大怪獣ガメラのレビュー・感想・評価
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60年前のファーストガメラ
少年の姉が避難するときに疎開するなどと台詞が出るところが時代を感じる。東京の風景もモノクロとマッチして楽しい。ガメラがシュールで人気が出たのは円盤のように飛び回る奇想天外さにあったのではないでしょうか?それとあの物悲しい鳴き声が陰影に富むところが感じられます。船員を全滅させたり東京を破壊しまくりますが子供を大切に扱う矛盾した存在です。
北極シーンだけだとウルトラQの大映版みたいですね。
ラストはやや物足りなく感じましたが微笑ましい感じもしました。ゴジラと良い意味で比較したくなります。それはゴジラに負けない怪獣を創り出した大映スタッフの頑張りもあったのだと思いました。
0007 どうやって子供だと認識するのだ?!
1965年公開
もともと大映が東宝に対抗すべく「大怪獣ネズラ」を企画。
本物のネズミを使って群獣のイメージを強めようとするも
ダニが大量に発生。製作中止となり従来の着ぐるみでゴジラに
対抗したのが「ガメラ」
白黒だからこその迫力ある登場シーン。
自動車の急ブレーキごとくの鳴き声
下から出た牙
それから空を飛ぶに回転ジェット(めぇ回らんのか?)
など既存の生物に重きをおいた東宝怪獣とは一線をひいた
特異なアイデアが光る。
しかし肝心の特撮はイマイチで
東京タワーが折れることなくそのまま倒れた~!
カメ80m体長でタワーにくらべてでかすぎん?
などうん?というところあるがそれはご愛敬。
充分東宝にひけをとらない一連のシリーズが
ここからスタートする。
70点
あっけなく旅立ったものよ
それでこの後は「宇宙大怪獣」ガメラとなるのだね。幼い頃観たのはガメラが正義の味方になる宇宙生物との対戦物が中心だったので、あちこち斬られて痛そう、ガメラ可哀想、でも海中で休んだら元に戻るんだ、丈夫〜、みたいな印象しか無かったが結構悪役として破壊しまくってるんだ。
この時代にしては核使用へのハードルが低く見えるのが少し意外であった。船越英二、60年代ですでに初老感が出ていて驚き。
火を噴き回転し空を飛ぶ巨大な亀の怪獣ガメラのオリジナルにある映画愛
1965年(昭和40年)初公開のこのガメラ映画第一作を田舎の小さな映画館で観たのは、私が小学2年生の時でした。ゴジラ映画に対抗した日本の新たな特撮怪獣映画を胸躍る気持ちで夢中になって楽しんだ記憶が、約58年の時を経て蘇ります。しかし、おぼろげながら記憶に残っていたのは、倒された灯台から落ちる俊夫少年をガメラが掌で受け止め命を救うシーンだけでした。今回懐かしく観て一番の驚きはカラー作品ではなく白黒映画だったことです。同時期の東宝ゴジラ映画がカラーなので、てっきりこの大映ガメラ映画もカラーと思い込んでいました。これは当時の私が白黒でも違和感なく観ていたことを意味します。今日のように色鮮やかなカラー作品が当たり前の時代ではなかったことを改めて痛感しました。そして第二作の「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」からカラー作品になったのは、この作品の大ヒットによるものと想像がつきます。その後第三作「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」第四作「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」第五作「ガメラ対大悪獣ギロン」と続けて昭和のガメラシリーズを小学校時代観ていくも、日本映画の斜陽に伴い田舎の映画館が閉館されたことと、子供向け映画への関心が薄れたことで、第六作以降は未見で終わりました。
