大怪獣ガメラのレビュー・感想・評価
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大映の大いなる遺産
1965年公開作品
カラーが当たり前の昭和40年
ゴジラ1作目を意識したのかあえてモノクロ
予算の都合らしい
悲しい
たぶん二度目の鑑賞
かなり前に観た記憶がある
20世紀まで遡るかもしれない
監督は『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』『ガメラ対大悪獣ギロン』『ガメラ対大魔獣ジャイガー』『ガメラ対深海怪獣ジグラ』の湯浅憲明
脚本は『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』『ガメラ対大悪獣ギロン』『ガメラ対大魔獣ジャイガー』『ガメラ対深海怪獣ジグラ』の高橋二三
粗筋
北極上空で国籍不明の戦闘機が米軍機に撃墜され氷山で爆発
墜落した戦闘機には核兵器が搭載されていた
氷山の下で長い眠りについていたガメラが目を覚まし大暴れし気が済んだが海中に消えた
原子爆弾による放射能を浴びたためガメラはいずれ近いうちに死ぬだろうとの見通しをした動物学の権威である日高教授ではあったが
永田ラッパの号令の元でゴジラに対抗し作り上げたのがこのガメラシリーズ第一弾
『宇宙人東京に現わる』など特撮でも一応の実績はあった大映でも怪獣映画は初めて
円谷ゴジラに対して無謀な挑戦と大映社員の多くが制作に反対
しかしなぜか大ヒットしシリーズ化に繋がる
プロジェクトXレベルの物語がある
脚本家の高橋は怪獣映画初挑戦だがそれ以外のジャンルでそれなりの実績があり「なんでも引き受けてやる」と自信満々
デビュー作は大失敗したものの大亀怪獣映画なんて誰もが断ったため第二作目のチャンスが回ってきた湯浅監督
リアルを追求しすぎたために『ネズラ』の制作中止で会社を大損させたプロデューサー
二人にとってはリベンジとなった大怪獣ガメラ
ゴジラもガメラも核兵器によって目覚める共通点があった
だが対抗意識を燃やすならそこは被らない方が良いのではないか
ビジュアル的には決して格好良くはない
だってモチーフがカメだもん
ゴジラと比較しても大映の後輩の大魔神と比較してもダサい
でも長く愛される不思議
わからなくはない
ガメラの一番の見せ場は空を飛ぶ場面
4本の足を引っ込め「手も足も出ないとはこのことだ」と自衛隊の隊員に笑われるもそこから火を吹き回転し円盤のように空を飛ぶ姿は彼の一番の特徴
およそ約10年後の71年ゴジラシリーズ異色作品『ゴジラ対ヘドラ』でやっと空が飛べるようになったゴジラだったがこれっきり
第1作から人間の子供に優しい設定がある
ゴジラとの差別化か
非核三原則とはいえ実際に大怪獣が街を破壊すれば背に腹は代えられない
原理原則や理想もTPOに応じて柔軟に対応しないのは大人じゃないしバカである
人喰いクマを駆除すると猛烈に反対し地元自治体に嫌がらせの電話をするような連中はこのケースでも抗議するだろうが
最後はロケットの先にガメラを閉じ込めて火星に追放する
さようならガメラ
なんとかデストロイヤーよりマシか
配役
動物学を専門とする大学教授の日高に船越英二
日高の助手の山本京子に霧立はるみ
カメラマンの青柳に山下洵一郎
俊夫の歳の離れた姉の桜井信代に姿美千子
信代の弟で亀が好きな小学生の俊夫に内田喜郎
信代と俊夫の父に北原義郎
信代と俊夫の叔父に中田勉
俊夫の担任教師の上田に大橋一元
