国定忠治(1958)

劇場公開日:

解説

行友李風の原作を、「新選組(1958)」の高岩肇と「血汐笛」の結束信二が共同で脚色し、「血汐笛」の小沢茂弘が監督した、「新選組(1958)」の片岡千恵蔵が忠治を演じるお馴染の股旅もの。撮影は「新選組(1958)」の三木滋人。出演者はほかに「新選組(1958)」の里見浩太郎・月形龍之介・長谷川裕見子・進藤英太郎など。色彩は東映カラー。

1958年製作/59分/日本
配給:東映
劇場公開日:1958年8月27日

ストーリー

上州国定村の長岡忠治は関八州の十手に追われ、赤城の山にたてこもった。上州百三十カ村の窮状を見かね、悪代官竹垣を斬ったからだ。十手をあずかる御室の勘助は忠治に同情的だった。が、彼を叔父に持つ、板割の浅太郎は他の乾分から親分を売ろうとしたと責められていた。その夜、浅太郎は秘かに山を降り、帰ってくるると、勘助の首をたずさえていた。「浅をいつまでも親分のそばに置いてくだせえ」勘助のかたみ・勘太郎坊やだけが無心に笑っていた。明月の赤城山は無数の捕方に囲まれた。乱闘。乾分は次々に死に、浅太郎までも倒れた。「勘坊だけはやくざにしねえで……それが叔父貴の遺言でござんす」忠治はうなずくと、勘太郎を背に信州路を落ちのびて行った。白鷺の湯場へたどりつき、昔の仲のお仙を訪ねた。今は料理屋“三日月”のおかみは暖く迎えたが、忠治はやはりだまって消えようと思った。乾分の名をかたる三人組があり、捲き上げられた金を取り戻してやったのを機に、お仙は勘太郎をあずかることになった。お仙の心尽しの路金をふところに、忠治は彼を呼ぶ勘太郎をそのまま、闇の中に消えて行った。--忠治は権堂町へさしかかった。ここには十手をあずかるかたわら、女子供を売買する悪親分、山形屋藤造がいた。忠治は宿で百姓喜右衛門が首をつったのが、貧しさに娘お芳を売って得た百両を山形屋が奪いとったからだと知った。彼は百姓姿に化け、山形屋へ乗りこむ。やがて居直って大見得を切る。「この面によく似た人相書の二枚や三枚見たことがあるだろう」彼は山形屋から百両はもちろん、娘も二分の内金で身受けして喜右衛門に返してやった。街道はずれで、藤造が追手をかけてきた。彼はたちまち三十人を斬ったという。血を吸った小松五郎義兼が月を映した。「俺の生涯の道連れは手前だけだなあ」月明りの松並木を、忠治の影が遠ざかっていった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0ドリフのコントで知っていた名台詞や名シーンの「本物」に出会て胸アツ!!

2023年12月26日
PCから投稿

泣ける

単純

興奮

三度笠の旅姿で月夜の赤城山中で「赤城の山も今宵がかぎりっ」と別れの向上を
芝居ががって台詞をいう志村けんとか
「 ああ雁が鳴いて南の空へ飛んでいかあ」と志村けんがいうと(カアカアと雁ではなくてカラスが鳴くギャグ)とか
刀をふりかざしながら「俺にゃあ生涯手前という強い味方があったのだあ~」とか…。

これ、何の物真似だったのか
戦前戦後日本で大人気だったお芝居の「国定忠治」親分のお話のパロディだったんですね。

映画化もたくさんされているようですが、なんとなくは知っていたけれども、ちゃんと国定忠治のストーリーを知ろうと思ったら、「国定忠治を見るなら、1958年版がおススメだよ」といわれましたので、1958年版の、主役が大河内傳次郎さんという、戦前から活躍する日本の映画の創成期を支えた超大物の時代劇俳優さん、三船敏郎さんが出てくるずっと前の方ですけれども、日本映画史でも超がつくくらいのグレイトな俳優・大河内傅次郎さんが忠治親分を演じる「国定忠治」を観ました。

