おもひでぽろぽろのレビュー・感想・評価
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僕は、スカートめくりなんてやってない
僕にとっては、どストライクな話で全て思い当たる節がある。
しかし、
天地天命に誓って申すが、僕は、スカートめくりなんてやってない。そして、正確にはこの少女が10歳の1965年当時、スカートめくりがここまで流行ってはいなかった。なぜなら、『スカートめくり』は小川ロ◯ズさんと永井豪先生の『ハレン◯学園』の十兵衛からだ。つまり、この2年後に大流行する。そのスカートめくりを、我が担任は、僕がやったと決めつけ、親に報告された。我が亡父にどつきまわされた。兎も角、この担任は大正生まれのク◯ババァだった。このアニメの父親と同じ位の世代だと思う。こういったひねくれた奴が横行していた。まだ、戦前の輩が残って、我々に民主教育を施そうとしたのである。混迷する高度経済成長期だったのだ。
そして、このまま民主国家の日本は絶滅危惧民族へと変化していく。
1982年当時の27歳の自分を、現在の主人公は、どう見ているのだろうか。壊滅してなくとも、農業は絶滅危惧産業の先端を行っているはずである。少なくとも、主食の米や小麦は利潤を生む産業ではないはずだ。そんな混迷する農家に嫁いだのだから。
繊細な映画でした。
「海がきこえる」につづいて初めて見ました。
こちらも時代がよく現れていますが、ああ昔もああだったんだ、同じだなあと思えるところがけっこうあり楽しかった。
そればかりではなく、繊細な心が揺れるところ、ジブリの作品にもあったんだとちょっとびっくりしました。
良かったです。
爽やかに終わるなと思った矢先、思ったのと違った終わり方も良かったです。
もしかしてジブリでこの映画が一番好きかも。
公開当時トレンディ・ドラマで人気だった俳優が声を担当している。 『...
公開当時トレンディ・ドラマで人気だった俳優が声を担当している。
『火垂るの墓』を彷彿させるデフォルメしていないリアルな表情や造形で、道徳的な内容の女性視点による実話のような、ぱっと見インパクトは無いが癖のある印象深い独特なアニメ。
タイムリープはしないけど小学生の頃の自分を振り返る主人公に共感。
最後は泣いている自分に氣がついた。
アニメ『ちびまる子ちゃん』からギャグ要素を抜いたような作品だと思った。
大人の主人公が鬱陶しい性格
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主人公が会社で休暇を取って、田舎生活を体験しに行く。
そこで子供の頃の事を色々思い出す。
そこで世話になった男の両親らから、嫁に来ないかと言われる。
でも都会暮らしを捨てる事は出来ず、やんわり断って帰る。
でも電車の中で思い経ったように引き返す。
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うーん、子供の頃の話ってあんまり関係ないような気がする。
ってか、何かにつけて昔話を始めるこの主人公、ウザくない?w
子供の頃の主人公は可愛らしいんやが、家族からアホと思われていた。
ってか、家族冷た過ぎ。何なのこの愛の無い家族は?
それに最後に戻ったのは何故?
