この道は母へとつづくのレビュー・感想・評価
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辿り着くまでが見所
事情が不明なので何とも言えませんが、なぜ今頃になって息子を訪ねに来たのか、心の拠り所がないってことは話されていましたが、私も施設の人のように「今さらなんだ、出てけ!」て思ってしまう。孤児院で働く人は大変だ。安易に考えちゃいけない。そういう部分は後半にも描かれているが、どうあれ少しの差で養子として引き取られ、会えなかったのも母親のツケか。
酔っぱらって転落死か自殺かわからないけど、そんな一例を序章にして本編はスタートする。
主人公は養子になる前に、親に会いたい、見たい、と思いながら過ごす。
なかなか考えにくいことだけど、娼婦が(客の?)トラックから降りたとき男仲間から「稼げた?」と平気で話していた場面が生い立ちを物語る気がした。
けど、この女性が主人公を手助けする。
そういう人だっている。
いざ列車に乗り、親を求めて一人旅。色んな人に聞きながら「ありがとう」「困った」と四苦八苦する主人公を「頑張れ~!」と応援しながら観ると思います。街の景色も堪能できるし、辿り着くまでが一番の見所ではないでしょうか。
前半の霧がかった映像、ハリウッド映画ではないので音楽の少なさが素朴さを引き立てた印象です。
実話から生まれた映画ですが、自分なんか作り話でもいいから続編が観たくなった。どうしても子供が可愛いという感情で観てしまうけど、会って果たして吹っ切れたのだろうか、いい親だったのか、養子として問題なく育ったのだろうか・・・色々と想像してしまった。
そこに希望があってほしいと切に願いたくなる映画
ワーニャを演じたコーリャ君自身も孤児だそうだ。オーディションで、たくさんの子どもたちの中から、コーリャ君の微笑みが忘れられずに、彼を採用したそうだ。
監督、お目が高いと言いたいが、微笑みだけではなく、すべての表情が胸をうつ。達観したような表情。あきらめきれない表情。必死な豊穣。絶望しかけた表情。考え込んでいる表情。そして、あの笑顔。
日本の子役の媚びた顔はそこにはない。
この映画を撮る前に、孤児院をドキュメンタリーとして撮っていた監督。その監督が語る、「外の世界に幻滅をしている子ども達」。その言葉に、胸が苦しくなる。
けれど、ワーニャは幻滅しきれなかった。「きっとママは僕を探してくれている。でも、迷っているんだ。だから、僕が会いに行くんだ」と、仲間の母を見て、信じるワーニャ。そこには損得はない。ただ、ママを失望させたくないという思い。ママに会いたいという思いのみ。もちろん、ママに会った後、どうなるという、見通しはない。だってたかがまだ6歳。その思いに切なくなり、心配になり、応援したくなる。
「幸せになってほしい」という希望を込めたエンディングにしたという監督。
でも、孤児院のドキュメントを撮ってきた監督だけあって、安易なハッピーエンドにはしていない。
余韻の残るエンディング。解釈も幾様にもできる。人によってはバッドエンドを想像するかもしれない。それでも、ワーニャも、他の孤児たちも、ワーニャを演じたコーリャ君も、何らしかの希望を持ち続けられますようにと祈らずにはいられない。
(監督の言葉は、インタビューから)
この映画で、親に子を捨てさせる要因は圧倒的な貧困。
映像を見ながら、ソ連崩壊数年前に訪れたソ連を思い出した。モスクワの五つ星ホテルでさえ部屋の備品が盗まれて売られていく現状。物がなくひたすら長蛇の列がいろいろな店の前に並ぶ。険しい人々の表情。そんな殺伐とした状況なのにさりげなく飾られている一輪の花。窓には鉢植えの花々。街に出て迷った私に、バス停の人々総出でこのホテルならあのバスだと教えバスの車掌に口々に頼んでくれた。勿論チップなしで。
孤児院の状況やワ―ニャが街でバスを探す時の状況が、そんな思い出を蘇らせる。