殺陣のシーンが圧巻すぎる!
チャンバラが、早い! 出演者全員剣の達人なんでしょうね。
デビュー仕立ての若い里見浩太朗さんもご出演されていて、任侠の世界にいるけれども、まだ若くて頼りない若者を演じています。

里見さんハンサム!
キレイなイケメン~♪

そして、剣が早くて、すごい!んです。
1950年代の時代劇は、当時はまだ江戸時代に生きていて、江戸時代のことを覚えている人達もいた時代なので、昔の所作が完璧で、タイムスリップして江戸時代の世界をのぞき見してるような気分になります。

それと、どうして国定忠治のテーマソングが「赤城の子守唄」で、どうして任侠の親分の話なのに、子守唄がテーマソングなのか、今までさっぱり訳が分からなかったのですが、ちゃんと映画を観て、理由がわかりました。

これは泣ける!
もしかして「子連れ狼」は国定忠治のストーリーを参考に作られたんじゃないでしょうかね。ついでにいうと、マーベルの「ボバフェット」がグローヴを連れているのも、私は日本の時代劇の「子連れ狼」にヒントを得てると読んでいますが、古い映画は後世の映画に多大な影響を与えて、とくに日本の時代劇はハリウッドの人たちにも愛されているそうですから、ハリウッド映画が好きな方は、日本の古い時代劇を掘り起こして観てみると、新たな発見があっても面白いのではないかと思います。

という意味では、この国定忠治は要チェックで、観ておいた方がいい作品だと思いました。

また、任侠(というとヤクザ)ですけれども、どうして国定忠治親分の話は人気があるのか、任侠でも弱い者の味方で、強くて悪い奴を徹底的にやっつけてくれるので、観てると、勇気が湧いてきて、「親分さんが令和の時代にタイムスリップしてくれたらいいのに」と、ちょっと夢想してしまいました。

令和の日本では「鬼滅の刃」が流行っていて、少年が鬼退治に奔走しているストーリーが流行っています。昭和の時代は、まだ「親分さん」が弱い人達のために立ち上がって、ちゃんと鬼退治してくれてたんですね。若い衆も頑張って鬼と対峙して闘ってくるけど、手ごわい鬼は退治できなくて悔し泣きしながら戻ってきて、そしたらちゃんと親分さん、ちゃんと話をきいて、ふてえ野郎だと分かったら、親分さんが自ら出かけていって、ちゃんとやっつけてくれるんです。

鬼滅でいうと「柱」が親分さんの代わりをつとめてるのかな…という対比をしてみますが、国定忠治親分は、鬼滅でいうと、産屋敷耀哉のポジションだと思うのですが、産屋敷さん、なかなか現場に出ていきませんね。

令和の若い日本人は「キングダム」や「ゴールデンカムイ」や「鬼滅の刃」などを好んで観ています。闘いたい気持ちが高まっているんじゃないかと思います。「弱い者いじめをしてるやつらを誰かにやっつけてほしい」という願いや、「どんなに努力してもがいても、自分の人生がちっとも良くならない」という現実に怒りをもっている人が増えている現れではないでしょうか。

弱い者イジメをする人を退治してくれたり、やむなき理由で、人の道から外れてしまうくらい追い詰められた人を家族として受け入れ、食事と寝る場所を与えて、ともに生きていこうする忠治親分は、非行少年や問題児の親がわりを買って出て、彼らの悩みを受け止めながら、ともに生きる徳の高い人なんじゃないかとおもったりしました。任侠の人達は十手持ちを兼ねている地域もあったんだそうで、「任侠とヤクザは似て非なるものだ」という話を聞いたことがありますが、国定忠治をみていると、なぜ「任侠とヤクザは別ものなのか」を理解することが出来ました。

私もいい年ですが、たまに性格の悪い人から、意味もなく人格攻撃を受けたりします。度を越している場合は縁を切ったり、言い返したりしますが、嫌がらせをしてストレス発散をして生きていたり、卑怯なことをして自分が得をするように
不正に仕事を操作してる人は実在します。忠治親分の話をみていたら「泣き寝入りしないで、ちゃんと闘おう(※ただし暴力はつかわずに)」という気持ちになったので、がんばって勝ちました!

メンタルを強くしたい人にはいい映画だと思います。

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山川夏子
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