「44年後の「なぜ」」悪霊島 ブロディー署長さんの映画レビュー(感想・評価)
44年後の「なぜ」
私が1981年に劇場で観た映画は「レイダース 失われたアーク」「マッドマックス2」「機動戦士ガンダム劇場版」だった。どの作品もリアルでシャープでカッコよく、自分たちの世代が夢中になる映画こそが新しい時代を作っているような気分だった。その1981年にこの「悪霊島」を観に行った。角川映画らしいTV CM攻勢の「ぬえの鳴く夜は恐ろしい」というナレーションに惹かれてだった。見終わった後、一緒に行った友人たちとの感想はみんな揃っていた。なんて、しょぼく、安っぽく、薄っぺらいんだ!もう邦画はお金を出して観に行かない!と。
それから44年が経ってケーブルテレビで放映していたものをなんとなく、でも興味を持ってじっくり観てみると、そうでもない、そんなに悪くない、いや、けっこう興味深い作品になっているじゃないかと。
どうみてもたっぷり予算をかけてロケをしており映像に安っぽさは感じられない、俳優陣の演技も重厚で今どきのワザとらしさはないし、隅々までかなり丁寧に作られていて作品全体に醸し出す叙情もある。宮川一夫のカメラワークと色作りは充分に効果を発揮しているし、篠田監督が自分の奥さんに本気でやれ!と言っただろう重要なシーンの衝撃とそれをバッチリ演じてみせる岩下志麻の狂気もいい感じだ。
いま冷静になって考えるとこれ以前に角川で大ヒットした市川崑監督の「犬神家の一族」や「悪魔の手毬唄」より映画としてスケールが大きく完成度も高い。それでは「なぜ」この「悪霊島」は後年に語り継がれる作品にならず、なかば消えていったのか。
それはひとえに原作である横溝正史の小説「悪霊島」自体に問題があるからである。トリックや怪奇趣味などのネタが尽きていてイマイチ面白味が無くなった晩年の作品だったからである。他の横溝作品「本陣殺人事件」「獄門島」のような金田一耕助の名推理が冴える巧妙なトリックはほぼ無く、「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「悪魔が来りて笛を吹く」のような横溝独特の和風猟奇テイストも薄い。せんない話だがそれが理由だと思う。
さらに、時代は80年代に入り良くも悪くも能天気な明るさに移っていたのに、70年代の金田一耕助シリーズの栄光よもう一度!と角川が大予算をかけて、スペシャルなスタッフと俳優陣を揃えて、壮大にコケた作品だった。その理由の80%は前述したように身もふたもない話であるが、横溝正史の作品そのものがネタが尽きていてとうの昔に魅力が尽きていたからだった。
日本では70年代の全学連の紛争が浅間山荘で終焉し、松田聖子が「青い珊瑚礁」であっけらかんと明るい80年代の幕開けを告げ、ベトナム戦争の後遺症から立ち直ったアメリカでは、終焉を歌ったイーグルスに取って代わり明るいロックのヴァンヘイレン がヒットしていた時代。そんな時代を全く読み違えた角川映画だった。
まぁ、そんな事情や時代を勘定に入れず素直な目でいま観ると、大予算と技術を使ったプロのきれいな絵と、島の旅情、宵宮の夜、など様々な点で見応えがある。
その上で「まったく芯の無い」「何も伝えたいテーマが無い」妙に実験的かつ前衛的な「味のある映画」となっている。