しかし、今回見直して感心したのは、特撮技術の工夫や努力が予想以上に感じられたことでした。冒頭の謎の飛行機と追跡するアメリカ空軍のバトル、北海道に上陸して灯台を破壊するシーン、そして東京タワーをなぎ倒した後で火の海と化した石油コンビナートで荒ぶるガメラなど、ゴジラ第一作を意識したシーンも含め見応えがありました。35万キロの放電に耐える地熱発電所のシーンにそれを最も感じます。そしてガメラの特徴で異彩を放つのは、炎を吸い取ることと、四つの手足の穴から炎を噴射して高速回転をしながら円盤のように飛ぶことです。冷凍作戦によってひっくり返ったガメラが、そのまま餓死するだろうと安堵する人間たちの期待を絶望に変える、このアイデアは今観ても斬新です。また石油コンビナートの炎を絶やさないために石油搭載の貨物列車を突撃させる作戦は、「シン・ゴジラ」のクライマックスを彷彿とさせるものです。冷凍作戦と併せて共通するものがあり興味深く感じました。
ただし、作戦の立案から実行の展開が早くて、次から次へと編み出されるものが都合よく描かれてしまい、ストーリーに重みがありません。灯台守を父に持つ俊夫少年がガメラへの最終攻撃のアメリカ軍の核ミサイルを止めるくだりは、どうして内陸の危険な地熱発電所に家族皆いるのか意味不明です。核ミサイルを使うのも大胆無謀極まりなく、子供の時は亀に強い愛着ある俊夫少年と見えたかも知れませんが、今観るとその執拗な愛情が大人たちを困らせ迷惑を掛けるだけにしか見えません。子供向けを意識し過ぎて、子供に甘いストーリーになってしまっています。行動に子供らしい可愛げがもっと欲しいと思いました。演じた内田喜郎少年は撮影当時11歳の小学6年生ですから、キャラクター設定が幼過ぎたと言えるでしょう。それと自衛隊の軍事機密である冷凍爆弾がすぐ提案されたり、アメリカとソビエトの共同研究のZプランが日本の大島にある不自然さもあります。良く言えば奇妙奇天烈なストーリーを意図した怪獣映画の強行突破の勢いと潔さ。理屈では説明不可能です。
演技面では、名優船越英二の主演で大分救われていると思いました。この方の演技には品があり、また安心して観ていられます。カメラマン役の山下洵一郎は、他に若尾文子と共演の「越前竹人形」で知りました。姉桜井信代役の姿美千子も、市川雷蔵と共演の「剣鬼」で観ています。勿論このガメラ映画を観て大分経ってからの話です。脇役の常連と言ってもいい、左卜全、浜村淳、吉田義夫の三名は芸歴も長く、それぞれに面白いキャラクターをこの作品でも表現しています。面白かったのは、浜村淳の村瀬教授がガメラのことを“奴さん”呼ばわりするところでした。まだ完全に正体が分かっていないであろう怪獣にそんな言い回しは可笑しいですし、当時の言葉使いも偲ばれて笑ってしまいました。
見直して長短の両方を感慨深く認識することになりました。それでも当時の子供にとって、この映画はゴジラ映画に並ぶ娯楽作品として充分満足した映画なのです。そのために制作した大人たち映画人の努力は、子供向けと揶揄される偏見を乗り越えて真摯に立ち向かい結果を導き出したのです。今そのことに心から感謝する自分がいます。そのため星も考慮しました。
7歳の私なら、星は★★★★です。
エゴが招きエゴが追放した怪獣
平成ガメラがそんなに面白くなかったからそもそもそんなに期待してなかったけど、ガメラのビジュアル以外特筆すべき点がほとんど見当たらない作品だった。50年代くらいの作品だろうとタカを括っていたのに65年製だというから驚きだ。ミニチュアセットを用いた特撮シーンはそこそこの出来だが、それ以外のシーンでは製作予算的な問題があられもなく露呈してしまっている。ただ、やはりガメラの凡庸なようでいて唯一無二なビジュアルとそこからくる存在感の強さは見ものだ。頭と四肢を殻の中に引っ込めて火を噴射させ、回転花火の要領で空高く舞い上がるガメラの姿は一度見たら忘れられない。飛行形態の美しさという点ではライバル社東映のゴジラをゆうに凌ぐ。まあ、ゴジラの飛び方があまりにも酷すぎるからなんだけども(『ゴジラVSヘドラ』参照)。原爆の惨禍から生まれたという出自や人間のエゴイズムによって忌避され退治されるという顛末は戦後スペクタクル映画の王道を征く怪獣だが、それにしても火星に追放とはあんまりにも気の毒だ。初代ゴジラとは違って人間に対する良心があるような描写があるにもかかわらず人間たちから容赦なく攻撃を受け続けるガメラに思わず肩入れしたくなってしまう。ちなみに第2作ではガメラを閉じ込め火星へ向かうロケットが隕石と衝突し、逃げ出したガメラが再び地球に戻ってくるところから物語が始まるそうだ。『エイリアン』シリーズかよ。
