劇場公開日 1961年8月13日

「渡り鳥シリーズだよね。良質のスピンアウトものです。」高原児(1961) みすずあめさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0渡り鳥シリーズだよね。良質のスピンアウトものです。

2020年11月22日
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鑑賞方法:DVD/BD

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大分県は久住高原。味噌汁ウエスタンの傑作のひとつ。昭和36年と言えば、浅草の映画館街の最後の輝きのときでしたね。浅草新世界ビルができて、界隈には露店が立ち並び、さながら毎日がお祭りのような賑わいでした。寿司屋横丁には、アーケードいっぱいに寿司屋があって、雷門通りには、西友の一号店。ここでおいらは、明治末生まれのはげちゃびんの我が愛すべき親父にホームランキャラメルをかってもらいますた。遊び場所はもっぱら浅草新世界の八階。ちかくの花屋敷のロケットぐるぐるは、本当に目が回って怖かった。木馬館では、もっと小さい時に母ちゃんに毎日のように、木馬にのせてもらったそうです。東武日光行きのデラックスロマンスカー、華厳号、鬼怒号が発車する、浅草松屋に続く、なかみせ通りの、端っこでは、どぶの泥の中に万年筆、いわゆる工場火災で倒産と言う、ナキバイ。もちろんサクラさんもいて、気の良いおやぢは、泥を拭いた、高級万年筆とやらを買い込んでいますただ。もちろん、スポイトでインクすいあげるやつね。ペン先なんぞは、18金な訳もなく、総金歯キラキラのおやぢは、そう言う企画モノが大好きで、イボもホクロも取れる、頭が二つあるハブから精製した、小瓶詰めの怪しい液体とか、面白がって買わされてますた。コレがアンモニア臭いのさ。どう見ても、胡散臭いモノばかり、人を集めちゃ袋の蛇は、猛毒で空も飛ぶちゅう、能書きをニコニコ聞いてるおやぢでしたね。トロリーバスで滝野川から、三河島経由で浅草六区もしくは、坂を下って大塚茗荷谷経由で池袋。近くには、飛鳥山。王子の駅近くにも封切館があるのに、わざわざ浅草まで、オイラや母ちゃんまで連れてってくれたのです。例の花屋敷では、小林旭のブンガワンソロが、威勢良く流れてますた。でね。波濤を超える渡り鳥。これは、王子の日活で見せてもらいますただ。橋幸夫の江梨子も、この頃。月光仮面は、巣鴨の地蔵通りの東映。わたりどりの初期ものは、新庚申塚と、大通りのクロスの2番館。角のフルーツ屋では、砕いた氷の上の冷やしスイカが、アセチレン灯に照らされていました。まあ、三丁目の夕日の世界そのもの。住んでたとこは、ちょい山の手の一丁目でしたけどね。通っていた学校は、宍戸ジョー、郷エイジきょうだいの母校とかで、ワイルドな悪ガキたちが跋扈してますた。その、オイラが大好きだった、おやぢが翌年、町屋の焼き場で、煙になって、母ちゃんが生まれ故郷に帰るという頃が、渡り鳥シリーズの最終作。『渡り鳥北に帰る』の上映ごろ。アキラあにいも人気のピークでしたね。この『高原児』は、『大森林に向かって立つ』同様、渡り鳥シリーズのスピンオフとしては、抜群の出来栄えでした。特に、ラストシーンは、ルリちゃんとの絶唱以来のデュエット。宇目の唄喧嘩。半泣きのるりちゃんが見送る中、夕陽に紛れて、夕焼けは赤い幌馬車が、アキラ節で流れる中を、エンデング。斎藤武市監督と、高村倉太郎キャメラマンは、本当に夕焼けを綺麗に表現できた名人芸。大盛せいたろうさんのトリオが、放った日活ミュージカル、無国籍映画の隠れた傑作だと思います。隅田川の水は、真っ黒で悪臭。空には大気汚染のスモッグで呼吸困難。そんな、オリンピックに向けての環境劣悪な都会から、空気の澄んだ、水の綺麗な田舎に連れてってくれた母ちゃんは偉大でした。まあ、空が高いこと。冬の星座が、おりおんかしおぺあ、北斗七星のおおぐま座まで、くっきりの夜空に感動したもんです、年明けてのサンパチ豪雪で、念願の、雪だるま。かまくら。ゆき合戦まで、漫画の中でしか知らなかった、未知の新世界に感動していました。あのまま東京なたへばりついていたら、どうなったか?と思うと、人生の分岐点での、母ちゃんの選択は見事なまでのgood判断。お陰様で、テレビに毒されることもなく、健康に大学まですんなり進ませてもらえますた。東京は、あこがれの場所として日本中から、人が集まり続けていた中、逆に、雪国の田舎にと言う、渡り鳥故郷に帰るを地で行った親子は、マザコンのまま21世紀まで、96歳の母親と一緒にいることができて幸せでした。そういう意味で、この映画『高原児』は、特に思い出深い作品です。

みすずあめ