あ・うんのレビュー・感想・評価
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徘徊型映画かな
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戦友の高倉と坂東は仲が良く、高倉は坂東の嫁が好きだった。
坂東が遊びすぎでその嫁が心配がるのを高倉が注意する。
高倉は偉そうに言っておきながら自分は浮気してる最低野郎。
坂東の娘はお見合いで知り合った青年を好きになるも坂東に却下される。
それでも密会を重ねていたが、坂東がジャワ島かどっかへ転勤に。
行きたくないとゴネる中、青年に召集令状が届いて終わり。
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うーん、高倉健は嫌いじゃないけど、主演映画は大体つまらんの法則。
全体にダラダラ徘徊型で、日常を描いただけって感じ。
藤さんは久しぶりに見たけど、可愛らしい人やなと改めて思った。
富田靖子も久々に見たけど、可愛いなあ。
特高批判
寝台戦友で20年来の親友である門倉(高倉)と水田(坂東)。門倉は水田の妻たみ(富司)に好意を持っている。それを水田の娘さと子(冨田靖子)はプラトニック・ラブと称し、お見合い相手の石川(真木)と破談になったにも拘わらずこっそりと付き合い、その石川は特高に捕えられてしまう。 水田は芸者のまり奴に惚れて通い詰めるが、そのまり奴を門倉は大金をはたいて芸者をやめさせる。ときは日中戦争前夜。門倉の会社も軍需景気によりアルマイト弁当箱で急浮上した会社だった。
どちらかというと、女が憧れるような男の友情。助け合い、罵り合い、それでいて言葉に出さない奥底にある絆。その嫉妬にも似た憧憬は修善寺温泉で眠りこけた男たちに豆をはじいてぶつける富司純子の映像が象徴している。狛犬の“あうん”を見るシーンは冨田と真木。
ラストでは石川が召集令状を受けたと水田家を訪れる。「追いかけなさい。責任は俺が持つ」と諭す門倉。「特高に睨まれて召集された者は必ず戦死する」などとドキリとする発言を平気で取り入れるところが憎い。
恋の不自由さ
映画の中で富田靖子が、「大切なことは誰も口にしない」と高倉健に話す場面がある。向田邦子の原作は、この登場人物たちが口に出しては語らないことを、中心に語っている。原作を読んだことはないが、登場人物が口にしないことを語ることは、やはり、紙に印字された小説よりも、映画のほうが得意とするところだろう。ただし、映画では、語らないことが主題なのではなく、口にすることのできない不自由さ、優しさが、すなわち恋をしている状態というものの不自由さや優しい気持ちが主題として描かれている。
健さんの恰好良さは、ここで駄文を捏ねて言及するまでもないが、板東英二と富司純子の演技の素晴らしさは、一言述べておきたい。
健さんが見ているとも知らず、健さんの名前を刺繍した手拭いを手におどけている富司の、少女のように無邪気でコケティッシュな様子。落ち着いた大人の女性を演じている富司しか知らない私にはとても新鮮で、何とも言えない可愛らしさが感じられた。今リメイクするなら、ぜひ息女、寺島しのぶに演じさせたい役柄である。
そして板東英二。これほど、女房を寝取られることに諦念を抱く役がはまる俳優がいるだろうか。この物語では、実際に寝取られることはない。しかし、自分の妻を寝取られても仕方がないし、友情を裏切ってそのようなことは決してしない男だと、心から惚れ込んだ男に対して、ある意味負けを認めて付き合っているのだ。
もしこの役が、健さん同様、映画でのキャリアが長い手練れの俳優が演じていたらどうであろうか。画面は落ち着きを取り戻し、くさい芝居は見当たらなくなるだろう。しかし、この作品に見られる何とも据わりの悪い感覚、自分の女房でありながら、目の前で繰り広げられる恋愛模様にたいしてぎりぎりで体面を保たねばならない男の切なさを観客は体感できただろうか。おそらく、観客の頭の中では、そうした男の感情が想像されることは難しくなかっただろう。しかし、画面から直接に感じ取ることができたかどうか。健さんと板東。この組み合わせであったからこそ、観客は、二人の、いや富司も加えた三人の、温かく幸せなのだけれど、少し居心地の良くない状況を体感することができたのではなかろうか。
今リメイクをするにしても、板東の役を担える役者がいるだろうか。
巷に雨が降るごとく、わが心にも雨ぞ降る
映画「あ・うん」(降旗康男監督)から。
若い頃の高倉健さん、けっこう笑っているんだなぁ、と
ひとりで苦笑いしながらメモを取っていた。
その高倉健さんが、フランスの詩人「ポール・ヴェルレーヌ」の
「言葉なき恋歌」(訳:堀口大学)をさらっと口にするあたり、
昔の人は教養があったなぁ、なんて妙に感心したりした。
「巷に雨が降るごとく、わが心にも雨ぞ降る」
堀口大學がこの詩を訳して発表したのが「昭和12年」だから、
作品冒頭に映し出される「昭和十二年春」の文字ともピッタリ。
当時の人は、普通の会話や呟きにも「詩」が引用されたりして、
そのちょっと気取った会話が、私のアンテナに引っかかる。
「会いたいときに、会うのを我慢するのも愛情なんだよ」
なんて台詞を、サラッと言ってしまう高倉健さんが、輝いていた。
脇役の「板東英二」さんって、野球の選手だと思っていたら、
こんな映画にも出ているなんて驚きであった。
タイトルの「あ・うん」は、2人の関係を表しているのだろうが、
なかなか分かりにくいかもしれない。
作品の中では「(あの2人)狛犬ですね、似てませんか?」
「父と門倉のおじさん?」
「狛犬さん『あ』」「狛犬さん『うん』」だけだからなぁ。(笑)
P.S.
「修善寺・新井旅館」、昔の映画にはよく使われていたなぁ。
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