銀座の恋の物語のレビュー・感想・評価
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主題歌が有名なだけはある。ハッピーエンドがかなり嬉しく感じる映画
蔵原惟繕 監督による1962年製作(93分)の日本映画。原題:The Love Story of Ginza
配給:日活、劇場公開日:1962年3月4日
意外だが、熊井啓の脚本ということで視聴。
事故で記憶喪失となっていた浅岡ルリ子が、画家志望の石原裕次郎が描いた自分の絵を見ても全く記憶が戻らないが、主題歌「銀座の恋の物語(鏑木創作曲)」のメロディを聴いて記憶を全て取り戻すという展開は、結構シビレタ。まあベタだけど、上手い脚本(山田信夫、熊井啓)で、昔カラオケスナック等でこの歌をよく聞かされた理由が、良く分かった気にもなった。
記憶失くしたルリ子の仕事場として松屋が登場するが、それも含めた当時の銀座の風景が、ロケも行っており、かなり興味深かった。ただ裕次郎が絵を描き、友人ジェリー藤尾がピアノで曲を作っていた狭い部屋や路地の佇まいが、銀座というより映画で見るニューヨーク下町のイメージであった。
浅丘ルリ子の衣装は森英恵によるらしく悪く無いが、それ以上に勇次郎の色使いがお洒落な服装(遠藤千寿テーラーによるらしい)が、印象に残った。あまり感じたことは無かったが、カッコ良いとも感じた。ただ、裕次郎が描いたという絵が数点登場するが、どれも妙に暗い色彩で、イマイチに思えてしまった。
歌手で当時高倉健の妻でもあった江利チエミが二人を見守る新米婦人警官役で出演し、歌も歌っていた。一方、ジェリー藤尾は歌は無し。ルリ子の友人役でメガネかけた和泉雅子、あと清川虹子が焼き芋屋台のオバチャン役で出演。
監督蔵原惟繕、脚本山田信夫 、熊井啓、企画水の江瀧子、撮影間宮義雄、美術松山崇、
音楽鏑木創、録音福島信雅、照明藤林甲、編集鈴木晄、スチール井本俊康。
出演
石原裕次郎伴次郎、ジェリー藤尾宮本修二、浅丘ルリ子秋山久子、江利チエミ関口典子、清水将夫春山、深江章喜沢村、清川虹子お松、高品格武さん、牧村旬子柳井樹理、河上信夫源六、三崎千恵子秀子、和泉雅子キン子、南風洋子銀座屋のマダム、新井麗子須藤女史、守屋徹橋本、織田俊彦尾形、千代侑子弘美、金井克予千枝、星ナオミ芸者、小島忠夫トランペットの青年、木浦佑三佐藤、下絛正巳医者、神山勝男A、古田祥男B、林茂朗男C、山之辺潤一刑事、峰三平月賦屋、花村典昌吉本、松下達夫部長、井上昭文東北弁の巡査。
節度は保っていた日活映画
このタイトルの歌はテレビでもよく流れていって今でも有名だと思うが、NHKBSプレミアムで録画して、映画は初めて観ている。私が生まれる5年前。この文章を書いている55年前の映画ということになる。私が生まれる前。私はそれから今まで、いくつもの分岐点があったはずだが、光り輝いてきたとは言い難い人生を送ってしまった。そんなことを言えば今の周辺に失礼だが、こうした映画の内容にしても、よくみれば主人公にしても、デザイナーの日々の仕事での苦労話から始まるが、交際相手は庶民的なミシンで服を製造する工場の工員である。主人公は石原裕次郎、ヒロインには浅丘ルリ子、裕次郎の友人の音楽家にジェリー藤尾。江利チエミが小唄のような歌をジャズに乗せて歌うシーンがあるが、こうした無国籍的な感じがこの頃だったのか。ヒロインが劇場のライトで、空襲を思い出したといって気分が悪くなるシーンがある。昭和37年だが、その当時の若者の子供の頃に戦争体験があったような時期であったのか。戦争の影がこの映画にも引きずられていたのか。テレビが進出する時に、アナログな絵を描き続けたいという信念を持つ青年が主人公と言うことか。その後、ネットまで現れる予想はこの頃は無かっただろうが、テレビという新しい情報発信する場所が大きな影響をこうした人達の仕事にも影響を与えていったか。露骨な描写はみせないが、婚外交渉している事前事後のような描写があり、ここら辺が日活がロマンポルノに行ってしまう予兆があるのかどうか。主人公は自分自身でデザインをしていたが、デザイン会社にスカウトされ、渋っていたが入社する。江利チエミのミュージカル風の出番がけっこうある。浅丘ルリ子のの若い頃のルックスは坂口良子辺りに引き継がれた感じか。坂口のほうが早く亡くなってしまったが。