もうちょっとよく考えてから行動しないと。
その直前に男の家族の前から何も言わずに姿を消したりとか、
この女、どうも好きになれんのよなあ。
いかにも、バブル崩壊直前の映画。
【バブル崩壊期間は1991年3月から1993年10月までの景気後退期を指す(Wikiより)。】
狂躁的雰囲気に疲れた人々、その雰囲気に合わない人々、先見性を持つ意識高い系の人々の中で巻き起こった自然回帰・田舎礼賛。
1992年ブラジルでの地球サミット。「持続可能な…」はこの頃からの概念なのだけれど、世間には定着せず、最近SDGsとして取り上げられる。
無農薬農業など「ありえない」と農協等にはねつけられても、徐々に、有機農業などに取り組む人々が現れた時代。でも、軌道に乗せた人々はごくわずか。
天候具合で簡単に打撃をうけたというニュースが届く農業。
「仕事なんて、どれも大変でしょ(思い出し引用)」確かにそうなのだけれど…。
子どもに継がせたくないという親世代。離農する人々。
嫁不足。東南アジアから半ば人買いのように花嫁が連れてこられることが問題視されたこともあった。勿論幸せな家庭を作った方々も多い。
だから、ラストのタエ子の行動に、27歳にしては、考えなしに思えて一気に評価が下がる。
せっかく安易に浮かれていた自分に気が付いて大人の階段を上ったと感動していたのに…。
まあ、『卒業』のように、恋を掴みに行ったと思えば、応援したくなるが。
「この景色は全部人が作ったものなんだ(思い出し引用)」
そう、失敗を重ねながら、治水や山崩れしないように工夫して開墾しながら作り上げた。
そういう知恵を無視して、宅地造成して、今、被害が出ている。
監督は紅花等入念なリサーチをしたと聞くが、田舎暮らしは体験しなかったのだろうか。
観光地でさえ、歓楽街がない場所に立つ宿から、日が落ちてから外に出れば真っ暗。歩いて10分くらいのコンビニに行きたいと言ったら、宿の人が車で送ってくれたほど。
だから、タエ子が夜飛び出す場面に、ありえな~いと思ってしまう。月明りで歩けるほど、土地慣れした設定なのか?でも、雲も出てたし、そのあと雨降ったよね。
リアリティを追求したというが、追及してほしいポイントが私とは違うのだろう。
今井さんと柳葉さんの掛け合いは最高。
だが、役者の顔が浮かんできて、その二人ならこんな表情をするだろうという繊細な表情に、アニメが付いてこない。中途半端。いっそのこと、小5時のアニメのように、アニメチックに描いてくれたらそんなに気にならなかったのかもしれないのにと、イライラしてくる。予算の関係もあって、セル画の枚数が圧倒的に足りないのだろう。とはいえ、初期の東映動画『白蛇伝』は佐久間さんたち役者の演技を映してセル画に落としたというが、『白蛇伝』の動きはきれい。だのに、この映画はなぜ…。
そして他の方も指摘しているが、ほうれい線や皺によって、タエ子が40代に見える。
今井さんと柳葉さんの演技を聞いていると、実写でもよいのではないかと思うが、これを実写にすると、ストーリーが甘々すぎて、陳腐となる。アニメだから、このストーリーで観ることができる。難しい。
反対に、小学5年生パートは、郷愁を誘われて懐かしかった。
自分のそのころを思い出してしまう。つぃ、写真のアルバムを取り出してしまう。
たわいがないけれど、その一つ一つが自分を作っていったもの。
父の田舎。夏にだけ会ういとこたちや親戚。いとこにいじめられたり、あまり良い思い出がなく、今のような快適な乗り物などなく、いつも行かなくてすむ方法はないかと考えていた。田舎に憧れるタエ子の気持ちに共感できない。旅に行きたいだけなんだろう。
私も、母の田舎はない。祖母と同居だったからうちが田舎。いとこや親戚が来て遊んでくれたけれど、タエ子のうちには来なかったのだろうか?親類の訪問は非日常ではないのだろうか。
ノスタルジーを含んだユートピア的な映画。
他の方のレビューを読むと、子ども時代に見たのと、社会に出て、社会の歯車役割をある程度果たせるようになった頃に見るのと、感想が違うとある。人生に迷っているアラサーには評価が高い。
