「田中絹代に出会い直すことができた」雨月物語 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
田中絹代に出会い直すことができた
この映画で私は初めて田中絹代さんを発見しました。今まで色々な監督の映画で見てきた女優さんです。山田五十鈴や京マチ子のような美女タイプではなく小柄で可愛らしいが、立派過ぎる台詞を言わされてる感じも強く、正直、あまりよくわからない女優さんでした。
そしてこの「雨月物語」で田中絹代に出会い直した。田中絹代は聖女で、清らかで優しくあたたかく限りなく優しい。すべてを包み込んでくれる。共に居るだけで自分も清められるようなそういう存在でした。何かあるとすぐに子どもを抱きかかえるその速さ。夫を慈しむ思いと言葉。夫の源十郎(森雅之)が家に戻ると誰も居ない。が、ふと見ると火のついた囲炉裏端に妻の宮木(田中絹代)が座り家事をしながら夫を待っていた。向こうには息子が眠っている。息子を抱きながら眠る源十郎。この世に居なくてもそういう想いで夫と息子をあの世から見守っている宮木。本当にあり得るんだと思わせる優しさとあたたかさを醸し出す田中絹代の演技は心から素晴らしいと思った。涙が出た。
都に向かう船のシーンは幻想的で、霧に包まれた湖の風景では(よくわかってないけれど)旅に出るオイディプスの神話を思い浮かべた。若狭(京マチ子)が住まう朽木屋敷は能舞台のような雰囲気で、若狭が纏うのも能の衣装、歩き方も能、化粧も能の面。その高貴な娘の顔が源十郎に正体を知られたことで恐ろしいような様相になるが鬼にはならない。ひたすら悲しい。オープニング・クレジットから能の鳴り物が響き、朽木屋敷では能管と謡曲が聞こえる。死者と生きている者が出会う能舞台。それがこの映画で自然に描かれている。
金や出世を求める男たち、愛する人と共に静かに生きていきたい女たち。この映画の女性に溝口監督はもう男性を告発させない。なぜなら女たちー若狭も宮木もーは既に死んでしまっているから。ローカルな日本の能の幽玄や死者への思いが、普遍的なものとして理解され感動を与えることができた希有な邦画、素晴らしい映画だと思う。
おまけ
京マチ子は29歳!には見えない大人で凄みのある絶品の演技。田中絹代は44歳!には見えない健気で包み込むあたたかさ溢れる絶品の演技。森雅之に内野聖陽は似てる。
talismanさん、コメントありがとうございます。
本当は映画の源十郎が慟哭するくらい己の愚かさに悔いる結末ですが、それをあの時の青年が身代わりになって私に見せてくれたと思っています。映画鑑賞の素晴らしさに衝撃を受けたと同時に、私の方は作品を冷静に観てしまうという稀有な体験でした。
フェリーニの「道」と同じく、男の根源的な未熟さ、自分勝手な生き方を諭すような溝口監督の突き詰めた作家としての見識が見事ですね。田中絹代は、「西鶴一代女」と真逆の女性像を演じて、天使のようなジェルソミーナに重なります。それと対比になる妖艶な京マチ子も素晴らしい女優です。黒澤の「羅生門」と成瀬の「あにいもうと」、そしてこの溝口作品と巨匠の代表作で名演を遺してくれました。