「 「処女やなかった」とか文句を言ったがたいそう喜んでいた。西陣問屋...」五番町夕霧楼(1980) kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
「処女やなかった」とか文句を言ったがたいそう喜んでいた。西陣問屋...
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「処女やなかった」とか文句を言ったがたいそう喜んでいた。西陣問屋の竹末(長門裕之)によって水揚げも終り、いきなり一見客を取る夕子。そして、予定通り正順がなけなしの金で逢いにくる。水揚げ代が2万円で、一見客として300円(鳳閣寺の修行僧の月の小遣いが100円と言ってた)。そこで幼馴染として思い出話に花が咲く。正順は幼き頃、夕子が木から落とした蛇によって吃音が始まったとか・・・そして、「汚い!」と夕子を蔑んで、抱かずに帰った正順であった。
なぜか鳳閣寺。映像は金閣寺で、最後の放火、炎上するシーンは模型を燃やしている。ヌードは終盤、金閣寺の本堂で抱き合う松坂と奥田のシーンのみ。乳は見えないが、下半身には修正が施されている。回想シーンの幼き2人にも修正が・・・
権力によって作られた金閣寺と、純粋に禅の教えを学びたかった正順にとっては住職にも幻滅し始めていて、放火へと繋がる。夕子とは純愛を貫き、郭の中では関係を持たなかった。
純愛と宗教、相容れない要素が放火につながると考えれば、ちょっと許せない。たとえそれが権力の象徴だとしても、文化遺産の価値は大きいものだ。カタルシスなんて要らない・・・
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kossyさんのコメント
2019年11月24日
asicaさん、コメントありがとうございます!
三島金閣寺のアンサーとして書かれた水上作品。
金閣寺も読まずに映画だけ見たという怠け者です。
三島金閣寺の放火に至る気持ちには共感しかねまする・・・