劇場公開日 1989年12月27日

「長距離恋愛というものは、花火のように燃え上がってしまうものです」男はつらいよ ぼくの伯父さん あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0長距離恋愛というものは、花火のように燃え上がってしまうものです

2021年8月25日
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鑑賞方法:VOD

1989年12月公開
本作からシリーズは年末だけの公開になります
1995年の第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」までは毎年年1本年末の公開が5年続きます
渥美清さんがお亡くなりなった後の第49作、第50作は間隔が空きましたが、それでも年末の公開です

サブタイトルは「ぼくの伯父さん」
つまり主人公が満男に交代したという意味です
以降の全作品は満男と泉の物語で、寅さんのお話の方がサブストーリーと考えた方が良いと思います
冒頭から満男の一人称のナレーションから、寅さんとは如何なる人物であるのかを紹介しているのですから

時は1989年の秋
列車の車体にJR のロゴが盛んに映ります
国鉄が民営化されてJR になったのは1987年4月
民営化されても、何も変わらないとかいわれていたのですが、この頃になるとJR のロゴマークが全国津々浦々のローカル線にまでついて嫌でもロゴマークが目に着くようにになりました

視覚的にも時代がかわったことを伝えているのです
この年の1月に昭和天皇が崩御され、平成が始まっています
消費税もこの年の4月に初めて3%で導入されたのです

男はつらいよシリーズも時代が本作から新時代であるということなのです

満男と泉の恋愛物語が始まるのですが、それがずっとこのあとの作品につづいて、なんと第50作の「お帰り寅さん」までようやく完結するなんて、当時誰も想像もしていませんでした
山田監督はもう本作から構想していたことだったのでしょうか?

名古屋が泉が母と住む街として登場します
この年は名古屋デザイン博という地方博覧会がありました
目玉になるようなものがなく、そう盛り上がりもなかったのですが、それなりに観光客は来たようです
そしてバブルは最高潮の時期です
名古屋はトヨタのお膝元で特に経済の活況がありました

泉が母娘で住んでる古そうな賃貸マンションは新幹線の線路越しにナゴヤ球場が見えます
位置関係から、名鉄名古屋駅から一駅の尾頭橋駅西側すぐ近くのようです
名鉄の独特の赤の電車がチラリと映ります

泉の母礼子のラウンジみたいなスナックは錦三丁目、通称キンサン
名古屋の銀座みたいなところです
バブル真っ盛りの頃の盛り場がチラリと映ります
つまり名古屋はバブルの記号です

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は1986年頃から発掘されて大発見として大きな話題になっていました
翌年の1990年に国の史跡になっています
本作の頃には映像にあるように再現された建物が多数建ち公園として整備されているのがわかります

泉が預けられた佐賀県小城市の旧家は堤防のすぐ近く
堤防の上の道に斜めの坂で登り下りする光景は、満男の家の前とそっくりです

もちろん、ロケハンで探し回って見つけたに違いないのです

檀ふみ36歳、第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」22歳の時から14年ぶりです
寅さんと寿子の心が触れあった瞬間があったようにも見えます
でも本作では人妻ですから全く手も足も出ません

泉の手紙は最初が6月の終わり頃、満男が返信して、またその返信が9月のお彼岸前です
往復半に3ヵ月弱掛かっています
今のラインでのやりとりとは大違いです
良く吟味して書かれた長文の手紙は、ラインでは伝わるとは限らない感情が添付されているのがわかります

コミュニケーション手段が発達したからといって真心までキチンと伝わっているかというとそれは別問題だということです

手書きで、書き間違いないように、誤字脱字のないように書く、封筒や便せんをどれにする
はてはインクの色まで気になる

そんな事まで考えて、一度書いてみてもやっぱり思い直して書き直したりしてたりしていると時間が掛かってしまうのです

この二人は互いに、嫌われたくない、良く思われたい、かといって重くならないように、でもフレンドリーな手紙にしようと、心を砕いていたのが良くわかります

昔はこうだったんです
そんなに純情だったんだと思い出しました
スレ果てた今の自分との果てしない距離を思うと涙がでそうなほどです
寅さんの目線で満男の恋愛を見ている自分がいます

長距離恋愛というものは、花火のように燃え上がってしまうものです

♪会えない気持ちが
 愛育てるのさ
 目を瞑れば君がいる

古いなー!と笑われそうです
郷ひろみのヒット曲の歌詞そのままです
会わない限り心は満たされません
手紙や電話では想いが募る一方なのです

なんだかんだありますが、結局二人は会うことで心の安定を取り戻します
満男は、泉ちゃんにふさわしい男になるんだと前向きに落ち着いたようです
泉ちゃんも、満男が何があっても自分を受け止めてくれる男性だと信じ切ってくれたようです

でも遠距離恋愛の苦しさはこれからなのです
それは次回以降に語られます

寅さんは、もはや二人をやサポートする役回りになっています
御前様がさくらに諭すのと、同じ構図が寅さんと満男で繰り返されているのです

だってテキ屋の仲間が死んだと聞けば、自分も、そんな年なのかと嫌でも意識させられるものです

ラストシーン
寅さんは初詣で賑わう佐賀県小城市の須賀神社で
商売していました
泉ちゃんの住んでいた町の有名な神社です

泉ちゃんは入れ違いに別居中の父に呼ばれて上京して満男とあっています
この時点ではまだ秋葉原のヤマギワ電気とおぼしき電気店に勤めていたのです
彼女は年寅さんからの配達済みの年賀状を持っていましたから正月二日のことのようです

寅次郎の年賀状を読んで笑う泉ちゃんを写すカメラの視線は、斜め後ろに座る満男のものです
彼女の美しさに感嘆している満男の視線なのです

でもなんで寅さん、また小城市に?
中盤の佐賀市中心部の佐嘉神社の10月中旬の秋祭りとセットで、正月の商売に須賀神社を予定に ずっと前に入れていただけかも知れません

でも、もしかしたら正月をどこで商売するかを考えたとき、やはり小城市に舞い戻りたくなったのかも知れません

満男の家出騒動が終わって小城市を去るのは10月の下旬のようです
泉ちゃんが気に掛かりで高校まできて、また顔を見にくるよとかいってましたけど、それなら寅さんは家にいってます

ばったり寿子さんと会えないものかなんてほのかに夢をみたんでしょう
二言三言立ち話してあの笑顔をもう一度見たかったに違いありません

いじらしいたらたありゃしません
でも、どうせ空振りなんです
映画のような劇的な再会なんて、お互いの運命が始めから交錯するようになっているから、そうなるのです

あき240