「追い詰められた国体と教育で洗脳された少年たちの残酷な付合」海軍特別年少兵 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
追い詰められた国体と教育で洗脳された少年たちの残酷な付合
昭和18年6月、戦局悪化の大東亜戦争の兵士補填の為に募集された特年兵(海軍特別年少兵)が、短期間に軍人に仕立て上げられて、昭和20年2月に硫黄島で玉砕した戦争悲劇。同時期に学徒出陣も行われ、続いて徴兵適齢も19歳に引き下げられていた状況から見て、この時すでに日本軍の窮地は誰の目にも明らかだっただろう。お国の為に死ぬことが最も尊いと教育され志願した幼い少年たち(14~15歳)の実態は、その殆どが貧しい家の出身の子供たちであった。追い詰められた国体と社会から虐げられた底辺の人々の限られた選択肢の利害が重なるところに、この映画の問題提起がある。
主要登場人物5人の特年兵の家庭環境がフラッシュバックで端的に密度濃く説明されている。会津藩の誇りを誓う栗本武、男手ひとつで育てたことに感謝しながらも社会主義思想の父を軽蔑する宮本平太、村で最も貧しい小作人の母を経済的に援助しようとする林拓二、生きるために身を売る姉に負担をかけまいとする孤児の橋本治、そして旧制中学を退学して国の為に戦う軍人になろうと決意する江波洋一。その親兄弟などの親族を演じる当時の脇役の充実度も高い。小川真由美、山岡久乃、内藤武敏、加藤武、荒木道子、大滝秀治、佐々木すみ江、奈良岡朋子、そして三國連太郎と演技派の役者揃いのキャスティングだ。それぞれがその純真さ故の一途さで、戦争の間違った選択の犠牲になってしまった人間の歴史が鮮明に描かれている。特に、野外演習で帯剣を紛失した林拓二の、その責任の重さに耐えきれず自殺するエピソードは、余りにも悲しい。行き過ぎた懲罰主義が生む最悪の結果を前に、地井武男演ずる教班長の工藤上等兵曹が絶望する表情を正面から捉えたショットが全てを物語る。海軍伝統の懲罰主義の是正を訴える吉永中尉の意見に異を唱え、海軍軍人を育てるためには力の教育が必要と対立したその工藤ではあるが、給金の殆どを母に仕送りする林に内緒でお金を上乗せする人情家の側面を持つ。特年兵と同じく、彼もまた貧しい生まれの境遇から這い上がった出自を窺わせる。責任をひとり背負い前線に志願して武山海兵団を去る工藤上等兵曹のカットに、(彼は少年たちに負けたのだ)の台詞が被さる。
この映画が興味深いのは、青年将校たちの自問自答の葛藤が描かれている点も挙げられる。愛の教育を具体的に説明できない吉永中尉に、前線で命拾いして武山海兵団に赴任してきた山中中尉が語る台詞(あんな子供を死地へ追いやる教育に手を貸して何が愛だ)が、ずしんと重い。(どうして特年兵制度に反対しないんだ)で場の空気が一瞬凍り付くところが、ある意味ここが当時の閉塞感を最も表しているだろう。山中中尉のニヒリズムが、当時のインテリ青年の限界なのだ。
そして、入隊して1年3ケ月後の昭和19年9月30日に、彼らは祖国の防人として激戦地の硫黄島守備隊に配属される。翌昭和20年の2月、アメリカ軍の猛攻撃の中、投降し捕虜となる微かな望みを願う吉永隊長の命令で、4人の特年兵は突撃の部隊から離されるのだが、もう手遅れですと言って少年たちと命運を共にしようと、再会した工藤が後を追う。立派な軍人にした教官の自負と彼らの成長を確信した工藤の男気が、何とも言えない心境に至らせる。自ら死を選んだ少年たち一人一人の突撃がモンタージュされて映画は終わる。
生きていれば終戦の年に17歳から18歳を迎えた少年たちは、徴兵を免れる年齢であった。
鈴木尚之の脚本、今井正の演出による戦争悲劇の語りは、今日的な視点で観てもバランスの良い中立的な立場を貫く。ドラマの完結を高めるための設定や展開や表現も作為がありながら、その計算付くの見取り図が表に出ない。これはひとえに少年たちの純朴な心を丁寧に描いた背景の描写力にある。少年たち、その親族、そして教官たちの戦争に向き合う実直な姿が説得力をもって訴え掛けてくる佳作だ。時にユーモラスな演出と佐藤勝の音楽が心を和ますが、このコントラストをもっと引き立たせたら、更に優れた作品になったのではないかと思う。