「「ひろしま」にあって「原爆の子」にないものとは? そして広島サミット」原爆の子 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
「ひろしま」にあって「原爆の子」にないものとは? そして広島サミット
1952年8月公開
原作は1951年に刊行された「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」という作文集です
編纂したのは広島大の学長の長田新(おさだあらた)
原爆投下時は広大の教授として被爆し重傷を負った人物
1952年4月、日本は独立を回復しました
GHQの検閲による原爆についての表現のタブーが解けたことをうけて、早速同年8月6日この作文集を原作にして本作が公開されたという訳です
監督、脚本は新藤兼人
まだ3作目ながら新進気鋭と評価がその当時から高い監督でした
その後、名監督として世界に名前が轟いていくのはご存知の通り
素晴らしい作品です
日本人だけでなく世界中の人が観るべき映画です
同じ原作で「ひろしま」という映画が本作の公開の翌1953年10月に公開されています
本作に当初協力姿勢を示していた日教組が本作の製作の方向性に強烈な不満を示し、別個に映画化したものです
そちらと本作を続けて是非一緒にご覧になるべきと強くお勧めします
「ひろしま」には本作に無いものがあります
それは原爆被爆直後の地獄絵図です
初めて広島の平和資料館を見学して受けた衝撃と同等以上のものを受けると思います
公開当時とは比較にならないほど、特撮やCGが発展した21世紀でも、その作品には及ばない迫真性があります
それは本当に体験した真実の記憶をそのまま再現したものなのだからです
それは本作に一切ありません
物語は終戦の7年後の夏休みから始まるもので、被爆直後の回想シーンは殆どありません
そしてもう一つ「ひろしま」あってに本作にはないものがあります
それは憎悪です
「ひろしま」には憎悪が溢れています
原爆への憎悪
放射線への憎悪
原爆症への憎悪
そして原爆を投下した米国への憎悪です
ことにそこに重点がおかれています
憎悪は憎悪を呼びエスカレーションしていきます
最終的には再び原爆投下へ至る道です
「ひろしま」は原爆を憎むあまりそういう映画に残念ながらなってしまっているのです
しかし、本作には憎悪はありません
ただ悲しみがあります
そしてその悲しみを乗り越えて未来を作って行こうという前向きな希望があるのです
本作は「ひろしま」が訴えようとした怒りや憎悪を静かに胸の中に飲み込んで、そのような高みにまで昇華させているのです
だからこそ本作は大変に抑制的な演出なのです
本作「原爆の子」と「ひろしま」は同じ原作の表裏一体の作品です
二つで一つと言って良いかも知れません
片方だけでは不足なのです
2023年5月、G7 広島サミットが開催されました
戦争中のウクライナからゼレンスキー大統領も駆けつけたことで歴史に刻まれたサミットになりました
世界の首脳が平和資料館を訪れ、原爆慰霊碑に献花黙祷をなされました
広島の被爆は、日本の話ではなく、世界の話になったのです
憎悪の連鎖は、原爆の応酬への道です
「過ちは繰り返しません」とは、そういうことだと世界の首脳の方々が悟り心に誓われて各国にお戻りになられたのだと信じたいです
2023年6月、広島サミットが終わった後、本作を観なおしてから改めて原爆ドーム、平和記念公園、平和資料館を訪れてそう思いました
本作と「ひろしま」を観たなら「二十四時間の情事」も併せてご覧になられるべきとお勧め致します