「特異な家族構成の家庭崩壊劇に観る成瀬巳喜男監督の演出力が絶品」稲妻(1952) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
特異な家族構成の家庭崩壊劇に観る成瀬巳喜男監督の演出力が絶品
傑作である。この作品で成瀬巳喜男監督の真価に敬服してしまった。敢えて言えば、溝口健二の厳しい真実追求の人間ドラマの力強さと、小津安二郎の日本的社会に生きる人間を冷静ながら情愛深く描く優しさの両面がある。日本を代表する二大名監督の演出スタイルの、見事な調和を感じた。家族の在り方、家族それぞれの生活信条、理想と現実の乖離、それらの問題を抱えたある家族を主人公にして、日本的社会と闘う日本人の姿を表現している。これは、今日の多様化した情報化社会に対しても鋭い社会批評になるのではないだろうか。この成瀬演出の美しさと見事さは、映画を観て久し振りに経験する興奮そのものであった。
舞台は東京の下町。夫を四人持った人生経験豊富な母親に、それぞれの子供が一人ずつ社会人として成長している。男一人に女三人のこの兄弟は、母親の家を自分勝手に行き来する。長女は夫に見切りを付け末っ子の高峰秀子に世話した男と親しくなり、またお金儲けに没頭して喧嘩が絶えない。これを主軸にした話で物語を進展させるが、取り立てて劇的な展開をするわけではない。日常のさり気無い生活描写に見所がある。唯一、二女の夫が行方不明のまま最後病死して、その残された妻の前に現れたのが、、夫が隠れて交際していた女という件くらいだ。ただ末っ子の高峰は、結婚を前にした微妙な年頃の女性故に、家族の現実的な問題で価値観が狂わされて行く。
家族の幸せとは何か。心配することだけが母親の姿として、ささやかに描かれる。そして、男に期待するのを諦め独立して生活し始める末っ子が出会った、兄と妹だけの幸せそうな家庭との対比。両親を亡くして、さぞ大変であろうという世間一般の常識とは真逆で、その溌剌と生きる兄妹に見惚れる高峰。そこへ、二女が何処へ行ったか分からないと母親が訪ねてくる。映画は、ここで母と子の闘いをクライマックスとして描く。こうなるはずではなかった、子供を産む時は幸せになることを願い、いい子に育つよう努力したと呟き、嘆き泣く母。男を四人も変えたと母をなじる娘。ひと時、二階の窓から隣の兄妹の明るい庭先を覗く高峰の視線が、この映画の言いたいことを見事に表現している。それは生きる上で何が一番大切かを考えさせるに十分な意味を持った、映画の語りであり演出の揺ぎ無さである。
特異な家族構成を演劇的な演出で纏めた家庭崩壊劇。日本的な男女関係や生活慣習を組み入れて描いた闘う家族劇のドラマ演出の見事さ。しかも、ラストの母と末娘の涙の戦いを、かたい愛情にまで持って行った演出の巧さ、絶品である。この一作で成瀬巳喜男監督が大好きになってしまった。
1979年 9月27日 フィルムセンター