GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のレビュー・感想・評価
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全てのアニメーションを並べても頭1つ抜きん出てる
押井守は神
攻殻機動隊では、笑い男を主軸にしたシリーズが1番好きですが、これは別物、別腹
もう27年前ですか
考えられない
production IGの真骨頂
これだけのものを30年近く前に作り上げたなんて
恐ろしいくらいに素晴らしい
マトリックスに多大な影響を与えた作品として 知っていて、 実際に見...
これを見ないでマトリックス観るとか笑える
かの時には我が知られたる如く全く知るべし
紛れもない傑作。リアルだし面白いし美しいし斬新だし知的で論理的で…深い。
冒頭の外交官射殺でいきなり少佐がヌードになったのには、おいおいと思ったが、その後のハッカー追跡シーンで、
ジャンプした少佐がビル屋上に着地すると、鉄板が衝撃に捲れ上がるところ
ビルとビルの間の路地で水底にでもいるかのようなBGMの下、ハッカーが走り続けるシーン
…などでいっきに魅せられてしまった。
面白さのあまり何度も何度も観て、ふと考えると実は内容をあまり理解できていないことに気づいた。
さまざまな省略や謎めかし、仄かしに満ちた作品だし、原作で周知らしい知識がないと分からないところもあり、謎は枚挙に暇がない。
中でも最大の謎は、アイデンティティの希薄化に悩まされている少佐が電脳知性体と一体化して、アイデンティティそのものを譲り渡してしまった箇所だ。
新たな生命体の中で、少佐のアイデンティティはどうなったか、少なくとも本作の中では示されていない。
電脳生命体と一体化したから、新たなアイデンティティを獲得して悩みから解放された、ではあまりにイージーではないか。
それに、これではボート遊びのシーンの幻聴や、最後の少佐のセリフの意味に齟齬が生じてしまう。
つまり、本作では新約聖書コリント前書第13章の引用があるが、これを前後関係を整理して並べると、次のようになる。
「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思うことも童子の如く、論ずる事も童子の如きなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」
「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり」
これだけでは、成人したので子供の悩みはなくなった。しかし、まだ朧気にしか見えないとなり、問題が解決したように見えないのである。
恐らく押井は、本作のテーマに付いて来たいなら、あとは自分で調べなさいと言っている。
…そう、答えはそこに見つかるのだ。
コリント前書の引用された言葉の後には、次の文言が用意されていた。
「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」
ここにたどり着いた時、押井は全面的なアイデンティティの相互了解、つまり少佐の悩みが完全に解消されたことを暗示して本作を終えたと知った。少佐には間違いなく「かの時」が訪れたはずである。
人の定義、人の幸せとは
BEASTIAで観ましたが、リマスターなのか26年前の作品とは思えないほど、普通に映像が綺麗でした。
テーマとして人の定義というのが大きく関わってくると思うが、ここではゴーストと呼ばれる人の意識や自我というものが、その人の知識や記憶から成り立っていて、そうであるならば、ロボットやネット自体が独自の自我を持つことでそれが人とどう違うのかという葛藤などが描かれていたように思う。
近い将来、仕事や家事がAIやロボットに代わられ、人も人工的な臓器が体に入ってくる未来がすぐそこまできているが、そうなると、この映画のように、人の存在価値や生きる意味についてが曖昧になり、人の幸せとは?私の生きる価値とは?という悩みが出てくる。
人は幸福になるためにこれだけ便利な世の中を目指したはずなのに、本当に人は幸せになったのか?
そういう問いかけをこの映画に問われている気がしました。
改めて「説明の上手さ」に驚かされる
IMAX見れず、泣く泣く通常スクリーンで。
何度も見たけど、久しぶりの鑑賞。
世界観やテーマに目が向きがちな作品だが、改めて思い知らされるのが、細やかで丁寧な作りぶり。
理路整然と情報を出しながら、物語や説明のつなぎを省かず、情感でごまかすことなく。説明的なセリフはうまく物語に溶け込ませ、全体の構成は無理・無駄のないスマートな仕上がり。
まぁつまるところ、説明が本当に上手い、ストーリーテリングが極めて巧みだ、ということ。
これだけ小難しい話を、ここまでわかりやすく、しかも物語としての魅力を保ちつつ、という凄み。設定的にはものすごくSFなのだが、「まるでフィクションでもないかもな」と思えるのは、見ている側が“しっかり分かっているから”という点が大きい。
説明が上手いから、短い時間で物語が大きく展開しても、見ている側を置いていくことがない。難解なイメージを持たれがちだが、その実、とても親切な作品だと思う。久しぶりに見て、改めてマスターピースである理由を痛感。
去年、ジブリが劇場公開されて「ナウシカ」を見た時にも思ったのだが、この頃の宮崎駿と押井守は、ストーリーテリングの巧みさという点で、根本的によく似ている。
懐かしい作品
初めて観たのは何年前か忘れましたが、映画館で観れるのは本当に嬉しいです。相変わらずの哲学的な思想や退廃的な街並み ギャグがないどころかほぼ笑顔のない登場人物達 必要な説明をしないセリフ 技術を派手な方向に使わないアクション 無国情緒溢れる音楽。普遍的な無常感。渋いです。
人格を乗り移せる義体もデザインをもし自由にできるなら、要はこれアバターなんですよね。そういう意味でも自分だけでなく、現実と仮想現実の世界が曖昧になっていってるっていう。昔観た時は身体と心はなんとなく別々に捉えてたんですが、今は心は世界に引っ張られるというか。年齢も知識や経験といった心だけでは保持できないと感じてます。それは不自由な発想ですが、この年でないと実感できなかったことかもしれません。そう考えると素子の最後のセリフも、ネットも含めてこの世界は広大だし何処にでも行けるんだなと思いました。
その上で一番刺さったのは 人間が親から子供に記憶を移せないのは、人生の大半を間違えているからといったラインでした。渋いです。
広大なネットの化身のような人形使いも 意外とおしゃべりだったり 素子を探し回って一緒に成りたがったり。嘘がつけない分本音に忠実で、頭良いの追求すると馬鹿になんだなってのが とても可愛いらしいですね。甘いです。
劇場で見れる幸せ
さすが、マトリックスの元ネタ。先進性が尋常じゃない!!