特撮はいろいろ工夫されて作られてるなー、と。
ピアノ線が一ヶ所だけ見れた。実際の映像やらミニチュアやら、とにかくいろいろ工夫されて作り込まれてるなー、と感心。火の量が半端なく白黒でも大迫力。火星に行ったらガメラは死んじゃうんじゃないかとも思って子供の気持ちに疑問。まあ、ゴジラに対抗したガメラがファンを作れたからOK 。
映画は大映
ゴジラに対抗して作られた意図はわかるし、身近な亀を巨大化する事で子どもの人気も出やすそう。あの時代なら亀を手に入れて家で飼って逃げられた子どもは山ほどいるはず(笑)
モノクロ作品で当時としては頑張っている。
火炎放射はホンモノだろうし(笑)
重いテーマは無しにして観る対象を子どもに振り切った感があるシリーズである。
子どもの多かった当時はそれで良かったのだろう。
大人になると細かいツッコミを入れてしまいがちだし…。
名作とお薦めしまくる作品とは思わないが、あの登場シーンの雰囲気は凄いと思う。
近日リマスターして公開されそうだから、劇場で観た人たちの感想を期待したい。
あ、あの子どもには「お前~!エエ加減にせぇ!」と拳骨くれてやりたい。
初めての東宝特撮への挑戦
1954年のゴジラから11年もの間、怪獣映画は東宝特撮が独占してきた
米国のレイ・ハリーハウゼンがダイナメーションと呼ばれる人形をコマ撮りアニメーションで動かした数作に怪獣が登場する作品はあるが、その他には海外でも国内にも怪獣映画の競合は無かった
東宝特撮はそれ程に無敵だった
しかし11年も経てば、東宝特撮に対抗しようという動きは当然でるだろう
東宝特撮だけに美味しい思いをさせるのは悔しい
特に劇場主は映画会社に対策を要求したはずだ
それが本作が生まれた動機だろう
とにかく怪獣映画をだす
対象は?
ゴジラなどの東宝特撮をこれまで観て来たのは誰か?
団塊の世代は20歳代
怪獣映画はもう卒業してるだろう
だから狙うのはその上の30歳代だ
彼らの子供が小学生になってきた頃だ
ならば彼らが子供を連れて怪獣映画を観に来れるものを撮れば良い
このように企画が作られたのは間違いない
大人も楽しめるストーリーでありながら、子供も退屈せずに怪獣登場シーンを楽しめる
むしろ子供を狂言回しにしてストーリーを進行させ子供に自分達の怪獣映画であると思わせる
これがガメラのコンセプトと言える
カメをモチーフに、火を噴かせる、甲羅の手足の部分からロケット憤炎を出して回転して空飛ぶ円盤となって飛んでいく
眠りを覚ました理由こそ原爆だが、ゴジラのようなメッセージ性を持たせる意図はさらさらない
荒唐無稽なほど良いのだ
アトランティス伝説を持ち出したのは、ずっと後年の平成ガメラで活きることになる
脚本の高橋二三の腕は確かで大変に面白い
肝心の特撮はゼロベースではなく、怪獣映画ではないものの、特撮要素のある作品は大映でも何本か作られていた
とはいえ、東宝特撮のスタッフにノウハウを聞いて作られたとのことで、テイストは東宝特撮とあまり変わらない
むしろほぼ同じ
厳密には東宝特撮に一日の長はあれど、一般観客からすれば大した違いではない
白黒作品であることを割引いても遜色ない出来映えだ
東宝特撮のノウハウを大映のスタッフに教えることを黙認した円谷英二の器の大きさには感動する
しかし日本の特撮技術は逆に同質化競争になっていくのだ
怪獣映画といジャンルに限定され、同じ特撮技術のルーツを持つ特撮映像で競争を繰り返していけば、粗製乱造に陥いることになるのは火を見るより明らかだ
その事の危険に気付くのは、なんとこの大映だった
自社の独自性をもった特撮とは何か?
