"エロ事師たち"より 人類学入門のレビュー・感想・評価
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性を権力批判ではなく人間の本能の怖さとして描く熱気に満ちた作品
ポルノ写真、ブルーフィルム、売春、乱交パーティ、ダッチワイフ製作等、性欲に絡む商売に全身で没入しつつ、自分も性欲に流されるまま子持ち未亡人と事実婚状態に陥るわ、彼女の中学生の娘を犯すわ、猥褻罪で拘置所に入れられるわ、ヤクザに商品を回せと恐喝されるわ、仲間に裏切られて財産を奪われるわ…と波乱の人生を送る男を描いた映画。
冒頭から人目を忍んでこっそりブルーフィルムを撮影する後ろめたそうなグループや、宴会で性交を見せる男女、知的障害者の娘との性交を見せて生活費を稼ぐ中年男等々、社会の底辺に蠢く人々の猥雑の限りを尽くすシーンが続く。
そして主人公が「これはどんな人間もやってること。俺は真面目にやってるから逮捕されるが、お偉いさんの方がよほど汚い」とか、「それは民主主義のはき違えだ」などと言うシーンに、これは性の露出、露悪趣味で権力批判したつもりになっている悪しき60年代のパターンなのかと思わされる。
しかしずっと見ていると、主人公は権力よりも、自分の性欲に酷い目に遭ってきたことがわかる。性欲に負けて年増女の家に転がりこんだり、ポルノ仕事にのめり込んで社会の表面からはじき出されたり、猥褻罪で捕まって家の子供たちに軽蔑されたり、連れ子とセックスして母親と娘をドロドロな関係に追い込んだり…。
主人公のエロ事師は確かにデタラメで、滅茶苦茶で、悪い。しかし、それはみな性欲に引きずられた結果、本能のまま社会倫理からはみ出てしまった結果なのである。
主人公はその責任をすべて引き受ける。というより社会から責任を取らされ、それでも懲りる風情はない。こうなるともはや善悪の彼岸wであり、人間にとって性がいかに大きな意味を持つか、どうぞ自由に追求してください…と言いたくなる。
そう。主人公は自由に純粋に性を追求し、今村監督も小沢昭一もそれにどっぷり付き合っている。性を権力批判に利用する軽薄さでなく、人間の本能の怖さを描く熱さが伝わってくる本作は傑作と呼ぶにふさわしい。
どんな時代でも男と女の間には黒い川が流れ
こんな職業が存在したことじたいがうれしい。
"エロ事師"と呼ぶことじたいに人間らしさが感じられる。
いつの間にか、どうしたことかこの手の商売は産業と呼ばれてしまっていて哀切さがなくなってしまった。つまり人間が感じられなくなってしまった。スブやんはくそ真面目に正直に世間を生き抜いていて、職業の貴賤など笑い飛ばしながら悔し紛れの働くことの正当性を誇示して暴力にも屈するこ
とはない。しかし、周りからは蔑まれ疎まれる。が、しかし、めげないし挫けない。足を洗うことなど考えもしない。男の悲哀を知り抜いているが故の信念なのだ。高度成長期の真っただ中で、人間らしく生き抜くためには何をすれば良いかを教えてくれている。
この映画が描いている時代と今の状況はなんら変わることがない。
社会は効率的で経済最優先である事が人間を幸せにする。それ以外の考えは無意味だと信じて疑わない。この映画が作られた時代にすでに、他の考えもあるだろうと言っている。
この映画が封切られて55年が過ぎてしまった。
メンドクサイけれど新しい生き方をも認め、生きる方法を始めてみたいものだ。
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