劇場公開日 1952年11月13日

「記号化する「現代」」カルメン純情す 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0記号化する「現代」

2023年2月15日
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木下惠介の芸の幅を思い知らされる一作。前作の『カルメン故郷に帰る』の牧歌的喜劇とは打って変わって、本作では都会の喧騒と空虚を毒々しくカリカチュアライズした風刺劇が展開される。何はともあれ右翼女史と原爆女中の存在感がすごい。カルメン・没落貴族画家・ブルジョア娘の織り成す三角関係など二人の覇気の前では単なる「戦後世代」という記号へと後退してしまう。

右翼女史の表象する大日本帝国の栄光と、原爆女中の表象する戦争へのプリミティブな恐怖。第二次世界大戦終結から既に7年あまりの歳月を経ていた日本においては、「大日本帝国」も「原子爆弾」も自らとは無関係な歴史として、すなわち記号として記憶の彼方へ消え去りつつあった。大衆は来たる高度経済成長の予感に浸りながら過去にはひたすら無関心を決め込む。

右翼女史や原爆女中といったステレオタイプな誇張の効いた登場人物たちは、したがって「現代」の楽観的な世論に対する「過去」の逆襲であるといえる。「過去」の表象である右翼女史と原爆女中ばかりが全面に押し出され、「現代」を表象する3人は記号へと押し込められる。なぜなら「大日本帝国」も「原子爆弾」もいまだ「過去」に風化しえない、現今的なアクチュアリティーを有したものであるからだ。右翼女史の演説に終わるラストシーンでは、「がんばれカルメン」という投げやりな字幕の裏側でひたすら爆発音のようなものが鳴り響いている。「過去」は最後の最後までその存在を強く主張し続ける。その醜悪とも形容できる混沌ぶりには、木下の切なる反戦への意志が込められている。

因果