百姓の爺さんに左卜全
大学教授の村瀬に浜村純
エスキモーの老酋長に吉田義夫
コンビナート職員に藤山浩二
俊夫の担任教師の上田に大橋一元
ソビエト代表に高田宗彦
原研所長に丸山修
原研幹部に槙俊夫
原研幹部に隅田一男
警官に谷謙一
警察署署長に杉森麟
百姓の婆さんに村田扶実子
魚河岸の魚屋に志保京助
魚河岸の魚屋に中原健
魚河岸の魚屋に佐山真次
ちどり丸通信士に森一夫
ちどり丸航海長に喜多大八
ちどり丸船長に小山内淳
自衛隊員に大庭健二
自衛隊員に荒木康夫
自衛隊副官に井上大吾
自衛隊司令官に北城寿太郎
防衛庁長官に大山健二
アナウンサーに森矢雄二
放送局アナウンサーに竹内哲郎
札幌放送局アナウンサーに三夏伸
モンキーダンスの青年に清水昭
米軍ジェット機操縦士に岡郁二
羽田空港係官に藤井竜史
地熱発電所技師に山根圭一郎
客に村松若代
ストリッパーに甲千鶴
ストリッパーに沖良子
自衛隊セスナ機操縦士に後藤武彦
作業員に松山新一
作業員に加川東一郎
記者に伊勢一郎
記者に佐原新治
記者に宗近一
灯台附近の子供に青木英行
灯台附近の子供に萩原茂雄
灯台附近の子供に古谷徹
Z計画アメリカ代表にM・アパナイ
強いぞガメラ
だけどガメラはくじけない
原爆搭載機が墜落したショックで太古以来の眠りから目覚め、こんちくしょうと大暴れして、宇宙に追放される。
可哀想なことこの上ない。全部、人間の都合だ。
だけどガメラはくじけない。泣くのは嫌だ、笑っちゃおう。
子ともには優しい。後に大村崑ちゃんたちが出るようになってからもそうだが、すでに初回登場時から子どもと仲がいい。
子どもを味方に付けたかったんだろうね。正義の味方になりたかったのかな。
このあとの展開はそうなっていくけどね。
結局、メッセージ性もない、娯楽性も低い、取り敢えず作ってみました的な映画。ガメラを宇宙に放出するときの浜村純の表情は、身震いするほど素晴らしかったけどね。
リアタイのときはもっとおもしろかったと思ったんだけどな。
でもシリーズ化されたってことは、人気があったってことだろうね。
それにしてもカメを立たせて暴れさせたんだ。。。
強いぞガメラ
広島・長崎の被爆経験があったにも関わらず、ガメラへの核攻撃を依頼する設定には…
約10万人都市の私の故郷に、
現在はただの1館の映画館も存在しない
のだけれども、私の子供の頃は、
かつては5館もあったし、
大映専門の映画館も存在する位に
映画は大きなウエイトを占める娯楽だった。
その大映専門の映画館で、
旧ガメラ3部作を子供料金50円で観たのが、
私のガメラ映画との最初の出会いだったと
記憶している。
今回はそれ以来の約半世紀ぶりの鑑賞だが、
子供の頃は、東宝のゴジラシリーズと共に、
ただただその特撮に目を見張って
観ていたのだろう。
子供心には、ゴジラシリーズでも
そんな認識は無かったと思うが、
核の影響でゴジラもガメラも目を覚まし
国土を破壊するとの設定は、
改めて、広島・長崎の被爆を経験した
当時の日本人にとっての核に対する恐怖心を
背景としたものであったものと想像された
ものの、国内でのガメラに対する核攻撃を
米軍に依頼しようとする
アンバランスな筋立てには疑問を抱いた。
また、冒頭での米国戦闘機による
某東側盟主国のものとしか想像出来ない
核爆弾搭載機撃墜は、
当時の東西冷戦の匂いを強く漂わせる一方、
最後の対ガメラ作戦では、何故か
米ソを含む科学者の協力シーンが出て来て、
ここでも一貫性の欠如を感じた。
しかし、あるいは、