けれど、社会に出てから長い大人としては、27歳パートに関しては、夢見る夢子ちゃんではなく、地に足つけて欲しいと思ってしまう。
(原作未読)
★ ☆ ☆
ある授業で鑑賞するようにと言われた映画。
<問1>両親の優しさ・厳しさ。
昭和世代にはあるあるのタイプ。
経済的なことさえやっていれば家長としての面目が立っていた時代。新聞読みはその象徴。買ってもらうことで愛を図っているような言動。基本的信頼感は構築できているうえでの、些細なやり取り、甘え。
給食の食べ残し。給食より、作文を誉めてあげて欲しいとは思うけれど、パンだけを入れた袋と総菜の汁がついた袋の汚れ方の違い。手間が増えることへの怒りが先に立ってしまうのは共感してしまう。家事を助けてくれる家電は今より少ない。
タエ子の気持ちを汲もうとするけれど、”寄り添う”という意識はなかった。けれど、いつも子どもの言動は視野に入っていて、心理的ネグレクトというほどではない。
優しさ・厳しさというより、気持ちがすれ違っているようで繋がっている。
<問2>ハンドバック事件
お下がりばかりの末っ子。しかも、姉は気持ちよく譲ってくれない。常に末っ子としてないがしろにされている感じに癇癪を起してしまうタエ子。せっかく両親を独り占めできると思っていたら、割り込んでくる姉。タエ子は大切にされているという確証が欲しかったんだよね。癇癪起こせばなだめてくれるって期待してしまった。でも期待は裏切られ、見捨てられたと思ってしまい、慌てて靴も履かないで飛び出してしまう。自分の力で解決しようとせずに(ex.気持ちを説明することなく、察してくれるのを待っている)、甘えが駄々洩れ。
そんなタエ子の気持ちには気が付かず、家族のためのイベントを潰されたような気持になってしまった父。”ちゃんと”しないタエ子をつい、平手打ち。そのことを反省して、たぶん、二度と手を挙げなかった父。
そんな父や、楽しみにしていたイベントがダメになってがっかりする母と姉の気持ちにも、27歳にもなっても気が付かないタエ子。どこまで自分のことだけなんだ。
両親は両親なりにタエ子を愛してはいたが、タエ子の気持ちに共感することはなかった。だから、タエ子は相手の気持ちに気が付けない大人に育ったのだろうか。
<問3>割り算事件
分数の掛け算・割り算は私も納得いかなかった。姉の如く、私も未だに説明できない。
でも、割り切って、教えられた作業を続けている人の方が多いであろう。そう、世の中の総てを知らなくてもいい。とりあえず、言われた作業をやればいい。だって、興味ないし。興味を持てたら突き詰めればいい。そんなことに時間を使うなら、本当に自分にとって大切なものに時間を使えばよい。そんなふうに割り切れないタエ子。つい最近まで、私も優先順位をうまくつけられなかった。そんな風に絡まってしまうから、刺激の多い都会は住みづらく、空間の多い田舎に憧れるのだろう。ましてや、”手伝い”なら、一つの作業に集中していればよく、皆から感謝され、大切にされる。地元の人になったら、納得いかないことも多く出てきて、農作業だけでなく、経営や地域振興等やらなくてはいけないことは、OLより多いのだが。大丈夫かと心配してしまう。
母や姉の反応。昭和の学校が求められたのは工場のラインで働く人を育てること。つまり、皆と同じことができる人を育てること(バブル前後、日本の企業がアジアに工場を作った時、ラインで働ける人=均一に同じことができる人がいなくて、工場を起動させられなかった。そういう人を作るところから始めた)。理屈じゃない。地頭の良さでも発想の豊かさでもなく、同じことができるか、できないか。「こんな理屈もわからないの?」ではなく、「こんな作業もできないの?」だ。分数の割り算を説明できない姉だって本当は理解していないのだが、それには気が付いていない。だが、作業はできる。
今なら、そんな屁理屈を気にする着眼点を誉めることもできるだろう。作文や他の才能を伸ばすことも考えられたであろう。WISC等で知的素質を調べることで、対応も考えられる。尤も、点を取る方法を学んでいるお受験組も、実は教えられた作業をうまくこなしているだけの人は多い。たとえ、東大を卒業しても。有名教育大を卒業しても。難関の各種公務員試験に受かっていても。
