越前竹人形

劇場公開日:

解説

水上勉の同名小説より、「日本一の色男」の笠原良三が脚色、「嘘(1963)」の吉村公三郎が監督した文芸もの。撮影は「雑兵物語」の宮川一夫。

1963年製作/102分/日本
原題または英題:The Fractured Bamboo Doll
配給:大映
劇場公開日:1963年10月5日

ストーリー

竹神集落は越前の国武生の寒村で竹細工の産地として知られている。竹細工の名人といわれた父吾左衛門を失った一人息子の喜助は、仕事場へ見知らぬ美しい女の訪れを受けた。かつて喜左衛門に世話になった、芦原の遊廓に働く遊女玉枝であった。喜助の心の中に玉枝の面影は強く残った。名前を頼りに探しあてた喜助は、喜左衛門の作った竹人形を見せられ、その傑作に感動した。玉枝の境遇に同情した喜助は、百五十円の大金を苦面して竹神の家に来てくれと頼んだ。喜助の真情に打たれた玉枝は、秋も深まった日喜助の家に来た。狂喜して迎えた喜助と、ささやかな式をあげたが、しかし何故か、喜助はその夜から、竹人形を作る事に没頭した。初めて喜助の家を訪れた雪の日の玉枝の姿を写したものだった。冬近く竹人形は完成した。見事な出来ばえに郷土民芸展で、県知事賞があたえられた。富助の人形は「越前竹人形」と名づけられ美術工芸品として売り出された。同じ頃玉枝は芦原のお光を訪れ、形ばかりの夫婦の悩みを訴えたが、世間なれたお光に元気づけられて帰った。春--喜助の留守に京都から竹人形を仕入れに来た番頭の忠平は、偶然にも玉枝が京都の島原にいた時のなじみの客だった。美しい玉枝に忠平の心は魅せられ、突然彼女にいどみかかった。竹人形の評判もたかまり喜助は多くの弟子をもつ身となった。喜助はお光のもとに立ち寄り、喜左衛門と肉体関係のない事を知り救われたように竹神へ帰った。喜助の心のなごむのもつかの間玉枝は妊娠した。忠平との子供である。胃を診てもらうと称して京都に発った玉枝は、忠平の残酷なしうちを後に叔母を探し歩いた。淀川の渡し舟の中で玉枝は、腹痛のあまり失神した。船頭の臨機の処置で胎児は川に流された。憔悴し切った凄艶な姿で帰ってきた玉枝をむかえた喜助の願いもむなしく、玉枝は昏睡していった。喜助は玉枝の死後、越前竹人形の製作をぷっつり断ち切ったという。

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映画レビュー

3.0若尾文子の演技と宮川一夫の撮影

2020年4月18日
PCから投稿

原作の縛りがあるから仕方ないが、脚本が感心しない。女性主人公の苦しみが強調されて、軽率な男の立場がそのままでおわる。地方風俗の時代色をモノクロ映像に映し出す宮川一夫の撮影と女優若尾文子の魅力だけの映画におわる。「夜の河」の吉村公三郎ならもっといい映画に出来たのではと思いたい。

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Gustav

1.5福井愛

2015年7月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

題名の通り、福井県の民芸品である竹人形を作る職人とその妻になる女の短い結婚生活を描く。
妻となる若尾文子は京・島原の芸者をしていたので京言葉を話すが、主人公ら福井の人間がみな福井の言葉を話す。ときにはイントネーションが不自然なところは否めない。だが、ともすればどこのものかよく分からない田舎臭い言葉を使用することでごまかしがちな部分を、ある程度の方言考証に基づいて俳優に喋らせるところに製作者の良心を感じた。
また、「・・・日野川の支流を遡って・・・」という冒頭のナレーションなど、福井県民でなければまったく地理感の湧かない説明なのに、じっくりと観客に聞かせるほどに長いことも県民にとってはサービス。
そして、主人公が芦原温泉へ行くときに映る京福電車の駅。田んぼの真ん中にぽつりと一両編成の電車が止まる小さな駅。そこには「あわら 番田 水居」とある。芦原湯町という駅名が付くのはまだ先のことなのだ。
福井の人間にとってはうれしい、福井愛に満ちた作品である。

脇を固める俳優の存在感も良い。
夫の留守中の過ちで若尾を妊娠させる西村晃。若尾が吐き捨てるように言った「人間の皮を被ったケダモノ!」ぶりが徹底している。後年の黄門様の好々爺も、若い頃はなかなかのワルを演じていた。
そして、船頭の中村雁治郎の朴訥とした善人が素晴らしい。若尾が絶体絶命のときに、この人が他の作品では見せたことのないような絶対善とでも呼びたくなるような、宗教的ですらある姿を見せる。

なかなか難しい題材(水上勉の原作)を選んでしまったという感じがするが、魅力的な俳優たちと、今でも使える池野成のモダンな音楽に魅せらているうちに終わりがやってくる。

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佐分 利信