この軍事的強大国家同士が手を握る設定は、
怪獣や異星人の侵略という
地球規模の危機があった時には
あり得て欲しいという微かな期待のシーン
だったのだろうか。
苦心の末生み出された特撮描写に対して、お粗末な人間ドラマ
【イントロダクション】
北極の氷の下で眠りについていた古代アトランティスの大怪獣ガメラが、墜落した国籍不明機が搭載していた核爆弾によって目覚め、やがて人類を恐怖に陥れる。
監督は、本作の成功を皮切りに、昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける事になる湯浅憲明。脚本は、同じく昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける高橋二三。
【ストーリー】
北極のエスキモー集落を訪れていた日本人の調査隊。生物学者の日高教授(船越英二)は、エスキモーの族長から古代アトランティス時代に生息していた悪魔の巨獣“ガメラ”について記された石碑のカケラを受け取る。
一方、教授達が乗ってきた調査船「ちどり丸」は、国籍不明の戦闘機を発見。通報を受けたアメリカ空軍は、国籍不明機に接触を試みるが、攻撃を受けた為にこれを撃墜。国籍不明機は北極に墜落する。しかし、この国籍不明機には核弾頭が搭載されており、その大爆発によって氷が崩壊し、氷の下で8,000年以上眠り続けていたガメラが復活してしまう。ガメラはちどり丸を破壊し、乗組員全員が犠牲となる。被害状況を確認にアメリカ空軍が訪れたが、ガメラはその場から姿を消していた。
巨大な亀が出現したという前代未聞のニュースを受け、生き残った日高教授達はニューヨークでインタビューを受ける。教授は、「核エネルギーに当てられて生きていられる生物はおらず、よってガメラは死去しただろう」と仮説を立てる。その後、世界各地では未確認飛行物体の目撃情報が報告され、ガメラの話題は瞬く間に掻き消された。
北海道襟裳岬。母を亡くし、父と姉と3人暮らしをしている孤独な少年・俊夫は、学校でも友達を作らず、ペットの亀を世話する事に情熱を注いでいた。そんな俊夫の姿を見かねた父と姉の信代(姿美千子)は、彼に亀を捨ててくるよう促す。
渋々亀を捨てに海岸にやって来た俊夫だが、直後にガメラが出現し、人々を恐怖に陥れる。俊夫は灯台に登ってガメラを直近で確認するが、ガメラによって灯台は破壊されてしまう。灯台から落下した俊夫は、ガメラによって助けられ一命を取り留める。
ガメラに助けられた俊夫は、「チビ(飼っていた亀)がガメラになったんだ」という妄想を抱くようになる。
ガメラはエネルギーを求め、上陸して羊蹄山にある地熱発電所を襲撃する。自衛隊による攻撃にもビクともせず、ガメラはエネルギーの補給を開始。現場に駆け付けた日高教授達は、ガメラの性質から核攻撃や通常兵器は餌にしかならないと判断し、自衛隊が秘密裏に開発した冷凍爆弾による攻撃を試みる。冷凍爆弾と発破により、山頂から転落してひっくり返されたガメラ。亀は裏返されると自ら起き上がる事は出来ない為、後はガメラが餓死するのを待つのみかと思われた。しかし、ガメラは手足を引っ込めると、ジェット噴射によって自らの身体を回転させ飛翔した。世界中で目撃されていた未確認飛行物体の正体は、ガメラの飛行形態だったのだ。
後日、ガメラは再び日本に出現。東京に上陸したガメラは、街を蹂躙し、都内に甚大な被害をもたらす。やがて、エネルギーの補給の為に、ガメラは石油コンビナートで足を止める。
