「手の付けられない不良の弟に、姉はどこまでも優しく」おとうと(1960) 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
手の付けられない不良の弟に、姉はどこまでも優しく
1960年。監督:市川崑。原作:幸田文。
幸田文の代表作「流れる」に続き「おとうと」を観ました。
母代わり・・・言葉にすれば、簡単ですが、
8歳で生母を病気で亡くした文。その時、弟は5歳でした。
後年、父の幸田露伴は再婚して、継母が来ます。
原作の「おとうと」は、そんな幸田文の自伝的要素の強い代表作です。
げん(岸惠子)は17歳の女学生です。
作家の父親、継母、そして3歳年下の弟の碧郎(へきろう=川口浩)の4人家族。
姉・弟は継母(田中絹代)とは、反りが合わない。
その上継母はリウマチで伏せりがちで、家事のほとんどをげんに頼っている。
げんと碧郎は仲が良く、口喧嘩は江戸弁で啖呵を切り、事実2人の喧嘩は取っ組み合いの激しさだ。
この碧郎が大変な不良なのです。
喧嘩で友だちの足をへし折ったり、その仕返しに半殺しの目に遭い、片耳の鼓膜が破れて
つんぼ(当時は差別語などありませんでした)になる有様である。
それでもいっぽうに懲りるどころか、万引きなど悪さはエスカレートの一途をたどるのだった。
遊びもビリヤード→モーターボート→乗馬とランクアップ。
どれも豊かでない文士の父に借金を負わせるのだ。
競走馬を勝手に走らせて転倒させて馬の足の骨を折る・・・まったく手に負えない。
そんな碧郎が手遅れの肺結核になる。
即刻、入院だった。
私の前知識では、「おとうと」は年若い弟が若くして結核で亡くなる悲しい話し。
それしか、知らなかった。
後半は事実、碧郎の闘病に重点が置かれる。
心に残るエピソードとして、
姉のげんに近づく男を見張っている碧郎は手下の仲間にも手伝わせて、
げんに言いよる刑事(中谷昇)をアヒルの行進で追っ払うシーン。
そして姉への最後のおねだりは、
「姉さんの島田に結って見せて!!」
花嫁姿を見るまで生きられないと覚悟した碧郎の頼みは、悲しかった。
そして冬の夜中、碧郎は帰らぬ人となる。
音楽は芥川也寸志。
「流れる」では質素で慎ましいお手伝いを、好感度高く演じた田中絹代が、、
この映画では、底意地の悪い継母を好演。
本当に嫌いになる程、嫌な継母で芸域の広さに唸りました。
弟の川口浩。俳優としてより「川口浩探検隊」(1977年~1985年)の方が有名ですね。
岸惠子は88歳の今も美しい才女である。
そして、映画で描かれる父親(幸田露伴がモデル=森雅之)は実に温厚な父親で、
癇癪ひとつ起こさない。
幸田文の闊達さは、父・露伴の優しさによるものかも知れない。