「ユカの姿の耽美さ」月曜日のユカ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
ユカの姿の耽美さ
<映画のことば>
「日曜ってのはね、家族サービスの日なんだ。家族と歩くから、日曜は楽しいんだ。お前とじゃあ、日曜はダメさ。」
「あたしとでも、日曜はダメなの。」
「日曜は、家族と過ごすものなの。」
「いいわ。日曜がダメなら、あたしは月曜日。」
クラブ「サンフランシスコ」の客同士の間柄ということで、ユカとパパとが、どんなきっかけで付き合うようになったのかは、本作が詳しく描くところではなかったと思いますけれども。
港町(横浜)、外国船も入港、世界の文化・文物に触れることのできる土地柄、その「浜っ子」としてのユカの開明的・開放的な性格も、下地にはあったのかも知れないと思いました。
評論子は。
しかし、いかに「パパ」とはいえ、本当の父親ではなく、しょせんはクラブの客同士の間柄。
商取引の成功のためには、簡単にユカを「供出する」ような挙に出ることからも、それは明らかというべきでしょう。
反面、ベッドを共にすることは差し支えないけれども、子どもの時分に牧師から固く止められたから、キスは絶対にダメというユカの考え方も、面白いとは思いました。評論
子は。
牧師の戒めは、たぶん(夫婦の間柄になるのでなければ異性と)キス以上の関係を許してはいけないということだったのだろうとは思いますけれども。
ユカ自身も、パパとの間では得られないことはアタマでは理解しながらも、やはり人間的な関係性を築くことのできる「誰か」を模索していたー。
あたかも暗がりの中で見失ってしまった何かを手探りで捜すように。
(上記の牧師の諌めも、その言葉・字面どおりそのものに受け止めている、その素直さということも含めて。)
パパとの関係を維持しながらも、なお修とも関係性を模索していたのも、そう考えると、彼女の心情としては、納得がいくようにも思われます。
会社を経営し、それなりに富裕であった「パパ」との関係も、年齢的には近しい(それ故に価値観も近しかったであろう)との関係も、ユカには、どちらも捨て難かったのだろうと思いました。
評論子は。
そう受け止めてみると、評論子には、本作は、哀れな(?)ユカの心情が、とてもとても心に痛い一本で、充分に佳作としての評価に値するものでもあったと思います。
(追記)
本作は、モノクロ映像の作品なのですけれども。
モノクロで撮影されているからこそ、馴染みの中年客とベッドを共にする時のユカの下着姿が、いっそう鮮やかです。
おそらく、暗赤色なのではなく、そのものズバリ黒のビキニの下着だったのだろうと、密かに推測しました。評論子は。
この時代に、こんなに耽美的(?)な作品が撮られていたことに、驚きと敬意とを感じます。評論子は。
(追記)
この当時から、水商売の女性が男女の関係を結んだら客は「パパ」だったのですね。
元々は「パトローネ」が語源のようですけれども。
(追記)
「日曜日は家族サービスデー」なんて言われても、もはや「死語」なんじゃあないでしょうか。それは。
「モーレツ社員」(これも死語?)のサラリーマンが、夜討ち朝駆けで働いていた、高度経済成長期のお話しで、ワーク・ライフ・バランスの昨今は、「家族サービスデー」何て言うと、むしろ「家族で利用すれば料金が割引になるサービスデー」という意味に、今日日では受け取られてしまうのではないでしょうか。
時代の流れを感じます。評論子は。