劇場公開日 1960年10月1日

「孤独の横顔」秋立ちぬ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5孤独の横顔

2022年11月9日
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信州から東京へやってきた少年が孤独へと追い詰められていくさまをピュアかつ残酷なトーンで描き出した成瀬巳喜男の傑作。

少年は都会で暮らすうちに、それまで信頼してきたものの一つ一つに裏切られていく。母に裏切られ、海に裏切られ、親戚に裏切られ、そして最後には唯一の友人であった少女にも裏切られる。喧嘩をふっかけてきた悪ガキたちを返り討ちにしたり、海が見たいと母親にねだってみせたりしていた彼の幼い心性は次第に後退し、遂にはラストシークエンスの悟り切った横顔へと辿り着く。

不幸続きの少年に対し少女が「田舎に帰りたい?」と問いかけるシーンがあるが、それに対して彼はかぶりを振る。都会だろうが田舎だろうが、自分が孤独であることに変わりはないと彼は言う。この達観ぶりが絶えざる精神的被虐の痛ましい結果であることは自明だ。

少女もまた少年と同じような孤独を抱えている。彼女の父親には別の妻と子供がいて、母親はそれについて何も話してくれない。旅館の従業員たちも噂好きで信用ならない。家庭に居場所がないことを悟った少女は、海を見たことがないという少年を連れて晴海へと向かう。この「絶望の果てに海を目指す」という行動原理もかなり大人びている。

二人が開発前の晴海周辺を歩き回るシーンが印象的だった。それぞれが線路のレールの両端に立ち、左手と右手を繋ぎながら歩いていく。ふらつきながら立ち止まりながら時にレールから足を滑らせながら、それでも彼らは互いで互いを支え合って前へ進んでいく。そこには厳しい都会を生きる子供たちの力強さと脆さが同時に立ち現れていた。しかしそうまでして辿り着いた海は、実のところどこまでも洋々と広がる黄ばんだ水たまりに過ぎなかった。

母親の失踪以降、少年は常に親戚一家から厄介者扱いされていたが、年の離れた従兄弟の兄だけは彼の身を案じており、気晴らしに少年をドライブや映画に連れて行ったり内緒で母親に会わせたりしてくれていた。しかしそんな彼も最後の最後で「カブトムシを探しに行く」という少年との約束をすっぽかし、バイク仲間と箱根に旅立ってしまう。

その後、ひょんなことからカブトムシを手に入れた少年は急いでそれを少女に見せにいくが、彼女の住む旅館は既にもぬけの殻。いきいきと少年の生の躍動を象徴していたカブトムシは、ここへきて単なるありふれた虫けらへと変容する。少年の絶望も知らないでいつまでもウネウネと蠢く肢体がやけに不気味だった。ここまでやるか、と言いたくなるほどの悲劇の応酬に思わず顔が歪んでしまう。

全てに裏切られた少年の孤独を埋められるものは存在するのだろうか。我々がそれに対する適切な応答を考えあぐねているうちに、少年のほうが先に孤独を受け入れてしまった。あのラストシークエンスの横顔。毅然として海のほうをじっと見据える横顔。少年は既に少年ではなくなっていた。その双眸の先には、青春の終わりを示唆するように鈍色の海が鬱々と広がるばかりだ。

因果