何のために勉強するか。たんに、点数や偏差値を挙げるためだけでなく、この学習・知識・作業がどう人生に役立つのかを考えてしまって不登校になっている子どもたちも多い。そんな時に、もっとメタな視点から説明ができたら、その勉強・作業をする意味づけができて、やる気も出てくるのになあと思う。
とはいえ、そんなことにも気が付かない家族からバカ認定されて、馬鹿じゃないと思いたい反面、自分に自信を持てないタエ子。田舎への憧憬も、今の現状からの逃避に見えてしまう。都市では普通に仕事をこなしても誰も認めてくれない。田舎なら、こんな軽作業でも、皆がちやほやしてくれる。
<問4>学芸会事件
役に合わせて演じ方を工夫したタエ子。頑張ったねと声かけたい。半面『ガラスの仮面』を思い出してしまった(笑)。端役の方が目立ってしまって、”舞台嵐”として、干されそうになった北島マヤ。先生にとっては、そこまでやる気を見せてくれて嬉しいけれど、舞台・クラスメンバーを考えると、却下せざるを得ないであろう。27歳になってもそこに気が付けないタエ子。ここでも自分のことだけしか見えていない。
そうして目立ったタエ子。お声がかかる。即座に反対する父。芸能界は「銀幕」という言葉が表すように、今よりももっと敷居の高いものだった。モー娘も、AKBも動画配信もない時代。一芸がなければ、あっても大成しない。今でこそ、大人になっても俳優を続けている方がたは多いが、子役は大成しないといわれた時代。父が反対するのも当然。母が一緒に浮かれている方が信じられない。
そして、母の口留め。今なら、子の方がやっかみからのいじめを気にして言わない。母がママ友に吹聴してトラブルになる。時代を感じてしまった。
努力をないがしろにされ、認められても発揮できず、それを周りに言うこともできない。やる気の空回り。殻を破りたい思いが募る。田舎では皆が私を大切にしてくれる。だから、ここでならできると思う。こんなにのびのびできているのだもの。
<問5>阿部君
本音と建て前について悩んでいるというタエ子。
「皆仲良く」という小学校の教えから27歳になっても脱却できないタエ子。人付き合いには相性もあるし、すべての人を好きになるなんて不可能なのだけれど。嫌いだからこそ、仲良くするというのは他の人でも取っている対人作法なのだけれど。嫌っていないふりをすることで、教員からの、周りからの承認・称賛を得たかった。阿部君の為じゃない。自分のための行動。だから、後ろめたいのであろう。
自分だけ握手してくれなかったのは、そんなあさましい考えを見抜かれてしまったからと思うタエ子。ここでも、阿部君への配慮ではなく、自分の傷つきばかり。
「握手しない」=「嫌われた」。「嫌われる」ということに、過剰反応する女児・女性。自分というものを持っていないから、他者評価を自分の評価とするしかない。
そのことについてトシオから違う解釈を与えられる。しかも、ずっと欲しかった「あなたのことを好きだった」という言葉。心が軽くなる。
この話と、表面的な田舎礼賛との関係性が今一つ、腑に落ちていない。
田舎の良いところだけを見て、安易に「良いところですね」と答えていたタエ子。でも人生の選択を迫られて、覚悟がない自分に気づく。
こんな腹黒い自分をトシオが受け入れてくれるかってこと?で、このエピソードが出てきたのだろうか。トシオに受け入れてもらえたように感じたのか。
何が言いたかったのだろう?
タエ子の成長譚ではあるのだろうけれど…。
ほうれい線
分数の割り算は説得力がある。そこで受け入れるも者とそうでない者。自分はどうだったかな?と振り返る。そこで引っ掛かるからこそ後で理解が深まるかも知れぬ。
女3人組はそういやうちの学校にもいたな。イケてるっぽいが口元にやな感じを含ませる。小学校の閉鎖的社会をうまく表現している。
紅花畑に日が昇るシーンの美しさが印象的。田舎生活が伝わるシーン。
冒頭から気になるほうれい線。相当意図されたものだろう。女性の部分が強調されず、よりニュートラルに人としての見方が強まる。しかし違和感は残る。
イライラするほど💢退屈で眠い💤
やっと終わったー!!!