ワ―ニャの母探しのプロセスを追うストーリーと、ロシアの現実の一場面がうまくからんで、ロシアの現状を描いている。”薪”が燃料の世界と、整備された公園や遊園地もある大きな街の対比も見事だった。
養子に行く。それがこの孤児院の状況から抜け出す為の唯一の方法。しかも臓器移植の”物”にされてしまう危険性もあり危険な賭け。ワ―ニャは先に養子に行った子の様子を聞いて、その辺のチェックも怠らない。たかが6歳なのに、こういう知恵を発達させねばならない状況。
孤児院では、生き抜くためのマフィアみたいな力関係が出来上がっている。そんな中で、ワ―ニャの、そして後に続く養子縁組のチャンスを潰さないように、ワ―ニャの気持ちをわかりながらも、養子に行けと説得する兄貴分達。自分の境遇と照らし合わせて自分のように親に失望するより、新しい親にかけろという思いには胸が痛くなった。養子縁組の報酬を頼みとする院長でさえ、一方で自分が自分のなりたいものになれなかった無念を語り、ワ―ニャが養子に行ってチャンスをつかむことを望んでいる。母親探しを反対されながらも、兄貴・姉き分達の手を借りて少しずつ母親の情報に近づいていくワ―ニャ。乱暴なんだけど寄り添っている。温かくて、そして切ない。
養子。
約20年前南米でも養子縁組をテーマにしたTVドラマが放映されていた。それは、誘拐され養子に売られてしまった我が子を本当の両親が追い求めるというもので、途中には臓器移植の”物”にされたのかというドキドキもあり。後には我が子を取り戻しメデタシメデタシで終わったものなのだけど。
南米在住の間、実際に臓器を取られたのではという赤ん坊の死体が発見されたニュースを何度も新聞で見た。
物語の世界ではない世界。
養子縁組がビジネスになる世界。
臓器販売としてだけでなく、
それはペットショップを連想させる。
とはいえ、運が良ければ、自分を慈しみ愛し、唯一無二の存在として大切にしてくれる両親と巡り合えるチャンスなのだが、危険な賭け。
日本での実際の児童養護施設・養子縁組はペットショップではない。子の幸せの為に多くの方が心砕いている。
だから、子を殺してしまうより福祉や赤ちゃんポストに相談して欲しいと思う。
けれどその前に、親としての責任果たす気がないなら、そういう行為するなと言いたい。
子が親を選ぶ。そんな世界があっても良いのかもしれない。
ワ―ニャが実母を選んだように、子に選ばれる資格のある大人であり続けたいなあと、ワ―ニャの瞳・ラストのはにかみを見ながら思った。
少子化、社会的貧困、子育て政策が取りざたされる中、たくさんの人に見てもらいたい。
泣ける社会派!
確かに子どもが母を探すというストーリーではあるが、配給会社がつけたこの作品タイトル(原題は「イタリア人」)だけで見に来た人の中には、「あれっ、違うんじゃないの?」と感じた人もいたのではないだろうか。まだ見ていない人のために言っておくと、タイトルからくる叙情的なイメージとは違って、実はこの作品、ロシア社会の内情を孤児の視点から描いた社会派ドラマなのである。
主人公の孤児の男の子が、孤児院の中では先輩孤児の悪辣さから、そして孤児院を抜け出してからは孤児を売るブローカーの手から逃れながらも、自分を捨てたまだ見ぬ母親を必死になって探そうとする健気さは、見る者の涙を誘うくらいにいじらしい。ところが、そんな健気な子どもに対して、恐喝する子どもがいたり、あからさまに無視を決め込む大人がいたり、というようなロシア社会の冷たさや酷さを、この作品の監督は「これがロシアの現実です」と言わんばかりに、いやおうなしに見る者に見せつけていく。
この作品の原題「イタリア人」は、この主人公の孤児が、子どものいないイタリア人夫妻にもらわれることに対する、他の孤児たちのひがみをこめた呼び名だ。しかし、この原題が意味しているのはそれだけではなく、現状のロシアから抜け出したいと思い、今のロシアに嫌気をさしているロシア人がいかに多いか、ということも表わしているようだ。
