「おでこをつつくと屁がでる芸」お早よう 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
おでこをつつくと屁がでる芸
1932年の無声映画「大人の見る繪本生れてはみたけれど」をセルフリメイクしたものだそうです。彼岸花につづいて2本目のカラー映画になるそうです。Plexという無料ではありますがCMの多いストリーミングサービスで見ました。
小津安二郎お得意の父娘哀話ではなく、平屋がならんでいる郊外で、お隣と密接に関わって暮らしている人々が巻き起こす、謂わば長屋風のコメディになっています。
舞台は助産婦という看板が目立つ公社住宅風の家並みです。昭和半ばごろまで、子供を産むのに病院へ行くのではなく地域の助産婦さんがそれぞれの自宅へ赴いて分娩を手助けしていたそうです。
中学生と小学生の兄弟、実と勇は、勉強もそこそこにしてテレビのあるお隣宅へいりびたって相撲を見るのが日課になっています。
しらべてみると1953年にシャープが国産第一号テレビを発売したそうです。1959年の映画公開当時、テレビはまだ高嶺の花だったことでしょう。
テレビ所有者であるお隣の男を大泉滉が演じていました。昭和時代、よく見たクォーターの喜劇役者で、顔がダリっぽくダリ髭をつけるとそっくりでした。概してダメ亭主を演じる俳優でしたが、ここでもボヘミアン風の男で、夜職風の女と同棲しています。
この男女はその賤業気配や風体によって近所の主婦たちから白眼視されています。実と勇の父母(笠智衆と三宅邦子)もそこへの出入りを禁じようとしますが、兄弟は隣へ行かせたくなければテレビを買ってくれと駄駄をこねます。
要求を塞がれてしまった兄弟はしまいには結託して緘黙(しゃべらないストライキ)を実施し、兄弟がしゃべらなくなったことで親たちや学校へ不協和が波及していくというドタバタ劇になっています。
子供のころ、友達や兄弟と遊びでなにかの取り決めをしたとき「タイム」を設けておくことは重要でした。たとえば「だべさ縛り」で話すことにしても「タイム」を宣言すると縛りが解除され、親や学校と接するときは「タイム」にしておくことで、取り決めを破棄することなくやり通せるわけです。
しかし実と勇のしゃべらないストライキは基本的にタイムなしでした。弟・勇は緘黙にタイムはありかと兄・実にたずねますがタイムなしと言われてしまったので、学校でも律儀に黙ったままやり通します。ただし常にタイムのサイン──所謂okサインを出して口を開く許可をもとめていました。その姿がけなげで勇を演じた豊頬の子役(島津雅彦)は映画の実質的な主役といえるアイキャンディになっていました。
兄弟の反抗期を通じて、小津安二郎が言いたかったのは、大人の会話のもどかしさです。
父親に「余計なことを言うな」としかられた実が「大人だって(余計なことを)言うじゃないか、お早う、こんばんは、こんにちは、良いお天気ですね、って」と反論したことが題名になっていますが、挨拶はともかくとして大人の会話が目的や立場や状況などによって余計な枝葉をつけるのは社会の理です。ご近所づきあいとテレビ騒動を通じて大人の会話の非合理性が諷刺的に描かれています。
近所に福井という姉弟(沢村貞子と佐田啓二)が住んでいて、その家も実と勇の遊び場になっています。佐田啓二は、実と勇の叔母である久我美子に恋心をいだいていますが、本心を言うことはありません。駅のホームで会ったふたりのそらぞらしい会話がスケッチされています。
福井(佐田啓二)『ああ、いいお天気ですね』
節子(久我美子)『ほんと、いいお天気』
福井『この分じゃ二三日続きそうですね』
節子『そうね、続きそうですわね』
福井『あ、あの雲、面白い形ですね』
節子『あ、ほんと、面白い形』
福井『なにかに似てるな』
節子『そう、なにかに似てるわ』
福井『いいお天気ですね』
節子『ほんとにいいお天気』
ただし諷刺を本題に据えているわけではなく軽いコメディとして着地しています。
映画の起と結になっているのは学校で流行っている、おでこをつつくと屁がでるという芸です。この芸には軽石を削った粉が効くとされているので兄弟は軽石粉を食べています。軽石とはお風呂でかかとなどの角質をおとすものです。今はそうでもありませんが昔はたいてい風呂場にありました。母親は軽石が日毎目減りしていくので軽石ってネズミがかじるものかしら──と夫に相談したりします。
この芸がうまくできない近所の「こうちゃん」は屁じゃないものがでてきます。屁じゃないものがでてきて立ち往生してしまうのが映画の起と結になっているわけです。
映画お早うの笑いはダウンしたテンションの謂わばアレクサンダーマッケンドリック風orジャックタチ風、現代で言うならジャームッシュ風の笑いです。ブラックユーモアともちがう、大人っぽく、笑わせようとしない、穏やかで温かみのある、現代の日本映画では見たことのない笑いでした。
佐田啓二がよかったです。昔の人の意見風に聞こえるかもしれませんが、現代の美男子にはない正統な感じがあり、まるで昔のグレゴリーペックのようです。おそらくこれを見たらご賛同いただけることでしょう。
『息子の中井貴一は、当作品中の佐田について「小賢しくない、余計な芝居のない演技をしていて、父の出演する小津映画の中では一番好きです」と評している。』
(ウィキペディア「お早う」より)
黒澤明の映画をみんなおなじという人はいないでしょうが、小津安二郎の映画をみんなおなじという人はいるでしょう。わたしも東京物語と晩春と、二つ三つ見て、わかった気になっていましたが、しっかり見ていくとそれぞれ主題がちがうものです。わたしは映画をよく見るので、わかった風なことをレビューに書きますが、こうして一人の監督をひとつひとつ見ていくと、よくわかっていなかったことがわかります。
IMDB7.8、RottenTomatoes88%と87%。