浮草のレビュー・感想・評価
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隙間に寂しさがある
小津と言えば低い位置の固定カメラ、なイメージが強かったが、こちらはそこまで低くもない。むしろ見易い。
当時旅芸人の立場が随分と低かったのだろうことは分かる。
そんな時に公的機関郵便局に務めるなんて、そりゃあもうご近所さんでも評判のエリート扱いだ。
お前らとは人種が違う、と罵倒されたすみこが腹を立てて企てる訳だが、なんて酷いことを言うのだと鑑賞してても思ったものの、実の父だと言い出せないあたり、誰よりも罵倒した当人が己を恥じているという悲しさがある。
しかし描き方は俺だって辛いなど喚きもせず。
カメラは少し距離を置く。言葉にはしないけれども、眺める空間や影に寂しさが漂っている。
美しい。胸に迫るものがある。
それぞれみな胸に抱えるものがあっても、日々はあっけらかんと軽口を交わして過ごしていく。それが大人というものだろう。いちいち説明しなくても、互いにあなたの辛さは分かっていますよ、という心の触れ合いのようなものがそこにはある。
誰もが我慢を強いられた時代だったからこそ、他人にも寛容だったのかもしれない。
昭和レトロが堪能できる映画
昭和の雰囲気たっぷりで、レトロ好きにはたまらない映像。
今見ると少し演技が大袈裟だと感じるけど、その違和感を差し引いても良かった。
純文学を映像化したような作品。
夏の時期に見るにはピッタリな情緒的作品。南京豆=落花生
内容は、伊勢志摩に興行にくる一座とそれを取り巻く人々との葛藤・慟哭・情緒・疑心・運命・宿命・軋轢・後悔・愛情をリメイクしカラー映像作品に表現した作品。好きな言葉は『ヤクザな親なら無い方がましや!』旅の一座で12年振りな夫婦水入らずの時の自身の子供に対する親の気持ち。寂しさの中にも諦観と、曲げられない自身のこだわりが感じられる。『どんなええ芝居したかてこの頃の客にはわからんわい』久しぶりの息子と話する場面は、観客と映像作品作りに励む立場の違いと時代の流れを感じられる。『丸橋忠弥なんて全然社会性あらへんやないか。今の世の中との繋がりや。』親子水入らずで釣りしている時の会話はクリエイティブに生きる人がその時大切にしたかったテーマなんだろうな。浮草のテーマである流れ者一座の業の深さと運命的な出会いや映像が見るたびに気付く事があり面白い。好きな場面は、旅の一座が初公演で国定忠次の後引き幕の後ろから客席の入りを覗いてる三人に対して注意する女の人とセットの地蔵が手前に置かれている事で、壁に耳あり障子に目ありみたいに感じられ上手い演出だなと感じる。その他にも冒頭の白い灯台と柿色の一升瓶と赤い郵便ポスト📮の対比はこれから起こる物語の関係性を示している所は素晴らしい。見れば見るほど恐ろしいほど練り込まれた作品にはカラーで見れば余計に伝わってくるものがあります。映像美もさることながら杉村春子の表現力は半端ない数々の小津作品に参加されてますが、この作品が一番印象に残りました。脇役でありながら絶対的な存在感と血に根をはった伊勢志摩にある目印の灯台の様で安定感のある表現に釘付けになります。庭から眺める鶏頭の赤。サルビアの赤。干してる鯉のぼりの赤🎏大雨の中の傘の赤。最後の場面で夜汽車のテールランプの闇に光る赤。煙草の光の赤。郵便局の赤。口紅の赤。闇夜に光る提灯の三つ巴の紋様の赤。夏の船の修理場🚢に見える船の吃水線の赤。夏の暑さにはスイカの赤。かき氷🍧のシロップの赤。青と赤の対比や自分的には、時折上から降ってくる花吹雪の白い色が色んな思いを呼び起こされる様で感銘うけました。タイトルの浮草は、根無草とも呼ばれ秋になると休眠し海底に沈み春になると再び水面に出てくる『無き者草や鏡草』と呼ばれこの映画の旅の一座やそれに纏わる人々の心境を表す表現は味があって好きです。カラーを意識した作りに目を見張る映画でした。終幕付近に『親子3人で暮らそうか?!』と口にする主人公は自分では生き方も変えられない事が分かっていて自分に嘘をつく表現と嘘と理解した上で『ありがと、ありがと』という杉村春子の本音と諦めに思える表現は、今の歳になって解ってくる深い表現を発見した様で辛いですが面白い作品です。
若尾文子様と小津監督作品
素晴らしい。それぞれのショットも美しい。
昔懐かし旅芝居、若尾文子さんの可愛らしさ。
俗っぽさも味方につける、小津監督の見せ方は芸術でしょう。
主にストーリーとして旅芝居の親方を中心に周りを取り巻くように進んでいく。
登場人物というものに観客は感情移入していくものだが、これは親方に感情移入出来なければ、少々腹立ちを覚えるだろう。
そんな身勝手な親方の愛情のもつれによる心情の移ろいを描いたものだ。
私は最終部分まで腹立たしく思っていた口だが、最後はホッと切なくなった。
可愛いおなごに惚れられて、羨ましい限りです。
杉村春子の為の映画 彼女の凄さ、日本一の女優である理由が存分に示さています
松竹でなく大映作品です
前年1958年の彼岸花で大映のトップ女優山本富士子を松竹が借りた、そのバーターで小津監督が大映で撮影した作品とのこと
なので本作では彼女以外の残る大映のトップ女優が出演します
もちろん中村鴈治郎は当時大映専属です
山本富士子に並ぶ大映の看板女優となれば若尾文子
そして大映の最終兵器、数々の海外映画賞受賞に輝くグランプリ女優の京マチ子です
となれば京マチ子がヒロインで、若尾文子がその対抗軸と勝手に思い込んでしまいますがさにあらず!