終わった時の気持ちです(笑)
まー、イライラするぐらい退屈(苦笑)
退屈、眠い、苦痛、何度も中断しながら、なんとか観ました。
完全な買いかぶり、ガッカリ作(笑)
前から気になってて、やっと観たのに、面白そうだと思ってたのに…
昭和40年代が出てきますが、その時代が青春時代だったりする方は、いいかも…
正直に書かせて頂きますが、色々とダサイ…
ごめんなさい、本音です…
つまらんかった…
合わない。
PS.昭和は好きだし『ベルファスト』も好きな僕です。
マジに田舎でやってけんの?
タエ子はトレンド最前線の姉たちにやや気圧され気味ではあるものの、根っからの東京生まれ東京育ち。そんなシティーガールが「田舎はいいなあ」みたいなうっすらとした憧憬を片手に山形の農村へ出向けば、そこに元々住んでいる人々との根本的ギャップが露呈してくる。
タエ子は農村の風景を小学5年生の頃の周囲の空気と重ね合わせる。すべてが曖昧に滲んでいて、いいことであれ悪いことであれ心の琴線に触れるようなできごとだけが存在する美しきノスタルジーの世界。
だけどこんなアレゴリーは田舎ネイティブの人々からすればたまったものじゃない。それは要するに田舎の都合のいい神聖化だ。田舎には都会のようなせせこましさも退屈さもなくて、野や花に囲まれた美しい生活だけがある、という。
トシオをはじめとする農村の人々は、タエ子を手厚く歓迎しはするものの、彼女の浅薄なノスタルジー消費にうっすら勘付いている。トシオは山や畑を指差して「これは全部人間が作ったものだ」と言ったが、ここにはタエ子の幻想に対する反感が込められている。
さらに追い打ちをかけるかのように、本家の親戚たちが「トシオに嫁入りしないか」と打診してくる。ありありと突きつけられたムラ社会の論理に、タエ子はたまらず家を飛び出す。村外れまで逃げおおせたところで結局偶然通りかかったトシオの車に拾われてしまうあたり「逃れられなさ」が強調されていてつらかった。
車中では小5のときの隣の席の「あべくん」という男の子の話が出てくるのだが、これまた田舎のアレゴリーとしてはこの上なく酷い。あべくんは貧乏で性格がひねくれており、クラス中が彼のことを嫌っていた。そんな中タエ子だけは嫌悪感をできるだけ露わにしないよう努めていた。しかし彼が転校することになってみんなに一人ずつ握手をしようという段になると、彼はタエ子にだけ握手をしてやらなかった。
タエ子はこれについて「私が誰よりもあべくんのことを嫌っていたからだ」と懺悔し、それをトシオが「男は好きな女にこそそういう意地悪をしてしまうものだ」とフォローする。それはそうとこの期に及んで「貧乏で性格の悪いあべくん」を田舎の人々のアレゴリーに用いてしまうタエ子はやっぱり根本的に都会人であるし、田舎暮らしには向いていないように思う。
しかし彼女は駅でトシオたちと別れたあと、東京に向かう電車を途中で折り返して彼らの元へ戻る。つまり田舎に嫁ぐことを決意したわけだ。その決断の是非についてとやかく言うつもりはないが、今までさんざっぱら家父長制的な圧力に自由を阻害されてきたはずの彼女が、より強大で旧態的な差別構造を根本に持つであろう田舎暮らしのリアリズムをサバイブすることができるのかと思うと少し不安になってしまう。
破天荒なアニメ監督が遺した、大人の為のアニメ。あの頃のおもひでに涙がぽろぽろ。
東京で暮らす27歳のOLタエ子。小学5年生の思い出と共に山形での田舎生活を過ごすうちに、大切なことを学んでゆく、というヒューマンドラマ・アニメ。
監督/脚本は『パンダコパンダ』シリーズや『火垂るの墓』の、伝説のアニメ監督高畑勲。
製作プロデューサーを務めたのは『となりのトトロ』『魔女の宅急便』の、高畑勲の盟友でもある天才・宮崎駿。
子供の頃、金曜ロードショーで放送されるジブリアニメは何よりの楽しみだった。