セリフに「待たせるもんじゃないよ。女は」というのがあるが、デートの駆け引きに女が遅れるなんて言うのはその後のくだらないテクニックまがいなのかなと思った。日活の映画の中でも誠実な相手とは誠実に交際しているのである。ところがそれからハプニングが生じて来る。会社の女上司に急に仕事をしろと言われてヒロインが仕事をせざるを得なくなる。男は駅で待つが女が来ない。仕事を終えて女は男の元へ急ぐが。このすれ違いから話が出来てくるようだ。スマートフォンがある現在なら起きない出来事であろう。そして悲劇がやってくる。男の元に急いでいたヒロインが車に轢かれてしまう。そして死んでしまう。それまで特にサスペンスがはっきりするわけでもなく、どういう話だと思うと、ここで急展開する。と思ったら人違いだという。これも死んだ人には悪いだろうが、
主人公にとってはほっとはする。だが、それではヒロインはどこへ行ったのか。そしてひと月行方不明なのだという。行方不明のヒロインがサスペンスタッチか。男は女を探し続ける。友人の音楽家は愛なんて信じてないで捨ててしまえなどと言う。主人公は仰向けに寝転んでいる。ジュリー藤尾がなぜか女性に対して辛辣な、裏切っただけでよくある話だというような話を主人公にふっかける。静かに怒る主人公。音楽家への取り立てたちと主人公がアクションシーンになる。めちゃめちゃに住まいがなったり、踏んだり蹴ったりだ。そんな時にトランペットを練習している青年が外にいて、主人公はそれを見るが、このシーンは何かを与えているか。音楽家は金だけが信じられるんじゃないかというが、主人公は違うという。そして友人は出て行く。ヒロイン不明で友人も去った後で主人公はデザインの仕事に打ち込む。休憩中に屋上から眺めるとヒロインがいたと思い、走って追いかけるが、これも別人だった。手術で死亡した女も別人だったが、また別人だった映画のトリックに気づかなかった。ヒロインはなぜ消えたのかというミステリーともいえるが、思い出す男心に誠実さがある。江利チエミとかなり裕次郎が共演しているが、江利チエミの元旦那の高倉健と裕次郎の共演作は映画もテレビも無いようである。とうとうヒロインを探し出すが、別の名前の人になっていた。記憶喪失中に別人に仕立て上げられていたケースかとも思うが、そうした話は他にもあったと思うが、思い出せない。テレビでは、『ひよっこ』なんかが記憶喪失ものだった。なにか映画にも似たものがあったかも知れない。医師が催眠術で記憶を思い出させようとするシーンがある。主人公も一緒に見ているが、ここら辺が映画である。55年前に催眠誘導のシーンがあるが、その後精神科学はどうなっているのだろう。そしてミシンをヒロインに踏ませて元職場に案内したり、主人公がヒロインの記憶を取り戻させるために尽力するシーンが続く。ここでなぜか浅丘ルリ子のシーンで音声が出ない場面がある。なんといったのだろう。なぜ記憶喪失の女性にずっと主人公が一緒にいられるのかも、女性の家族も、そこらへんが省略されていて、そこが映画である。
犯罪組織に関わったような友人音楽家や、江利チエミ婦人警官だったことなど、主な出演者たちも交錯している。主人公はヒロインの絵を描くことで記憶を引き出そうとする。友人音楽家はヒロインにヒロインの昔の絵を渡して走り去る。なぜか記憶喪失の女と主人公は一緒に家に暮らしているのも、よく思えば変なのだが、そして友人は警察に行きなんらかの自主をするわけか。そして友人の手渡した絵をみせると、ヒロインに感情的動きが出て、泣いてしまうが思い出せず、主人公は途方に暮れる。留置場にいる音楽家を主人公は訪ねるが、別れてまた会ってを繰り返した音楽家の女も一緒だった。ここら辺にぐれていそうでも、一人の異性がいるという誠実さが日活映画にはあった。和泉雅子なんかも脇役で明るく出ている。友人とも仲直りし、とうとうヒロインも記憶が戻る。
高品格や清川虹子なんかも出ていた。細かな脇役との交錯もあったりしながら、主題歌が流れる中、元に戻った二人は銀座を歩く。紆余曲折があっても運命の異性とは巡り合えるというロマンスだった。キスシーンもベッドシーンもない。抱き合うシーンまでである。良識を外していなかった日本映画がこの時代まではあったようだ。
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