事態を収拾する為、日高教授をはじめとした世界中の科学者達が集結。伊豆大島に設けられたロケット基地での火星調査計画“Zプラン”の流用が提案される。ガメラを伊豆大島に誘導し、ロケットの先端部にガメラを閉じ込めて火星に打ち上げようというのだ。
かくして、ガメラ追放計画“Zプラン”が開始される。
【感想】
私は、平成ガメラシリーズの大ファンであり、昭和シリーズは幼少期にVHSで何作か観た程度、それも殆ど内容は覚えていないレベルなのだが、昭和シリーズは「子供たちの味方」という方向性があった事だけは記憶している。本作でも、俊夫を助ける(と見える)演出があり、既にその路線の片鱗が見て取れる。とはいえ、本作の場合は自分で破壊した灯台から俊夫を助けたに過ぎないのだが。
当時、大映は東宝の『ゴジラ』シリーズに並ぶ会社のヒットコンテンツを求めていたらしく、「我が社でも特撮はやれる!」と証明したかったそうだ。
しかし、実際には怪獣特撮のノウハウは試行錯誤の連続だったという。そんな紆余曲折を経て完成した特撮シーンは、ミニチュアの手作り感の中にも確かな迫力と面白さを感じさせる出色の出来だったと思う。
そんな中でも、“亀が回転しながら空を飛ぶ”というアイデアと描写は非常に画期的で、以降ガメラの代名詞となる。
また、ガメラの東京襲撃の際、ガメラが人々の逃げ惑う建物を容赦なく破壊し、火炎放射で人々を焼き殺すというシーンは、描き方こそマイルドなれど『ゴジラ−1.0』もビックリの大虐殺シーンである。
ガメラの着ぐるみ造形も、まだこの時点では人類の脅威の為、白眼の中をギョロギョロと移動する黒い瞳という不気味なものとなっている。この瞳のギミックが素晴らしく、感情の掴めない異形の存在感は、東宝の『ゴジラ』にはない優れた表現だろう。また、不気味さの中にも独特な可愛さを感じ取る事が出来る。
問題なのは、力の入った渾身の特撮描写に対する人間ドラマの薄さだろう。この人間ドラマの酷さが、本作の魅力を悉く潰してしまっている。ともすれば、偉大なる『ゴジラ』第1作と肩を並べたかもしれない程の名作に出来ていたかもしれないだけに非常に勿体ない。
【不必要な登場人物と、ノイズとなるキーパーソン】
本作は、とにかく必要性の感じられない(他のキャラで兼任可能な)キャラクターと、観客にストレスを与えるキャラクターが多過ぎるのだ。
日高教授の取材に同行した新聞記者の青柳、教授の助手である京子、その2人が織りなす不必要なラブストーリーは、存在せずとも話が成立する。また、ラブストーリーと言っても、実際には青柳が一方的に京子にアプローチを掛けるばかりで、京子はラストになるまでは一切靡かない始末だ。伊豆大島でのZプランの最中、台風によってガメラを誘き寄せる炎が吹き消された際、燃料庫に松明を投げ入れて炎を起こし、再びガメラの関心を向けるという青柳の作戦は、生物学者である日高教授がガメラの特性を利用しようと即興で行うだけで十分なはずだ。
本作で1番の問題点が俊夫のキャラクターだ。鑑賞中、とにかく彼の行動の一部始終がノイズで仕方なかった。物語の流れを握るキャラクターであるにも拘らず、彼の身勝手な行動の数々はストレスを抱かせる。家族や他人を無責任に巻き込む姿は、とても「子供だから」と擁護する気にはなれない。また、周囲の大人達が真剣に怒らない様子にも違和感を覚えた。
ガメラを石油コンビナートで足止めする作戦中に、貨物列車で俊夫がガメラに向かって行くシーンで、ガメラが列車を破壊した瞬間は、その容赦のなさとノイズとなるキャラクターが排除された(実際には生き残っていたが)事に、思わず心の中でガッツポーズしてしまったくらいだ。