この作品は、どうしてもビデオではなくスクリーンで観たかったので、まさに「待ってました!」の上映だった。
いつかはリマスターのリバイバル上映があると思っていたが、95年に見逃して以来、25年以上もかかってしまった。
95年に見逃したのは、80年代後半のAKIRAアニメ版で、手書きアニメの表現力に限界を感じたのが原因で、特にSFモノは、CGが格段に進歩するまで殆ど見る気になれなかった。だが、やはり、この作品は観ておくべきであった。
実際、CGも多少は入ってるようだが、あの圧倒的な情報量とリアリティを殆ど人力だけで作り上げたというのは、本当に凄い。
今回の4Kリマスターは、押井さん本人も、画像が精密になり過ぎて粗が目立つのでは?と心配だったようだが、むしろ手仕事の良さの方が前面に現れていて、その予想以上の仕上がりには、ご本人もとても満足だったようだ。
確かに手書きセルゆえの線の太さは否めないが、しかし、そんな物理的な制限を超越しようとする当時のアニメーターのバカテクぶりには、本当に圧倒された。
しかも、あれだけの密度と気が遠くなりそうな情報量にも関わらず、実際の作画期間は正味3カ月なかったらしい。
本当に驚異的としか言いようがない。
驚異的と言えば、もちろん今更言うまでもなく、本作品の先進性は本当に凄い。
なんと言っても、あのマトリックスの元ネタだ。
冒頭から会話に出てくる「バグ」にしろ「デバッグ」にしろ、今や当たり前に使っている「ネット」や「ハッキング」にしろ、あの時代にリアルタイムで見ていた人達は、殆ど「ポカ〜ん…」だったのではないだろうか?Windows 95 ですら、まだ発売直前の時代だ。
特に生命体を主張する人形使いが放ったあの台詞…
「DNAもまた自己保存のためのプログラムにすぎない…(中略)コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなた達はもっとその意味を真剣に考えるべきだった」などのくだりは、先進性を通り越して予言的ですらある。
これが95年というのは、本当に凄いのだが、原作は更に前だ。凄すぎる。
当時、リアルタイムで観ていたら、その数年後のマトリックスを見ても、別に「ふ〜ん、パクリか…」といった感じだったに違いない。
ただし、プロット的には、部分的に全く腑に落ちない箇所も幾つかある。
❶冒頭で、人形使いの正体を知った某国の外交官を射殺するのは外務省としては都合がいいが「プロジェクト2501」の事を明かされていない9課が、そこまでの任務をする理由が明示されてない。
認定プログラマーの国外への拉致誘拐の容疑だけで射殺は有り得ない。
❷ガベル共和国の前政権の親玉(らしき人物)と接触した人形使い(おそらく6課の仕込んだダミー)を強行突入により捕獲したはずが、その後、何も無かったかのようにストーリーは進む。
本来ならここは、外務省が画策したはずの「元指導者が人形使いの協力で、会談を潰そうとしたが、それを事前阻止し、世論にアピールした」という自作自演のシナリオを見せて、捕獲した人形使いはダミーだったとすべきでは?荒巻部長の台詞「人形みたいな奴だ」が暗に示唆しているが、あれだけでは説明不足だ。
❸戦車のハッチを義体を壊してまで開けようとするが、片腕だけで操縦士を仕留める流れであれば、そこはキッチリ決めるべき。バトーの到着なしでは自滅行為だったのであれば、ここは御都合主義に見えてしまう。素子の義体を壊すシーンが、どうしても必要だったのだろうが。
そして、素子と一体化しようとする人形使いとの会話が始まった時点で、素子の声色が変わっていたが(自分の脳が他者に制圧される事への不安?)これは少し演出過剰だった気がする。
それにドラマとしては、電脳クライム・サスペンスとして見せつつも、その一方で素子とバトーと人形使いとの三角関係の映画だったりするのだから、もう少し素子には女を見せて欲しかった。
バトーが後ろから見ているのを分かっていてウェットスーツを脱ぐシーンなど、あまりにエロスが無さ過ぎる。
あえて一線を越えようとしないバトーを揶揄い挑発する風情も微量ながら必要だったはず。
キャラ的に女要素の絶妙なバランス配分は難しかったかもしれないが、それこそ演出の見せどころだったのでは?