実は本当のヒロインはなんと杉村春子です
京マチ子35歳、若尾文子25歳、杉村春子53歳
京マチ子は女性が最も美しくエロチックである年齢のピークにあります
若尾文子は若くピチピチしています
しかし、杉村春子はこの二人を向こうに回してヒロインとして君臨しているのです
最も駒十郎を愛しており、彼の本質を理解をしているのは彼女です
それを何気ない演技で完全に伝え納得させる凄さ
駒十郎が彼女の家で酒を呑んでいるシーンで、彼女は呑んでいる本人が徳利に酒が無くなっていることに気付く前に徳利を差し替えに行って酌をすすめます
彼から妬いているのかと問われても、平然と聞き流す時の表情
そして「お父さんなら、また旅に行きなはった」と悲しみをこらえてこのままでええんやと伝える表情
その上、彼女は駒十郎とすみ子が結局どうなるかまで見通しているのです
役への理解、登場人物の関係性への洞察力
杉村春子にしかできない至高の演技力だと思いました
日本一の女優とは誰か?
森光子でも、山田五十鈴でも、高峰秀子でも、田中絹代でも、原節子でも、岡田茉莉子でも有りません
それはこの杉村春子です
本作は杉村春子の為の映画です
彼女の凄さ、日本一の女優である理由が存分に示されています
盆提灯の青白い灯りと彼岸花の赤の対比は溜め息の出る美しさです
ラストシーンも蒼い闇夜の中に走り去っていく列車の二つ並んだ赤い尾灯でした
前作の彼岸花からカラー撮影となり、計算され意図的な演出として各シーンに配置された赤い小道具の使い方は大変に有名です
それは、本作でもポストや郵便局の自転車などが暗示しているように演出の一環として継承されています
舞台は旅芸人の一座が連絡船で村に来る冒頭のシーンを観るとどうも三重県志摩市浜島の辺りの設定のように思います
近鉄の終点賢島駅から西に15キロ程ですが、当時は山を抜ける道路事情が悪く陸上交通では恐ろしく時間がかかったようです
賢島から連絡船が今も出ています
今は車ですぐです
ミキモトパールの養殖の本拠地のため、昔から裕福な漁村で温泉もでて温泉街もありますから、旅芸人の一座が来てもおかしくはありません
伊勢海老などの海の幸を贅沢に使うご馳走をだす立派なホテルや旅館が今も幾つか有ります
海にせり出すようなテラスから太平洋が夕焼けに真っ赤に染まるのを眺められて最高のひとときを過ごせました
この辺りは伊勢ではなくて、志摩地方が正しい呼び方です
小津監督はここと同じ三重県の出身ですが、松坂市ですので、北に60キロも離れた伊勢地方の方になります
松坂市は、あの松坂牛で有名な町で伊勢地方の中心的な大きな町です
キスシーンのある映画は小津映画でもいやで。
イメージとして小津安二郎監督はキスシーンは撮影しない人だと思っていたのに、若尾文子と川口浩が3度も4度もキスシーンがあったのには残念な気がした。ただ、たぶらかすつもりが本気になるというのは両者とも純粋だった。男の身勝手でかわいそうなのは杉村春子だろう。京マチ子はきりりとしてりりしい。
カラー作品でも小津安二郎の影(闇)の使い方は秀逸、無機質な小道具を...
カラー作品でも小津安二郎の影(闇)の使い方は秀逸、無機質な小道具を擬人化したり、鏡のなかに映した顔の表情を巧みに入れたり、赤の使い方が素晴らしかったり、何度観ても見事という他ない。
他の小津作品には少ない、感情をぶつけ合うシーンもいいですね。私にとっては小津作品のなかではベストワンです。
☆☆☆☆★★ ※ デジタル復元・DCP版 小津安二郎が描く滅びの美...