この俊夫というキャラクターの描き方を変えるだけでも、本作のドラマ部分は段違いに良くなったのではないか。一つ、修正案を出してみようと思う。
「母親が亡くなって以降、周囲に心を閉ざし、亀しか友達のいない孤独な少年」ここまでは理解出来る。夕飯のおかずをコッソリと持ち出し、亀に与えようとするのも、動物に対する優しさの表現として良い。
大事なのは、彼は「飼っていた亀がガメラになったのかもしれない」と思っている点だ。
また、ガメラ北海道出現の際、ガメラが灯台を破壊するというシーンにも違うアプローチが必要になる。灯台はあくまでガメラ出現の際による地震、又は二次被害によって、偶発的に倒壊すべきだ。それにより、俊夫をわざわざ灯台に登らせずとも、倒れてくる灯台から俊夫を守るといった表現に置き換える事が出来る。
これにより、翌日俊夫がチビを探しに行った際、彼がガメラをチビが変化した姿だと思い込む動機になる。
ガメラの被害により、俊夫と信代姉弟が東京の叔父宅へ避難した際も、俊夫はチビがガメラになったと信じており、それを信じない「ガメラは悪者」と考えている従兄弟と対立する形で、「ガメラを悪者にしたくない」という思いから無茶な行動をする方が自然である。また、石油コンビナートで貨物列車に乗って無茶をする際も、ガメラは俊夫と職員に気付いて捕食を止める等のアプローチがあった方が、俊夫がガメラを信じる動機の強化に繋がる。
そして、ガメラへの思いから、日高教授に「ガメラを駆除するのではなく、追放する」というZプランの発想へと繋げるべきだ。これにより、本作のラストで俊夫が語る「大きくなったら、火星のガメラに会いに行く」という夢も自然な形で抱かせる事が出来るはずだ。
何せ、本作のラストでのこの台詞は、それまで執拗にガメラを追い求め、悪者扱いする事に反対していた彼が、いかにも脚本の都合で急な心変わりをしたようにしか見えなかったからだ。
最も、この俊夫との奇妙な友情に比重を置く場合、東京襲撃シーンの被害描写も変更せねばならないが。
例えば、火炎放射はあくまで自衛隊の攻撃に対する防衛行動。街を蹂躙するのは、エネルギーの枯渇により餌を求めて最短ルートを選択した為といった具合に。
いずれにせよ、本作は人間ドラマの描写で大損している作品なのは間違いない。
【総評】
日本の特撮シーンにおいて、今やゴジラに比肩する程の人気キャラクターとなったガメラの原点は、そのあまりにもお粗末な人間ドラマのせいで大損をしている作品だった。
但し、ガメラの特撮シーンは素晴らしい出来で、一見の価値は間違いなくある。
ロケットでガメラを打ち上げ追放するというトンデモプラン含め、昭和ならではの緩さも味と言えば味である。
60年前のファーストガメラ
0007 どうやって子供だと認識するのだ?!
1965年公開
もともと大映が東宝に対抗すべく「大怪獣ネズラ」を企画。
本物のネズミを使って群獣のイメージを強めようとするも
ダニが大量に発生。製作中止となり従来の着ぐるみでゴジラに
対抗したのが「ガメラ」
白黒だからこその迫力ある登場シーン。
自動車の急ブレーキごとくの鳴き声
下から出た牙
それから空を飛ぶに回転ジェット(めぇ回らんのか?)
など既存の生物に重きをおいた東宝怪獣とは一線をひいた
特異なアイデアが光る。
しかし肝心の特撮はイマイチで
東京タワーが折れることなくそのまま倒れた~!
カメ80m体長でタワーにくらべてでかすぎん?
