御金蔵破り

劇場公開日:

解説

高岩肇の原案を「風の武士」の野上龍雄と「ならず者(1964)」の石井輝男が共同で脚本を執筆、石井輝男が監督したアクション時代劇。撮影は「無法の宿場」の脇武夫。

1964年製作/93分/日本
原題または英題:The Safe-Breakers
配給:東映
劇場公開日:1964年8月13日

あらすじ

伝馬町の牢内で、緋牡丹半次は、煙りの富蔵と異名をとる大盗人と知り合った。富蔵は、向っ気の強い半次に、自分の若い時の姿を見る思いで、不思議な愛情を抱くようになった。釈放された半次は、新御番組、神谷帯刀に再会した。半次と帯刀は元同じ旗本であった。だが百俵十人扶持の貧しい家碌のために、権力にこびねばならぬ侍稼業に嫌気がさして、半次は市井にとびこんだのだった。その後帯刀は、筆頭与力目付役林肥後守に取り入り、今では、その娘婿として、将来を約されていた。勝ち誇ったような帯刀の態度に、半次は反感をもった。一方富蔵は、長年江戸城内の御金蔵破りを夢見ていた。富蔵から相談を受けた半次は、帯刀とのこともあり決意した。決行日は八月一日、この日は、徳川家康の江戸開府の祝があるのだ。だが肝心の絵図面が入手できない。富蔵は、花火師玉屋の一人娘おこうが、中臈なのを利用して、絵図面をものにしようとした。その役目をあてられた半次は、激しい情熱をもって、おこうの女心をゆさぶり、お局への道順を聞きだした。さて盗んだ金は大奥の下ごえをとりにくる肥たご船の樽にかくし運搬することに決った。万事準備は整ったと思ったが、おこうの乳姉妹おくめが、弥太五郎の乾分紋太の情婦で、二人の行動を弥太五郎に知らせたため、形勢は不利になって来た。また目明し勘兵衛も二人の後をつけていた。八月一日、御金蔵の警護は組頭に昇進した帯刀を中心に、厳重をきわめていた。弥太五郎たちも、金箱を横どりしようと、半次らのあとを追って乱闘となったが、ついに金箱はおわい船の中に納った。だが津田沼岸で待つ、富蔵と半次を前に、船は金の重味で沈んでいった。だがむしろ晴ればれとした富蔵は、罪の自責に、自から命を絶った。一方半次は、おこうと新しい生活へと出発した。

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映画レビュー

2.5もう少し、面白いかと期待したのですが、不発に終わる残念な作品です 元ネタは1963年のフランス映画の「地下室のメロディー」

2025年3月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

御金蔵破り

1964年東映京都、カラー作品
監督は石井輝男で何故か東映東京の人で時代劇の門外漢
主演は大川橋蔵
脇を片岡千恵蔵、朝丘雪路、丹波哲郎が固めます
もう少し、面白いかと期待したのですが、不発に終わる残念な作品です
元ネタは1963年のフランス映画の「地下室のメロディー」
カンヌのカジノの大金庫をたったの二人で破るというものを時代劇に翻案したもの
何しろ江戸城に潜入してその御金蔵を破るという具合だからわくわくします
アラン・ドロンを大川橋蔵に、ジャン・ギャバンを片岡千恵蔵に置き換えて配役しています
しかし元ネタの映画は大変面白いのですが本作は全く及びません
正直がっかりです

ショーグンの世界的大成功、国内では侍タイムスリッパーが大ヒットして、時代劇が俄かに注目されていますが、時代劇自体の持続可能性が危ぶまれています
でも考えてみれば、時代劇の持続可能性の危機はこれまでにもあったのです
例えば70年代の始め、日本の映画産業が斜陽化して、時代劇映画の大きな柱の一つであった大映が倒産した頃です
映画館の客足は60年代後半からテレビに押されてドンドン少なくなり、上映館もドンドン減ってしまい
結果、予算の掛かる時代劇の製作本数は激減したのです
しかし、テレビ時代劇は代わりに何本も作られ今から見ると黄金時代でした
だから時代劇の持続可能性の危機なんて考えられもしないといえるかもしれません
それでも当時は時代劇持続可能性への危機感ような空気があったようでそれが、新進気鋭の深作欣二監督を起用して「柳生一族の陰謀」を久方振りに大予算をかけて時代劇の大作が撮られたのだと思います
その作品は大ヒットしてその後何本も時代劇映画が撮られました
本格を忘れることなく全く新しい感覚を注入した作品として「魔界転生」や「必殺シリーズ」なども生まれました
そうして活況を呈したテレビ時代劇もやがてオイルショックやバブル崩壊でいつの間にかかっての時代劇映画と同じく予算がかかるコンテンツとして製作が敬遠されてしまい今の状況というわけです
しかも最後まで残った時代劇映画が偉大なるマンネリを売りとする作品だったようにコンテンツの疲労度も大きく、予算規模の大きさはさておき最早時代劇を何故今撮るのかという根本的な持続可能性の危機に瀕してしまったのです

本作はテレビ時代劇に押されて斜陽化を始めた映画界が時代劇映画の持続可能性に危機感を覚えて対策を取ったもっとも早い時期の作品かと思います
だから、フランス映画の翻案で、時代劇に縁の無い監督を現代的感覚の注入を期待して起用したのだと思います
本作は結果として失敗作でおわりましたが、こらが数年後に鬼平犯科帳として別の作品に進化していったのは確かだと思えるのです
本作があったからこそ、鬼平犯科帳など21 世紀にまで時代劇を持続させたのだと思うのです

翻って今日時代劇の持続可能性を考えるならば、本作と同じように
コンテンツの刷新、あるいは新しい要素の注入が必要なのだと思うなです
新しい要素と口でいうのは簡単です
エロ?グロ?
そんなものもう見飽きています
ノーサンキューです
何が時代劇に求められているのか?
それへの根本的な検討が求められているのだと思います

例えば行き過ぎたポリコレやウクライナ戦争への支援、世界経済に対する米国の最近の行動は,勧善懲悪に対する幻滅と欲求を世界的に巻き起こしてします
まるで幕末です
それは大げさに言えば西洋文明の没落と反省を意味しているのかも知れません
つまり時代劇はそのコンテンツ自体が西洋文明に対して相対的なものであって全く別の文明でも人類普遍の勧善懲悪への憧れを表現しうるコンテンツなのかも知れないと思うのです
西部劇も本来それに近い役割を持ったコンテンツでした
しかし時代劇と同様のコンテンツ疲労と米国流正義への不信感の果てに、米国人ですら、勧善懲悪のカタルシスを信じられないコンテンツになってしまったのだと思います
世界の大衆が新しい秩序を確立させて誰もが勧善懲悪を信じられる世界が実現された世界でのコンテンツを供給することが強く求められいるのではないかと思います
それこそがショーグンの大ヒットの根源的な要因では無かったかと思うのです

本作はこのような考察を始めた、きっかけになりました

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あき240