『天空の城ラピュタ』『紅の豚』『耳をすませば』『もののけ姫』…
ジブリのアニメは非現実の輝かしい空想世界へと連れて行ってくれる夢のパスポートだった。
しかし、そんな作品群の中でも「なんだこれ…?ジブリなのにおもしろくないぞ?」と少年時代の自分が首を傾げてしまうものがいくつかあった。
『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』そしてこの『おもひでぽろぽろ』である。
少年時代は高畑勲と宮崎駿の区別がついておらず、ただ「ジブリ」というアニメブランドがあるということでしか認識していなかった。
そのうち、ジブリでは2人の監督がアニメを作っているということをだんだんと知るようになり、「宮崎駿=超おもしろくてワクワクするアニメを作る人」「高畑勲=ジブリだけど面白くないアニメを作る人」という風に認識していくようになる。
この認識は現在まで続いており、意識的に高畑勲作品は鑑賞してこなかった。
少年時代『おもひでぽろぽろ』には何度も挑戦してきたはずだが、全く内容を覚えていなかった。
覚えていたのは「パイナップル」「生理」「貧乏な男の子」くらい。もしかしたら最初から最後まで鑑賞したのは今回が初めてかも。
それくらい子供の頃の自分にとって『おもひでぽろぽろ』は「ハズレ」だった。
あの頃の少年も、今やタエ子よりも年上になった。
タエ子と同じように、さなぎのような感覚でいる今こそ過去を振り返る時だと思い(…そんなに大袈裟なことじゃないけど💦)、本作を鑑賞してみた。
…最高だった。これほど胸を打つ作品だとは思いもしなかった。
高畑勲の凄さはもちろん知っていたのだが、改めて凄まじい監督だったのだと舌を巻いた。
誰が言ったのか忘れたが、「宮崎駿の後継者は現れるかもしれないが、高畑勲の後継者は現れない」というような言葉を聞いたことがある。
この作品を鑑賞して、高畑勲がいかに破天荒で唯一無二な監督か思い知った。
彼の持ち味は徹底的にリアリティを求めたアニメーションにある。
それはアニメの動きや美術という話に限ったことではない。真に迫ったキャラクター造形や、舞台となる土地のロケーションや文化的背景、歴史へのリサーチということにも及ぶ。
映画の制作にあたり行った紅花農業の研究は専門家ですら目を見張るレベルだったというし、NHKにも映像が残されていなかった『ひょっこりひょうたん島』についても、狂気的な執着心でリサーチし映画の中に落とし込んでいる。
もちろんこのように偏執的にリサーチを行えば、制作時間が延びるのも当たり前であり、本作の制作も遅れに遅れたらしい。
プロデューサーでもあった宮崎駿はあまりの遅さにブチ切れて怒鳴り散らしたらしく、ジブリの名プロデューサー鈴木敏夫曰く、「宮さんのあんな声は、後にも先にも聞いたことがありません。」というほどだったらしい。
しかし、このリサーチこそが映画のリアリティを引き出している。他のアニメーションでは決して味わえない、「これアニメでやる意味あるの?」感を感じることができる😆
高畑勲の強みは徹底的な調査によるリアリティだけではない。
圧倒的な情報整理力こそ、高畑勲作品の魅力である。
この作品でも、無駄な描写は一つとしてない。
前半はほとんどがタエ子の過去の描写になるが、ここで描かれるエピソードの一つ一つは後の展開の伏線となる。
印象的な何の天気が好きかと男の子に聞かれるシーン。
タエ子は曇りと答える。
でも、山形で農業をするタエ子が手を合わせるのは燦々と輝く朝日なんですよね。
また、トシオとの関係が一歩先に進むのは大雨の時。
山形に残る決断をするのは抜けるような青空。
物語が進む印象的なシーンは絶対に曇り空ではないんですよねぇ。
意図的に子供の頃好きだった曇り空を避けることで、タエ子が過去の自分とは違う自分へと成長していることを表している、といえるのではないかしら?