☆☆☆☆★★
※ デジタル復元・DCP版
小津安二郎が描く滅びの美学。
その悲劇性は少しづつではあるが、ジワジワと心の奥底に染み込んで行く。
若い頃には理解し切れなかった〝人間の業〟や心の移り変わり。台詞ひとつひとつの、微妙なニュアンスによって意味合いが違って来る辺りが、今回はじっくりと味わう事が出来ました。
例えば、冒頭近くに三井弘次と賀原夏子のウインクを交えた台詞のやり取り。
三井弘次は「待ってますよ」…の台詞を3回言う。
この際の2回めに言う「待ってますよ」…の微妙なニュアンスには、男女の色恋に当てはめる言い方になっていて。その小津演出の艶やかさには驚かされる。
それでいて三井弘次は賀原夏子を他人にあてがうのが実におかしい(笑)
そして何と言っても。2代目中村鴈治郎を中心にしての、京マチ子と杉村春子の3角関係。
3人の名演技と巨匠の演出。加えて、小津・野田高梧の完璧とも言える脚本。これに名カメラマン宮川一夫を筆頭とする素晴らしいスタッフ陣が加わっているのだから。
以前に観た時は『晩春』や『東京物語』等と比べてしまうと…との思いがあったのですが。とんでも無い間違いで有る事に気付かされました。
これは完璧な作品ですね。
※ 小津カラー独自の赤色
映画が始まり4カット目に赤い郵便ポストが映る。
この時の小津カラーの赤色が実に鮮明に再現されていた。
以後も映画の随所で効果的にこの赤色が配置されている。
また出演者の1人である川口浩は郵便局員。
彼の生い立ちは実は…映画を語る上では何気ないこのワンカットだけど、その後の展開に於いては象徴的なワンカットになっている。
初見は並木座(日時は不明)
2018年3月2日 国立近代美術館フィルムセンター大ホール
旅一座が軸であるもののその舞台ではなく人々の日常を軸に展開していく...
旅一座が軸であるもののその舞台ではなく人々の日常を軸に展開していく。京マチ子の激と杉村春子の静の対比が面白い。雨の中の夫婦喧嘩の場面は印象的。
小道具が気になる
二度目の鑑賞。
やはり小津安二郎の作品は何度見ても面白いし、観るたびに新しい発見がある。
冒頭に一座が到着する港の灯台と、堤防の上に置いてある黒い一升瓶が意味ありげに映される。そのあとに映る赤い郵便受けが、川口浩扮する息子の象徴であることは映画がすすむにつれて明らかになる。だから白い灯台と黒い一升瓶も登場人物を象徴しているはずなのだ。
そのように意識して観ていると、実は杉村春子が中村鴈治郎の為に酒をつけているシーンに、黒い一升瓶が映っている。そうなると、白い灯台が誰を指すのかも自然と決定されるのだ。
もう一つ、その色が印象的なものが映画にはたびたび登場する。それは、杉村の家の裏庭に咲く赤い花である。この花はおそらく京マチ子を指すのではないか。京が杉村の店へやってくるときに持っていた傘の色も赤い。
杉村に出された酒を飲む中村の背後には絶えずこの赤い花が映っている。このことで、中村がしばしの家庭の雰囲気を味わいつつも、現在のパートナーである京の存在から離れることはできないことが示される。
川口は自分の父親が中村であることを知らない。旅から旅の浮草稼業の身を恥じて、中村は自分こそが父であることを告げない。そして、息子は自分の住む世界とは別の「堅気」の世界に生きて欲しいと願う。
この父の息子への感情は「ニューシネマパラダイス」のアルフレドのトトに対する思いと同じだ。時代の転換期に生きる父親の、悲しくも潔い姿を体現している。
雨の中の痴話喧嘩
こういう小津映画は大好きで、宮川一夫・撮影で、京マチ子で鴈治郎で杉村春子で、何にもわかってないぽーっとした若尾文子ときたら最高でない訳がない!
雨の中の軒下で吠える京マチ子、上から見下ろす映像で本当に美しい。雨と激しい雨音と彼女の濡れて乱れた髪と着物と背景の戸の全てが悔しさで喋りまくる女の小道具になっている。小股の切れ上がった京マチ子の女っぷりと優しさには感動を覚える。現実にこういう女性は居ないのか居るのかそんなことは超越している。ただ見る人がこういう女だなど感じそれで、もうそういう女は居ることになる。雁治郎の飄々とした動きと目つきと色気は可愛さに繋がっていて目が離せない。
この鴈治郎の曾孫の壱太郎くん(31才)、美しく演技も踊りも上手い若手の女形。すでに素晴らしいのでこれからどうなるのかあまりにも楽しみ。彼がもうちょっと大人になってから京マチ子さんのこの役を演じたらいいなあ。(2022.8.16.)
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