などうん?というところあるがそれはご愛敬。
充分東宝にひけをとらない一連のシリーズが
ここからスタートする。
70点
あっけなく旅立ったものよ
火を噴き回転し空を飛ぶ巨大な亀の怪獣ガメラのオリジナルにある映画愛
1965年(昭和40年)初公開のこのガメラ映画第一作を田舎の小さな映画館で観たのは、私が小学2年生の時でした。ゴジラ映画に対抗した日本の新たな特撮怪獣映画を胸躍る気持ちで夢中になって楽しんだ記憶が、約58年の時を経て蘇ります。しかし、おぼろげながら記憶に残っていたのは、倒された灯台から落ちる俊夫少年をガメラが掌で受け止め命を救うシーンだけでした。今回懐かしく観て一番の驚きはカラー作品ではなく白黒映画だったことです。同時期の東宝ゴジラ映画がカラーなので、てっきりこの大映ガメラ映画もカラーと思い込んでいました。これは当時の私が白黒でも違和感なく観ていたことを意味します。今日のように色鮮やかなカラー作品が当たり前の時代ではなかったことを改めて痛感しました。そして第二作の「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」からカラー作品になったのは、この作品の大ヒットによるものと想像がつきます。その後第三作「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」第四作「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」第五作「ガメラ対大悪獣ギロン」と続けて昭和のガメラシリーズを小学校時代観ていくも、日本映画の斜陽に伴い田舎の映画館が閉館されたことと、子供向け映画への関心が薄れたことで、第六作以降は未見で終わりました。
しかし、今回見直して感心したのは、特撮技術の工夫や努力が予想以上に感じられたことでした。冒頭の謎の飛行機と追跡するアメリカ空軍のバトル、北海道に上陸して灯台を破壊するシーン、そして東京タワーをなぎ倒した後で火の海と化した石油コンビナートで荒ぶるガメラなど、ゴジラ第一作を意識したシーンも含め見応えがありました。35万キロの放電に耐える地熱発電所のシーンにそれを最も感じます。そしてガメラの特徴で異彩を放つのは、炎を吸い取ることと、四つの手足の穴から炎を噴射して高速回転をしながら円盤のように飛ぶことです。冷凍作戦によってひっくり返ったガメラが、そのまま餓死するだろうと安堵する人間たちの期待を絶望に変える、このアイデアは今観ても斬新です。また石油コンビナートの炎を絶やさないために石油搭載の貨物列車を突撃させる作戦は、「シン・ゴジラ」のクライマックスを彷彿とさせるものです。冷凍作戦と併せて共通するものがあり興味深く感じました。
ただし、作戦の立案から実行の展開が早くて、次から次へと編み出されるものが都合よく描かれてしまい、ストーリーに重みがありません。灯台守を父に持つ俊夫少年がガメラへの最終攻撃のアメリカ軍の核ミサイルを止めるくだりは、どうして内陸の危険な地熱発電所に家族皆いるのか意味不明です。核ミサイルを使うのも大胆無謀極まりなく、子供の時は亀に強い愛着ある俊夫少年と見えたかも知れませんが、今観るとその執拗な愛情が大人たちを困らせ迷惑を掛けるだけにしか見えません。子供向けを意識し過ぎて、子供に甘いストーリーになってしまっています。行動に子供らしい可愛げがもっと欲しいと思いました。演じた内田喜郎少年は撮影当時11歳の小学6年生ですから、キャラクター設定が幼過ぎたと言えるでしょう。それと自衛隊の軍事機密である冷凍爆弾がすぐ提案されたり、アメリカとソビエトの共同研究のZプランが日本の大島にある不自然さもあります。良く言えば奇妙奇天烈なストーリーを意図した怪獣映画の強行突破の勢いと潔さ。理屈では説明不可能です。