それを大映はすぐに答えを出してくるのだ
それは翌年1966年4月ガメラの次回作大怪獣決闘 ガメラ対バルゴンの併映作品だ
タイトルは大魔神である
超ひさびさに観て改めて気がつきました
ガメラの24時間足止め作戦はシン・ゴジラでの列車爆弾の元ネタだったのですね
なぜ火が好きなのか・・・
エスキモー部落にまで“冷たい戦争”の波が押し寄せている。当時の世界状況をよく描写してある冒頭部分。もちろんソ連を想定してあるんだろうけど・・・あくまでも某国だ。アトランティス大陸の悪魔の使者ガメラ。エキスモーに伝わる伝説の怪獣だ。日本船ちどり丸は座礁、乗組員も消えてしまったのだ。
新潟県でも目撃。見たのはおじいさん役の左卜全。そして北海道。灯台守も息子である小学生の俊夫くんは飼ってた亀を捨ててこいと叱られるが、そこで巨大なガメラと遭遇。灯台から落ちそうになった俊夫くんをガメラが助けてくれるのだ・・・あれ、もしや子供好きなのか?その後俊夫くんは捨てた亀のチビがガメラになったのだと信ずるのだ。
地熱発電所を利用してガメラを倒すことはできないのか?東大の動物学者日高(船越)は35万キロワットの電流で退治できないものかと試すもダメ。自衛隊の攻撃によって裏返し作戦が成功。しかし引っ込めた手足から火を吹き、円盤となって飛び去ってしまう。
東京タワーをも壊したガメラが次に現れた場所は石油コンビナート。火が大好きなガメラは腹を空かして世界各国で餌を漁っていたのだという。そして、伊豆大島で開発中のZ計画。アメリカ、ソ連をはじめ、国境を越えた世界の科学技術を結集したプランを利用することとなる。火を使ってなんとかおびき寄せる科学者たち。そしてガメラは火星へとロケットに積まれ打ち上げられる・・・
アメリカ軍に要請して核ミサイルを撃ち込んでもらうとか、自衛隊が熱帯地方での戦争を想定して冷凍爆弾を開発してるとか、初代ゴジラとは時代も違うが、自衛隊が戦争することを容認しているかのような内容。最終的にはZプランという平和的な解決法を取るので印象は薄くなってるけど、やはり時代がそうさせたのだろうなぁ・・・
善玉のような悪玉ガメラ登場
北極海で核爆発があり、全長60mのガメラが登場する。
どうせ亀なんだからひっくり返してしまえば、なんて思っていると空を飛んでしまう。
こんなロケットがあるわけないと思うが、米ソ協力なので・・・。
特撮と荒唐無稽な話!昭和だね。
90分を切る作品ですが、話がてんこ盛り!
まるでパイロットフィルムを見ているような見せ場の連続です。
ゴジラに見られるようなメッセージ性は無く。
裏付けなく、推論を事実のように話をする科学者が何ともいえません。
でも、あの時代にこんな話を思いつき、CGに頼らない特撮は立派です。
炎を食べ、空を飛ぶ亀。回転ジェット!その設定に脱帽です。
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