「タイトルは「鬼畜」ではなく「人間」とすべき」鬼畜 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルは「鬼畜」ではなく「人間」とすべき
動物の子殺しは珍しくないそうです。ある種の猿は、ボスが交代すると新ボスはメスの子を殺し、自分の子を産ませるそうです。メスは子供を殺されて子育てをしなくなると発情するとのこと。これは善悪で語られるべきことではなく、強い遺伝子を残すための自然の摂理なのでしょう。
昔の日本では子供を貴重な労働力とみなす多産の時代が長く続きました。女の子は売られて現金化されることもあったようです。都市部では幼少時から丁稚奉公に出されて労働に従事する子供も多かったようです。
戦後の混乱期には親を亡くした子どもたちは靴磨きなどの労働に従事し、自活せざるを得ませんでした。
そんな子どもたちの状況を改善するために法が整えられました。
子どもの権利条約(1989年)
「子どもの権利条約は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約である。18歳未満を子どもと定義し、おとなと同様にひとりの人間として人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもに関する権利も定められている。子どもの権利は、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利の4つに大きく分けられ、経済的搾取から守られる権利や教育を受ける権利が含まれている」
労働基準法(1947年)
第56条:就業最低年齢が「満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了した後」と定められており、義務教育である中学校を卒業していない子どもを雇うことが禁止されている。ただし、満13歳以上の子どもは、健康や福祉に害を及ぼさない軽易な労働は、行政官庁の許可を得たうえで就学時間外に行うことができる。映画の製作または演劇の事業についても同様である。
子どもの就業を禁止することは子どもの人権を守るための措置ですが、逆に言えば子ども自分で働いて自活することはできなくなったため、親の保護から逃れられないということを意味します。昔は嫌な親から逃げ出して、大人と同等に働くことができましたが、現在ではどんなに虐待されようと、逃げ出して自活する道はありません。
性善説に立てば、子どもの人権は当然守られるべきであり、子どもを虐待する親は人間ではなく鬼畜である、と言えます。
性悪説に立てば、人間も猿の一種なんだから、血のつながっていない子どもを排除して自分の遺伝子を残そうとするのは自然の摂理である。生活が苦しい場合はまず子どもにかける費用が削られることも仕方ない。親の罪ではなく、子どもの働く権利を奪った法律の責任である、と言えます。
本作では、生活苦と妻に追い詰められた父親が、浮気で作った兄弟3人を排除しようと行動します。この愚かな夫婦を鬼畜と非難することは簡単ですが、人間の本質や文化を理解しないと虐待は防げません。私はこの夫婦を実に「人間らしい」夫婦だと思います。日本のマスコミのような性善説では子どもたちを救うことはできません。子どもたちには親から逃げ出して自活する権利を認めるべきではないでしょうか。
毎日のように親に殺されている現代の子どもらと、親が死んで靴磨きをして生き抜いた戦後の子どもら、どちらが幸せなのでしょうか。
どんなに鬼気迫る演技だろうがフィクションであることには変わりありません。本作は、とても現実の幼児虐待の悲惨さを超えることはできませんでした。
ラストシーン、長男は自分を殺そうとした父親をかばおうとしたという解釈ができるそうです。「なんと健気な子どもだ、あんな親でも子は慕うのが親子の情」ということで、感動のラストシーンになったそうですが、なんとぬるい解釈でしょうか。そんなことを言っていたら一生毒親から逃げられません。あんな親や情などきっぱり断ち切り、強く生きて行って欲しいものです。どう見てもあの父より息子のほうがよっぽど賢そうですから。