演技面では、名優船越英二の主演で大分救われていると思いました。この方の演技には品があり、また安心して観ていられます。カメラマン役の山下洵一郎は、他に若尾文子と共演の「越前竹人形」で知りました。姉桜井信代役の姿美千子も、市川雷蔵と共演の「剣鬼」で観ています。勿論このガメラ映画を観て大分経ってからの話です。脇役の常連と言ってもいい、左卜全、浜村淳、吉田義夫の三名は芸歴も長く、それぞれに面白いキャラクターをこの作品でも表現しています。面白かったのは、浜村淳の村瀬教授がガメラのことを“奴さん”呼ばわりするところでした。まだ完全に正体が分かっていないであろう怪獣にそんな言い回しは可笑しいですし、当時の言葉使いも偲ばれて笑ってしまいました。
見直して長短の両方を感慨深く認識することになりました。それでも当時の子供にとって、この映画はゴジラ映画に並ぶ娯楽作品として充分満足した映画なのです。そのために制作した大人たち映画人の努力は、子供向けと揶揄される偏見を乗り越えて真摯に立ち向かい結果を導き出したのです。今そのことに心から感謝する自分がいます。そのため星も考慮しました。
7歳の私なら、星は★★★★です。
エゴが招きエゴが追放した怪獣
平成ガメラがそんなに面白くなかったからそもそもそんなに期待してなかったけど、ガメラのビジュアル以外特筆すべき点がほとんど見当たらない作品だった。50年代くらいの作品だろうとタカを括っていたのに65年製だというから驚きだ。ミニチュアセットを用いた特撮シーンはそこそこの出来だが、それ以外のシーンでは製作予算的な問題があられもなく露呈してしまっている。ただ、やはりガメラの凡庸なようでいて唯一無二なビジュアルとそこからくる存在感の強さは見ものだ。頭と四肢を殻の中に引っ込めて火を噴射させ、回転花火の要領で空高く舞い上がるガメラの姿は一度見たら忘れられない。飛行形態の美しさという点ではライバル社東映のゴジラをゆうに凌ぐ。まあ、ゴジラの飛び方があまりにも酷すぎるからなんだけども(『ゴジラVSヘドラ』参照)。原爆の惨禍から生まれたという出自や人間のエゴイズムによって忌避され退治されるという顛末は戦後スペクタクル映画の王道を征く怪獣だが、それにしても火星に追放とはあんまりにも気の毒だ。初代ゴジラとは違って人間に対する良心があるような描写があるにもかかわらず人間たちから容赦なく攻撃を受け続けるガメラに思わず肩入れしたくなってしまう。ちなみに第2作ではガメラを閉じ込め火星へ向かうロケットが隕石と衝突し、逃げ出したガメラが再び地球に戻ってくるところから物語が始まるそうだ。『エイリアン』シリーズかよ。
特撮はいろいろ工夫されて作られてるなー、と。
映画は大映
ゴジラに対抗して作られた意図はわかるし、身近な亀を巨大化する事で子どもの人気も出やすそう。あの時代なら亀を手に入れて家で飼って逃げられた子どもは山ほどいるはず(笑)
モノクロ作品で当時としては頑張っている。
火炎放射はホンモノだろうし(笑)
重いテーマは無しにして観る対象を子どもに振り切った感があるシリーズである。
子どもの多かった当時はそれで良かったのだろう。
大人になると細かいツッコミを入れてしまいがちだし…。
名作とお薦めしまくる作品とは思わないが、あの登場シーンの雰囲気は凄いと思う。
近日リマスターして公開されそうだから、劇場で観た人たちの感想を期待したい。
あ、あの子どもには「お前~!エエ加減にせぇ!」と拳骨くれてやりたい。
初めての東宝特撮への挑戦
1954年のゴジラから11年もの間、怪獣映画は東宝特撮が独占してきた
米国のレイ・ハリーハウゼンがダイナメーションと呼ばれる人形をコマ撮りアニメーションで動かした数作に怪獣が登場する作品はあるが、その他には海外でも国内にも怪獣映画の競合は無かった
東宝特撮はそれ程に無敵だった
しかし11年も経てば、東宝特撮に対抗しようという動きは当然でるだろう
東宝特撮だけに美味しい思いをさせるのは悔しい
特に劇場主は映画会社に対策を要求したはずだ
それが本作が生まれた動機だろう
とにかく怪獣映画をだす
対象は?
ゴジラなどの東宝特撮をこれまで観て来たのは誰か?
