「あの悲劇を繰り返さないために・・・」ヒロシマ ナガサキ kossykossyさんの映画レビュー(感想・評価)
あの悲劇を繰り返さないために・・・
世界で唯一原爆が投下された国、日本。潮流としては、75%を占める戦後生まれ世代が戦争があったことを勝手に風化させ、「原爆投下はしょうがないこと」というアメリカ人的発想に同調する若者が多いことも事実だ。「嫌なことは忘れてしまいたい」と言う権利のあるのは、それを実際に体験した者だけ。被爆体験をはじめ、悲惨な戦争についての記憶を語り継ぐ生き証人が少なくなった今こそ、こうした真摯なドキュメンタリー映画の存在が重要になってきていると思います。
政治的メッセージや一方的な解説を一切排除し、広島・長崎の14人の被爆者と実際の爆撃に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に静かに訴えてかけてくる。どの被爆者も皆優しい表情だったのが印象的だし、被爆者本人が見せたくない傷を見せてまで「二度とこのような被爆者を作らせたくない」という熱い想いが伝わってくる。6日と9日の壮絶な地獄絵をリアルに語る場面もそうだし、瞬時に家族を失った悲しみや生き残ったことの辛さを語るシーンも、平和に生きる現代人にとっては息が詰まりそうになるほどだ。また、クリスチャンの多い長崎では「自殺したくてもできない」という言葉に胸が苦しくなってしまいました。
「黒こげ」「死体の山」「皮膚が垂れ下がる」とか「水をあげたら死んじゃった」等々の痛々しい証言の数々。言葉どおりの生々しい映像があったら直視できないと思われるほど。そんな中でも「生きる勇気」とか「伝えるために生かされている」という言葉は、この映画を観てよかったと感じさせてくれるのです。本当は思い出したくない、語りたくない内容を、被爆者たちは未来ある観客たちに伝えてくれる。忘れてはならない。証言者たちの伝える勇気をも感じ取ったならば、核兵器・戦争のない世の中にしなければと気持ちを新たにさせてくれるのです。
一方、「悪夢は見たこともない」と平然と語る米軍関係者の証言は被爆者とは対極的ではあるが、客観的であり、「命令によってやったこと」と自分に言い聞かせているように思えてならない。戦争とはそんなもの。人を殺したくてその行為に加担するのではなく、敵を憎むように洗脳され、人間らしい心を失ったまま自分の力を試しているだけだ。大量虐殺を悔やんで口を閉ざされてしまっては、真の戦争の意味もぼやけてしまうので、映画の中ではいいアクセントになっていたように思います。
監督のスティーヴン・オカザキが、目立たない短編ドキュメンタリー部門ながらアカデミー賞受賞監督だとは知りませんでした。25年もかけて500人の被爆者と会い、それでいて自己主張しない客観性。また、アメリカ主体のニュース映像のおかげで、日本製の原爆映画とは違った捉え方もできる。原爆投下直後のエピソードは原爆の絵を用いながら集約させ、被爆者でもある『はだしのゲン』の作者・中沢啓二氏の強いメッセージが最後に配されたことで、映画の構成としてもとても引き締まったものになっていました。もちろん、無関心な若者が多い事実を冒頭にもってきたが効いていたんでしょうけど・・・