ところが主人公の孤児は、今よりも幸せになれるイタリアに行くことよりも、現状のロシアで、本当の母親の愛のもとで暮らすことを選んで、必死にロシア社会をさまよう。そんな、何の力もなく勇気だけで行動する小さな尊さが、この作品の一番美しいところであり、見る者に深い感動を与える。ロシア人社会の冷たさが、今の日本の社会のどこかに巣食っていることを思うと、将来的にこの作品の存在は、ロシアよりも日本のほうが意義深くなるような予感がしてくる。
今の日本人には足りないもの
主人公の男の子の演技がうますぎてすごく引き込まれる。
事実を元に作られてる内容で終始暗い。
主人公にとっては夢を抱いて母を探しに行ってるんやろうけど、
その夢が余りにも期待が薄い事を表現してか暗い。
今ままでぬくぬくと生きて来た自分には
目を閉じたくなるような世界観でもそれがこの国の現実。
むしろ日本でも自分が知らないだけで
同じようなことになってるのかもしれない。
こういう現実の中で生きてることを理解しないといけない。
リアルに、想像力をかき立てるラストシーン
「母を訪ねて三千里」などのように、母親探しの定番の物語ですが、この作品にはロシア社会の様々な問題が描き込まれています。
貧困,児童虐待,少女売春,人身売買まがいの養子仲介業者の横行。
そんな中、少年たちは彼らなりのルールに則って、したたかに生きています。
母親に会いに行く道中ワーニャは、養子仲介業者に追われたり、強奪に合ったり、また、人々の優しい善意に触れたり、救われたりします。
すさんだ社会でも、人々の心は温かい。
映画はワーニャの旅路を丹念に、リアルに追っていきます。
過度な演出はせず、ワーニャの健気な姿が感動を誘います。
クライマックス、業者の用心棒に追い詰められたワーニャは、恐ろしいばかりの勇気を見せつけます。
観ていて身も凍る思いがしました。
さすがに用心棒も心を動かされます。
それまで眉間に皺を寄せながら、必死に苦難に立ち向かってきたワーニャでしたが、母親に出会ったとき初めて、戸惑ったような、はにかんだような笑顔を見せます。
想像力をかき立てる、秀逸なラストシーンには、目が潤みました。
この映画は、新聞に載っていた実話を元にしている、と知って驚きました。
実在しうる人間の姿を丁寧に描いた、心温まる作品
新聞に掲載された孤児の実話を基に製作されたという本作は、一言で言えばロシア版「母をたずねて三千里」だ。何がいいって、ひたむきに未だ見ぬ母を追い求める主演の少年のけなげさが、とにかくいい。また、彼を取り巻く孤児院の面々も、本物の孤児を含む素人を起用したとあって演技に嘘くささがなく、いつの間にかスクリーンから目が離せなくなること必至。ハリウッド映画のように劇的な展開が待ち受けているわけではないけれど、実在しうる人間の姿を丁寧に描いた、心温まる作品だ。
主人公に萌え
主人公の男の子に萌えました。
当然ですが、泣けます。
でもそれだけではなく、周りの人の残酷さや温かさが見える映画でした。
私は寝ませんでしたが、ロシア語に聞き慣れてないと、だんだん意識が遠のいていく人もいるかもしれません。(隣にいた人は爆睡でした)
「瞼の母」は何歳でも泣ける!
裕福なイタリア人夫婦の養子になることになった孤児院育ちの6歳の少年ワーニャは、「本物のママに逢いたい」という一心で、独学で文字を学び、孤児院を脱走し、列車に乗り込む。
ロシアだけでなく世界的に深刻になった“孤児”問題にメスを入れた、新鋭アンドレイ・クラフチューク監督の感動作。『大人は判ってくれない』のドワネル少年のような、少年の健気な姿に涙腺がゆるむ。ロシアの自然を静謐で光彩豊かにとらえた映像美は美しいの一語だ
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