河内のオッサンの唄のレビュー・感想・評価
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河内のおっさんはつらいよ。
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1975年の大阪の東半分。で、1970年の万国博覧会終わったあとの大阪の姿なのかも。
1975年と言えば昭和50年。海洋博の時代。
あの50作続いたコメディー連作は第15作目で「相合い⭕」で
海洋博を使った返還されたばかりの沖縄がテーマ。美しい日本はそっちで河内はディストピアなのかも。さて。
ミヤコ蝶々さんのセリフ「東京に残した息子がおるねん」「名前は?』と聞かれて、しらばっくれる。
ってな事を覚えている。
そう。今で言えばバイプレーヤーの
「ピラニア軍団」。
関東の芸人がリスペクトしている。
また、「おっさんの歌」はこの時流行したが、
ベースに流れる河内音頭は600年の歴史がある。正に東大阪のアイデンティティなのである。
良し悪しは別にして。
また、50作の連作を演出した演出家は大阪の出身。葛飾とは無関係。ただし、河内は彼の生まれた所よりは下町。そして、なぜか50作の中に、大阪「関西」が舞台になったのはあまりなかったと記憶する。
今年は昭和100年。河内ではないが大阪で万国博覧会が開かれている。成功を祈りたいが、僕の時代の大阪万博の「はしゃぎよう」と比べると「冷めてる」と思うのは僕の世代だけだろうか?
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