さよなら。ありがとう。またね。…さびしんぼう(=大林監督)
大林宣彦監督1985年の作品。
“尾道3部作”の第3作目。
寺の息子のヒロキは勉強嫌いで毎日母親や学校の先生を困らせてばかりの高校生。
カメラが好きで、望遠レンズ越しにピアノを弾く名も知らぬマドンナに想いを寄せ、いつしか“さびしんぼう”と呼んでいた。
そんな彼の前に、“さびしんぼう”と名乗る不思議な少女が現れた。ピエロのような白塗りメイクの“なんだかへんて子”。
ヒロキの母が“さびしんぼう”を叩くと自分が痛がり、ヒロキの母の事を自分のように知っている“さびしんぼう”。
ふとした事でマドンナの“さびしんぼう”とも知り合う。
ふたりの“さびしんぼう”とヒロキの、交流と仄かな恋と、別れ…。
大林監督が本作に特別な思い入れがあるのは見れば分かる。
まず、タイトルの“さびしんぼう”とは監督の造語。広島弁でわんぱく男の子を指す“がんぼう”を女の子に置き換えた造語とか。
それを基に構想し、『HOUSE/ハウス』の前後から映画化を熱望。
一応原作はあるが、原案程度で、ほぼ監督のオリジナル作。
開幕のスーパーにある通り、痛ましくも輝かしい、わが少年の日日に捧げた、自伝的作品。
だからか、ずっと舞台にしている尾道の風景も、群を抜いた美しさを感じる。
そこを舞台にしたノスタルジックな青春ファンタジー。
わが故郷と少年の日日へーーー。
我々映画ファンにとって、尾道は現実と非現実が入り交じるリリカルな世界。
コミカルなシーンは漫画みたいなドタバタだが、誰にも覚えあるやんちゃだったあの頃を思い出させ、愛おしい。(それにしても、こんなにキ○タマを連呼する映画もそう無いのでは…?(^^;)
ふたりの“さびしんぼう”との別れのシーンは本当に切なく、涙ナシには見れない。こういう出会いと別れがあっての青春。
コミカルなシーンは映画的に楽しく、切ないシーンはまるで詩の如く。
それを、ショパンの『別れの曲』が情緒たっぷりに。
冬の尾道が舞台だが、温もりを感じる。
ラストもとても温かい。
『転校生』が大林監督心の映画ならば、本作は大林監督自身の映画。
やはり、尾道映画では一番好きだ。
『転校生』では女の子演技、『時をかける少女』では引き立て役。本作では実質主役で、尾身としのりの自然体の好演。
そして勿論、大林映画=ヒロインが輝く映画。
富田靖子のKO級の魅力!
麗しの“さびしんぼう”と不思議で快活な“さびしんぼう”の一人二役。
どちらも最高だが、敢えて指名出来るなら(←コラッ!)、快活な中にも悲しさ滲ませる後者の“さびしんぼう”。
他キャストもこれまでの尾道映画を彩ってきた面々。
無口だが優しい父・小林稔侍、学校の先生・岸部一徳、本物の親子のようにそっくりな樹木希林&小林聡美。尾身と小林と富田が集うシーンは、さながら大林版『アベンジャーズ』!?
中でも、母親役の藤田弓子。わんぱく息子に振り回され、顔を合わせればガミガミガミガミ勉強勉強!…の肝っ玉母さんだが、愛情深く、ひしひしと。
富田もそんな“母さん”を魅力的に。
男の子にとって母親はずっと理想の女性(ひと)。
ひょっとしたら本作は、大林監督が母親に想いを寄せた、究極のマザコン映画であり親孝行映画なのかもしれない。
“さびしんぼう”だった僕。
“さびしんぼう”だったあの娘。
“さびしんぼう”だったあの頃…。
いつまでも“さびしんぼう”では居られない。
いつかは“さびしんぼう”と別れの時が。
そして“さびしんぼう”は大人になっていく…。
我が家にあった監督作をかき集め、連日鑑賞。
『別れの曲』が奏でられる本作で一応の終わり。
でも、これっきりじゃない。
さよなら。
ありがとう。
またね。
は、母親に恋する…?
さびしんぼうが出てきてから、俄然話が面白くなって切なくなってきたと引き込まれて、最後の雨の中でのお別れもクドいのに感傷的になる。でも、その後すぐに母親の昔の姿だったと知り少し拍子抜けする。
「男の子は誰でも母親に恋しているのよ」みたいなセリフを母親役の藤田弓子が主人公に言うてましたが、おっさんで感受性が疲弊しまくった自分にはちょっと気味悪く感じてしまった。
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