劇場公開日 2007年10月27日

「そこに希望があってほしいと切に願いたくなる映画」この道は母へとつづく とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0そこに希望があってほしいと切に願いたくなる映画

2023年2月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

知的

萌える

ワーニャを演じたコーリャ君自身も孤児だそうだ。オーディションで、たくさんの子どもたちの中から、コーリャ君の微笑みが忘れられずに、彼を採用したそうだ。
 監督、お目が高いと言いたいが、微笑みだけではなく、すべての表情が胸をうつ。達観したような表情。あきらめきれない表情。必死な豊穣。絶望しかけた表情。考え込んでいる表情。そして、あの笑顔。
 日本の子役の媚びた顔はそこにはない。
 この映画を撮る前に、孤児院をドキュメンタリーとして撮っていた監督。その監督が語る、「外の世界に幻滅をしている子ども達」。その言葉に、胸が苦しくなる。
 けれど、ワーニャは幻滅しきれなかった。「きっとママは僕を探してくれている。でも、迷っているんだ。だから、僕が会いに行くんだ」と、仲間の母を見て、信じるワーニャ。そこには損得はない。ただ、ママを失望させたくないという思い。ママに会いたいという思いのみ。もちろん、ママに会った後、どうなるという、見通しはない。だってたかがまだ6歳。その思いに切なくなり、心配になり、応援したくなる。
 「幸せになってほしい」という希望を込めたエンディングにしたという監督。
 でも、孤児院のドキュメントを撮ってきた監督だけあって、安易なハッピーエンドにはしていない。
 余韻の残るエンディング。解釈も幾様にもできる。人によってはバッドエンドを想像するかもしれない。それでも、ワーニャも、他の孤児たちも、ワーニャを演じたコーリャ君も、何らしかの希望を持ち続けられますようにと祈らずにはいられない。
                          (監督の言葉は、インタビューから)

この映画で、親に子を捨てさせる要因は圧倒的な貧困。
 映像を見ながら、ソ連崩壊数年前に訪れたソ連を思い出した。モスクワの五つ星ホテルでさえ部屋の備品が盗まれて売られていく現状。物がなくひたすら長蛇の列がいろいろな店の前に並ぶ。険しい人々の表情。そんな殺伐とした状況なのにさりげなく飾られている一輪の花。窓には鉢植えの花々。街に出て迷った私に、バス停の人々総出でこのホテルならあのバスだと教えバスの車掌に口々に頼んでくれた。勿論チップなしで。
 孤児院の状況やワ―ニャが街でバスを探す時の状況が、そんな思い出を蘇らせる。
 ワ―ニャの母探しのプロセスを追うストーリーと、ロシアの現実の一場面がうまくからんで、ロシアの現状を描いている。”薪”が燃料の世界と、整備された公園や遊園地もある大きな街の対比も見事だった。

養子に行く。それがこの孤児院の状況から抜け出す為の唯一の方法。しかも臓器移植の”物”にされてしまう危険性もあり危険な賭け。ワ―ニャは先に養子に行った子の様子を聞いて、その辺のチェックも怠らない。たかが6歳なのに、こういう知恵を発達させねばならない状況。
 孤児院では、生き抜くためのマフィアみたいな力関係が出来上がっている。そんな中で、ワ―ニャの、そして後に続く養子縁組のチャンスを潰さないように、ワ―ニャの気持ちをわかりながらも、養子に行けと説得する兄貴分達。自分の境遇と照らし合わせて自分のように親に失望するより、新しい親にかけろという思いには胸が痛くなった。養子縁組の報酬を頼みとする院長でさえ、一方で自分が自分のなりたいものになれなかった無念を語り、ワ―ニャが養子に行ってチャンスをつかむことを望んでいる。母親探しを反対されながらも、兄貴・姉き分達の手を借りて少しずつ母親の情報に近づいていくワ―ニャ。乱暴なんだけど寄り添っている。温かくて、そして切ない。

養子。
 約20年前南米でも養子縁組をテーマにしたTVドラマが放映されていた。それは、誘拐され養子に売られてしまった我が子を本当の両親が追い求めるというもので、途中には臓器移植の”物”にされたのかというドキドキもあり。後には我が子を取り戻しメデタシメデタシで終わったものなのだけど。
 南米在住の間、実際に臓器を取られたのではという赤ん坊の死体が発見されたニュースを何度も新聞で見た。
 物語の世界ではない世界。

養子縁組がビジネスになる世界。
 臓器販売としてだけでなく、
 それはペットショップを連想させる。
 とはいえ、運が良ければ、自分を慈しみ愛し、唯一無二の存在として大切にしてくれる両親と巡り合えるチャンスなのだが、危険な賭け。

日本での実際の児童養護施設・養子縁組はペットショップではない。子の幸せの為に多くの方が心砕いている。
 だから、子を殺してしまうより福祉や赤ちゃんポストに相談して欲しいと思う。
 けれどその前に、親としての責任果たす気がないなら、そういう行為するなと言いたい。

子が親を選ぶ。そんな世界があっても良いのかもしれない。
ワ―ニャが実母を選んだように、子に選ばれる資格のある大人であり続けたいなあと、ワ―ニャの瞳・ラストのはにかみを見ながら思った。

少子化、社会的貧困、子育て政策が取りざたされる中、たくさんの人に見てもらいたい。

とみいじょん