生理のエピソードは紅花作りと農家へ嫁ぎに行く事の隠喩となっているしね。
漫画家つげ義春の作品『紅い花』を思い出したあなたは立派なオタクです。
あと、高畑勲はサンプリングが上手いね!
当時流行の音楽だったり、流行りのテレビ番組だったりを適切な形で作品に引用してくる。
トシオが百姓の音楽だと言ってムジカーシュというグループの音楽をかけたり、エンディングソングに「ザ・ローズ」を持ってくるあたり、高畑勲の音楽の使い方や引用のセンスには脱帽。「愛は花 君はその種子」の歌詞が映画の内容を表しているんすよねぇ。
本作のターゲットは完全にタエ子と同世代の20〜30代。これからの人生どう歩むか、そのことに悩む世代を狙い撃ちしており、そりゃこれを子供が見ておもしろいと思うわけないわな、という感想。
タエ子のいう「サナギ」のような気持ちを抱いている人が見れば刺さること間違いなし!
トシオさんが立派すぎる…ジブリ史上一番イイ男に決定〜!顔も声も完全にギバちゃんだけど。
彼の農業にかける情熱を聞いていると何故か涙が、ぽろぽろ…
彼くらいなにかに打ち込みたいと思わせてくれます。
ちなみにこのトシオというキャラクターは鈴木敏夫のアイデアから生まれたキャラクターだからトシオという名前らしい。
過去を振り返ること、それは先に進むために必要なこと。
新しい何かを始めたくなる一作。
これこそまさに大人の為の映画だ!
成長のバロメーター
何十回と見た作品です。今回は数年ぶりに見ました。
いつの間にか大人のタエ子の年を通り過ぎていました。自分が子供のときは子供時代のシーンにばかり注目がいってましたが、今は大人のシーンに関心がいくようになって、変化を感じました。
昔はおじさんとしか思ってなかったとしおの魅力が分かったり(びっくり!)、結婚を勧められたときの心境、子供の時には分からなかった子供(嫌われ者のあべくん)の気持ちなど理解することが出来るようになって、自分が大人になったことを感じました。
タエ子が5年生を思い出していた理由、としおのタエ子への気持ちなど分からないことはあったので、また何年後かに観ると分かるのかなと思いました。
自分の成長を知るひとつのバロメーター的な映画で、数年おきに観ていきたいと思いました。
子どものうちは分からない。
この作品は子どものうちは理解しにくい。ある程度大人になってからでないと…
とはいえそこまで面白い展開はないのでいたって地味としか言いようがない。強いて言えば、柳葉敏郎のヤマガタベンを堪能すべし。
これは子供向けでは完全にないが、高畑さんらしい作品。あの時代のなか...
これは子供向けでは完全にないが、高畑さんらしい作品。あの時代のなかで資本主義から疲れ、地方で生きるとは何か、その良さも悪さも向き合っている作品だと思う。昔の思い出を振り返ることでの人の描写を描き、そこからの卒業と成長を描いてる
世代も性別も違いますが、タエ子の子供の頃の思い出には共感出来る部分...
世代も性別も違いますが、タエ子の子供の頃の思い出には共感出来る部分が多々有りました。
ただ、27才という若さで人生を振り返るような行為をするものなのか?
また、その時に小学生の自分を思い出したりするものなのか?
少し疑問に思ったりもしてしまいましたが、ラストは悪くなかったですよね。
何よりトシオがかなりの好青年♪
なので、タエ子も良い選択をしたかと思います。
それにしても今井美樹さんの声は和みますね。
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