劇場公開日 1958年9月2日

「両義的な時代、両義的な人間」鰯雲 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0両義的な時代、両義的な人間

2022年12月18日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1958年。成瀬巳喜男監督。神奈川県厚木周辺でかつて地主だった農家を舞台に、農地解放と近代化によって人々の意識が変わっていく様子を切なく描く。同時代(昭和30年代初頭)が想定されていると思うが、あらゆることが変わろうとしている過渡期だということが強調されている。田んぼを耕すのは牛だったり耕うん機だったりするし、農家の子どもたちは高校や大学に行ったりいかなかったり、農民になったり銀行員になったり工員になったりする。祭りや地鎮祭のような地域のつながりがしっかり残っている一方で、若い男女が親に黙って同棲するのを助けようとする大人もいる。地主と小作、本家と分家、親と子といったかつての社会構成が確実に変化していく姿を両義的なままに描いている。耕うん機もそうだが、車や電車が意図的に農村風景の中に入り込んでいる。
しかも、古い因習的な田舎の暮らしが個人と自由を尊重した近代的な暮らしに移り変わっていくことを肯定的に描くわけでもなく、両義的な態度を貫いている。インテリの農家の未亡人として新聞に投書する進歩的な淡島千景も、頑固な兄の中村鴈治郎(二代目)が土地に執着することには同情的だったりする。
淡島千景自身が両義的な空気をまとっていて、モンペ姿(農家の嫁)と和服姿(インテリ貴婦人)とで雰囲気が一変している。新珠三千代とのやりとりでは学生らしさを残した華やぎがあるが、不倫相手の新聞記者との関係は終始重苦しい。前者は車とともに描かれ、後者は電車とともに描かれる。
カラーのワイドスクリーンで、のびやかだが因習の残る農村の風景や家屋敷と、そこから離れようとする若者たちが依拠する料理屋や下宿とがゆったりと描かれる。

文字読み