全体が素晴らしすぎるゆえ、以上こういった所は結構、残念ではあった。
とまあ、色々そんな部分もあったりするし「自分の記憶は本当に自分のモノなのか?自分を自分たらしめているモノとは一体なんぞや」という問い掛けは、既にブレードランナーでもあったりしたが、それにも増して、この作品が映像作品として到達したレベルが、前人未到の域であったのは間違いない。
ラストの台詞でも引用されていた「コリント人への第一の手紙」第13章だが、最終節は以下となっていた。
「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」
素子が人形使いと融合した瞬間、祝福感に満ちた天使のシルエットが舞い降りてきたが、あの瞬間、まさに素子は、人形使いとの融合を経て、全能なる何者か、あるいは全世界と自分との一体感を予感したのだろう。
それは、古来の生命誕生の際から世界を世界たらしめているモノ(例えば神)に対する「信仰と希望と愛」の予感だったのかもしれない。
しかし、そこにはキリスト教的なるもの(神との契約)は感じられない。
当然といえば当然。契約を結べば、そこには制約が課せられるのだから。
自分を制約しているものから解放されたい素子が新たな制約を望む筈もない。
但し、直観的に信じられる何ものかによって、希望や愛とでも言うべき普遍的な何かは発生したのかもしれない。
なんと言ってもアクセス先が、全人類のナレッジ全ての集合体なのだろうから。
そして以前から、人形使いはコリント人への手紙を通じて、最新の知識も技術もいずれは廃れるが、決して滅びない愛の概念を知り、己はAI(愛を知らないプログラム)ではないと言い切り(しかしAIとしての限界も知る事となり)この手紙を引用して、素子にボートの上から求愛(己の求めるシナリオへの誘導)をしていたのだろう。
己の破滅を回避するため、多様性を得るために生命体と融合したいというのも、実は本物の愛を知りたい口実だったのかもしれない。
融合直後に危機一髪でバトーに助けられるが、その直後、新たな素子の脳が一瞬見たのは、バトーの無償の愛だったのだから。
生命体(人間)として素子を求めた人形使い、自我(自分を制限し続ける自分)からの解放を願う素子、お互い進化への欲求があり、この二人の欲求が一致したブレイン・セックスであったからこそ、この異種配合によりアップデートされた素子は、ある意味、神に近づいたのかもしれないが。
この先も永遠に名作として世界中で語り継がれるだろう本作品。
まさに国宝として指定すべきだと思う。
以前見たときと印象の違い
私見
『ネットは広大だわ』
余すとこ無く造形美としての”とっ○れす”です 電脳なのだからもうジェンダーフリーなのにそこにメランコリックさを感じるのは自分だけだろうか・・・
IMAX鑑賞
こりゃ、実写化したくわるわ。
25年前!今こそ観るべき圧倒的傑作!
四半世紀のSF映画史を俯瞰するかのような鮮烈な映像とスコアに溺れる至福の85分
2029年の近未来、サイバーテロやネットワーク犯罪に対抗するために組織された超法規特殊部隊公安9課は国際手配中のハッカー“人形使い”が密かに入国したとの情報を入手、“少佐“こと草薙素子以下9課のクルーは捜査の網にかかった情報を追いある男を拘束するが、その男は記憶を“人形使い”に書き換えれて操られていただけだった。なおも“人形使い”を追う少佐達のもとに持ち込まれたのは高速道路で撥ねられた全裸のサイボーグ。彼女が語り出した話は・・・。
四半世紀ぶりの再鑑賞でしたが原作のエッセンスをギュッと凝縮したかなりシンプルな物語であることに少し驚きました。これでもかとブチ込まれている近未来描写のイメージの豊かさに当時圧倒されたことを覚えていますがその衝撃は今でも全然鮮烈。映像的には『ブレードランナー』や『ロボコップ』の影響が濃厚であることが見て取れますが、一方で本作の随所で挿入されるビジュアルが今度は『マトリックス』に多大な影響を与えたことも今となっては常識、本作がSF映画史において大変重要な作品であることを改めて思い知らされます。そして映像とほぼ同等に鮮烈なのが川井憲次によるスコア。『謡III - Reincarnation』が劇場を後にしてもなお脳内に響いていました。
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