「京都の造り酒屋」小早川家の秋 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
京都の造り酒屋
ウィキペディアの概要を要約すると映画のポイントは、関西が舞台、松竹の小津安二郎が唯一東宝でつくった映画であること、濃厚な死生観の三つだと思います。
京都の造り酒屋小早川家。経営は斜陽にあります。その大旦那である万兵衛(中村鴈治郎)と義姉を含む三姉妹(原節子・新珠三千代・司葉子)を中心とする話です。小早川の読みには濁点がつきません。東宝が小津を招聘し、いつもの小津組ではない役者をつかうことで変化を引き出そうとしており、冒頭から小津安二郎らしくない俳優と言える森繁久彌が出てきます。確かに小津映画の中にいる森繁久彌に強烈な呉越をおぼえました。
冒頭のシーンはカウンターのあるバーで、加東大介が森繁久彌に原節子を引き会わそうとしています。原節子は後家で、森繁久彌も寡男、双方連れ子をもっています。
森繁久彌は一計を案じ、たまたまバーで会ったようなふりをして、もし原節子が気に入ったら鼻をさすってサインすると言いました。そこへ着物姿の淑やかな原節子がやってきてふたりは「やあどうも」みたいな猿芝居をし、大いに気に入った森繁久彌は大げさに鼻をさすって「大オーケーや大オーケー」とすっかりのぼせますが、森繁久彌と原節子なんて想像できない夫婦ですし、その後も二人の話は進展せず、本編にも絡まない枝話で、いわばこれはコミカルに盛った映画の「つかみ」と言えるでしょう。
原節子が席を外したとき、森繁久彌と加東大介が、バーナーのような火加減のライターでたばこに火をつけるシーンがありますが、そこは本気で笑いました。
本編は東京物語(1953)に浮草(1959)を足したような話です。原節子は長男の未亡人なので東京物語と同じ立脚点です。万兵衛の妹役の杉村春子が死に対してさばさばしているところも東京物語と同じでした。万兵衛は浮草のように老いらくの恋をやって娘らをやきもきさせますが「ああもうこれで終いか、もう終いか」と言い残して頓死します。死生観と言いましたが、生のほうはまったくない話でした。
目を引く映画の特徴は暑くない夏であることです。ほとんどのシーンで、ほとんどの出演者が、扇子または団扇で「暑い暑い」と言いながら、じぶんか人をあおいでいます。しかし画から暑さは伝わってきません。登場人物のひたいにも汗滴はありませんし、だれの着衣にも汗染みはありません。
また人物の性根が純粋すぎます。ほかの小津映画にも言えますが、登場人物が全員まったくひねくれておらず、不可解な考え方というものが存在しません。同僚(宝田明)のお別れ会では清純そのものに歌を歌って壮行し、秋子(原節子)と紀子(司葉子)はまるで何も知らない少女のように結婚観について語り合い、父親が亡くなったら悲しくて涙を流します。一般に、世の中には、小津安二郎の映画に出てくるような単純な人間はいません。いや、いないこともないでしょうが、世の中には単純に見える事象はあまりありません。
さらに他の小津映画同様、人々は作為的に揃えたり並ばせたり動きを合わせたり配置を考慮された絵の中にいます。テーブルにはコカコーラやバヤリースオレンジのリターナブル瓶が林立しています。現実と比べてそれらを不自然だとするならこれほど不自然な絵もありません。
加えて他の小津映画同様、映画内で登場人物たちはこぞって小津が指導する能面演技を繰り広げているわけです。
しかし現実との違いがあるからといって小津安二郎の映画はリアルではない──とはならないわけです。映画のリアリティとは単純に現実的であることとイコールではありません。このことは大概の日本の映画監督が知らないことです。
映画小早川家の秋の核心をついているのは万兵衛の義弟役の加東大介が言う台詞です。葬儀でぼつりと言いました。
『人間というものは死ぬ間際までなかなか悟れんもんらしいですなあ。兄さんのようにしたい放題した人でもなあ。太閤さんでも死ぬときには「なにわのことはゆめのまたゆめ」って言いはったんですもんなあ』
題名の小早川家の秋は、小早川家の死という意味だと言えるでしょう。それを関西人の気質で語っています。謂わば東京物語の関西編です。英題はThe End of Summerで、話の本質をつかんだ英題だと思います。畢竟、秀吉の辞世の句はこの映画の副題のようにしっくりくるのです。
ただし映画はラスト10分以上が葬送シーンですが個人的には大仰に感じました。カラスや墓石によって死が強調され、コミカルなはじまりから落差がありすぎだと思いました。
また原節子が痛々しいのです。かつてじぶんは晩春のレビューにこう書いています。
『よく思うのだが外国人にsunny smileと評される原節子の笑顔は、個人的な見地だが、とても無理笑いであると、かんじる。
こんだけ無理な笑いもないだろう──ってくらいな無理笑いなひとだと思う。
なんか見ていて痛々しいのである。このひとが笑っているだけで、哀しくなる。
原節子が引退した理由は、演技をすこしも楽しんでおらず──ただわたしは家族をサポートするために、ながなが我慢して銀幕のスターをやってきたんだ──もうやめさしてください。というものだったそうだ。
1960年代に40代なかばでやめ、そこから半世紀経った2015年に95歳で亡くなるまでインタビューも写真も拒否し世界から永久に背をむけつづけた。
そして、そんな隠遁生活をおくるであろうっていう気配は、晩春にも麦秋にも東京物語にもある。なにしろ笑っているだけで痛々しいんだから、無理強いしている気がするんだから。』
個人的にこの映画でもっとも目を引いたのは若い藤木悠です。昭和世代ならよく見た俳優ではないでしょうか。この頃はすこし新井浩文に似ていました。
imdb7.7、RottenTomatoes100%と86%。