団塊の世代は20歳代
怪獣映画はもう卒業してるだろう
だから狙うのはその上の30歳代だ
彼らの子供が小学生になってきた頃だ
ならば彼らが子供を連れて怪獣映画を観に来れるものを撮れば良い
このように企画が作られたのは間違いない
大人も楽しめるストーリーでありながら、子供も退屈せずに怪獣登場シーンを楽しめる
むしろ子供を狂言回しにしてストーリーを進行させ子供に自分達の怪獣映画であると思わせる
これがガメラのコンセプトと言える
カメをモチーフに、火を噴かせる、甲羅の手足の部分からロケット憤炎を出して回転して空飛ぶ円盤となって飛んでいく
眠りを覚ました理由こそ原爆だが、ゴジラのようなメッセージ性を持たせる意図はさらさらない
荒唐無稽なほど良いのだ
アトランティス伝説を持ち出したのは、ずっと後年の平成ガメラで活きることになる
脚本の高橋二三の腕は確かで大変に面白い
肝心の特撮はゼロベースではなく、怪獣映画ではないものの、特撮要素のある作品は大映でも何本か作られていた
とはいえ、東宝特撮のスタッフにノウハウを聞いて作られたとのことで、テイストは東宝特撮とあまり変わらない
むしろほぼ同じ
厳密には東宝特撮に一日の長はあれど、一般観客からすれば大した違いではない
白黒作品であることを割引いても遜色ない出来映えだ
東宝特撮のノウハウを大映のスタッフに教えることを黙認した円谷英二の器の大きさには感動する
しかし日本の特撮技術は逆に同質化競争になっていくのだ
怪獣映画といジャンルに限定され、同じ特撮技術のルーツを持つ特撮映像で競争を繰り返していけば、粗製乱造に陥いることになるのは火を見るより明らかだ
その事の危険に気付くのは、なんとこの大映だった
自社の独自性をもった特撮とは何か?
それを大映はすぐに答えを出してくるのだ
それは翌年1966年4月ガメラの次回作大怪獣決闘 ガメラ対バルゴンの併映作品だ
タイトルは大魔神である
超ひさびさに観て改めて気がつきました
ガメラの24時間足止め作戦はシン・ゴジラでの列車爆弾の元ネタだったのですね
なぜ火が好きなのか・・・
エスキモー部落にまで“冷たい戦争”の波が押し寄せている。当時の世界状況をよく描写してある冒頭部分。もちろんソ連を想定してあるんだろうけど・・・あくまでも某国だ。アトランティス大陸の悪魔の使者ガメラ。エキスモーに伝わる伝説の怪獣だ。日本船ちどり丸は座礁、乗組員も消えてしまったのだ。
新潟県でも目撃。見たのはおじいさん役の左卜全。そして北海道。灯台守も息子である小学生の俊夫くんは飼ってた亀を捨ててこいと叱られるが、そこで巨大なガメラと遭遇。灯台から落ちそうになった俊夫くんをガメラが助けてくれるのだ・・・あれ、もしや子供好きなのか?その後俊夫くんは捨てた亀のチビがガメラになったのだと信ずるのだ。
地熱発電所を利用してガメラを倒すことはできないのか?東大の動物学者日高(船越)は35万キロワットの電流で退治できないものかと試すもダメ。自衛隊の攻撃によって裏返し作戦が成功。しかし引っ込めた手足から火を吹き、円盤となって飛び去ってしまう。
東京タワーをも壊したガメラが次に現れた場所は石油コンビナート。火が大好きなガメラは腹を空かして世界各国で餌を漁っていたのだという。そして、伊豆大島で開発中のZ計画。アメリカ、ソ連をはじめ、国境を越えた世界の科学技術を結集したプランを利用することとなる。火を使ってなんとかおびき寄せる科学者たち。そしてガメラは火星へとロケットに積まれ打ち上げられる・・・
アメリカ軍に要請して核ミサイルを撃ち込んでもらうとか、自衛隊が熱帯地方での戦争を想定して冷凍爆弾を開発してるとか、初代ゴジラとは時代も違うが、自衛隊が戦争することを容認しているかのような内容。最終的にはZプランという平和的な解決法を取るので印象は薄くなってるけど、やはり時代がそうさせたのだろうなぁ・・・
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