夕凪の街 桜の国のレビュー・感想・評価
全5件を表示
この舞台、ミュージカル風で♥
この映画、旧国営放送、それぞれ2回程見た。しかし、今回は
2023年のアイドルを使った舞台劇の配信があったので、それを見た。旧国営放送は放送コードがあるので、ある意味に於いて画竜点睛を欠いている。
原爆と原発の原理を記する
ウラン235が核分裂をおこして、ばく大な熱を出す。それが、爆弾と発電のエネルギー。そして、その後、
ウラン238になって、プラトニウム229が廃棄物。毒性は増す。人類がそれを管理する事。それは人類が月へ行くのと同じ位大変なまま。
原爆は一瞬。さて、原発は人間の時間からすれば、ほぼ永遠に続く。つまり、人間の時間から見れば夕凪るのと同じ。
さて、
『何やってんだー、偉そうに
世界の真ん中で
Oh my darling, I love you
長生きしてえな』
忌野清志郎さんの忌野歌が桜の國を笑う。サビの部分だけ記録する。全文を掲載できないし、すれば消される。
夕凪が時が止まる瞬間と言う見方は良い。
残念な事に、夕凪の終わったあと、彼女の時が止まる。
まぁ、興行の事を考えれば、この位の表現しか出来ないでしょう。しかし、これを見れば『この世界の片隅に』と小説や映画の京ちゃんの運命が(T_T)
但し、京ちゃんの事は、原作には無い。と思った。原作本は図書館に寄贈しちまったので。
この舞台と原作は傑作。
戦争を扱って何を訴えたいの?
戦争の後の人々の生活を描いた映画。
しかし何を訴えたいのかよくわからなかった。
後半の田中麗奈の役は別にいらないのではないかと思った。
何故か過去にタイムトリップして時をかける少女みたくなってるし。
実際にトリップしてるんじゃないと思うけど、過去に現れる意味がわからん。
被爆すると言うこと。
何年か前に夜中テレビで放映されていたのを途中からぼんやり見ていて、みなみさんの最期のシーンが印象に残っていました。毎年夏になるとなんとなく思い出して、もう一度ちゃんと観ようと、今年やっとレンタルできました。夜中に電気も点けず観た悲しいイメージが抜けず、ずっと躊躇していたからです。
観て良かったです。
題材の割にずいぶん可愛くポップに仕上がっていて、登場人物の名前や台詞回し、大袈裟過ぎる音楽、終盤展開に多少不自然な印象は受けましたが、それが無ければ余りに重い内容で観ていて辛くなったと思います。
じわっと染み込むように訴えかけてきます。
原爆を落とされたことに対する静かな憤り、生き残ったことへの罪悪感、幸せになることへのジレンマ、それでも生きていくという力強い希望を、どんな世代の誰が観てもきちんと理解出来るように描かれていました。
生き残った人は、自分だけでなく何代にも渡って、原爆に人生を翻弄され続ける。
「その時死んだ方が幸せだった」と被爆者の方がおっしゃるのを読んだことがあります。
被爆すると言うことは、戦争をすると言うことは、そういう思いをする人を大量生産することに等しい。
戦争を知らない私たちや更に戦争をイメージしにくい時代に生まれた若い世代に、もっと浸透させるべき作品だと思います。
この映画は、エンターテイメントではなく、教材としての役目を果たすものです。
リアリティの程度は私には分かりません。
「ひどいなあ、てっきり私は死なずにすんだ人だと思ってたのに」
このみなみさんの台詞が、突き刺さるように残っていた映画でしたが、やっと観られて良かったです。
平和教育をやめないでほしい。
昭和33年夏 被爆から13年
映画「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)から。
もちろん、原爆をテーマにした作品であるが、
作品冒頭、このテロップが映し出される。
「昭和33年夏 被爆から13年」
この文字に、私の手は止まった。
そう、なにを隠そう、私の生まれた年であるが、
6月生まれの私には「生まれてすぐの生活」と言ってもいい。
広島、長崎の原爆に関することは、多くの人によって語り継がれ、
今後も、忘れられることではないだろうが、
私が驚いたことは、それが「たった13年前」の出来事だったから。
ナレーションは続く。
「復興の進んだ街は、活気を取り戻していた」と。
本当に、たった13年でこんなにも復興が出来るのか、と目を疑った。
ハートは傷ついたままだったけれど、ハードは復興している。
年を重ねると、時の経つのが非常に速く感じるというが、
確かに、今の時代、13年なんて、あっという間に過ぎてしまう。
そう考えると、太平洋戦争は、遠い昔の話ではなく、
まだ、生き証人が多く存在し、この事実を伝えるために生きている。
「特攻隊」も含め、私たちは、もっと「戦争」について理解を深め、
身近な事件として、取り扱っていかなければならないと思う。
冒頭のテロップだったからこそ、インパクトが強かった。
「昭和33年夏 被爆から13年」・・参りました。
原作の漫画と一つ違うところ
この映画は二部構成になっている.
原爆被災者の女性,平野皆実を中心とした第一部「夕凪の街」と,
被災者二世の女性を中心とした第二部「桜の国」だ.
この辺りの構成は,おおむね原作の漫画を踏襲している.
ただ,全体的に見てかなり原作に忠実に作られているこの映画の中で
一ヶ所だけ,決定的に原作と違っているところがある.
しかもその違いは(ほんのささいな違いであるにも関わらず)
原作と映画とをまったく別の作品として成り立たせてしまうほどの
強烈な意味を持っている.
原作では,皆実は第一部のラストで死ぬことになっている.
ところが映画では,第二部のラストにならないと,
その死の場面は描かれない.
第一部のラストでも皆実は確かに死にかけるのだが,
完全に絶命する前にいきなり第二部が始まってしまって,
彼女の死は結局うやむやなままにされてしまう.
言うなれば,彼女は第一部のラストで死に損ねる.
これが非常に重要な点なのだ.
実は彼女は過去にも一度,死に損ねたことがある.
彼女は原爆被災者だ.
13才の時,原爆の被害にあい,その時生命の危機にさらされた.
しかし幸運にも彼女は死をまぬがれ,
26才で死ぬまで生き延びることができた.
一方で彼女の妹は原爆によって命を落としており,
そのことで皆実は死ぬまで罪悪感に苦しめられる.
自分だけが生き残ってしまったことについて,
申し訳ないと感じてしまう.
原爆で「死に損ねた」自分を,彼女は常に責めている.
皆実が死んだのは26才の時であり,
原爆を被災したのが13才の時だから,
彼女はちょうど人生の中間地点で
原爆を被災したことになる.
彼女の人生を,被災するまでの13年と,被災してからの13年に分け,
前者を人生の第一部,後者を人生の第二部とするなら,
彼女は人生の第一部のラストで一度死に掛ける.
しかしそこで死に損なって,結局,第二部のラストまで生き続ける.
それと同じことが,この映画でも起きる.
彼女は映画の第一部のラストで一度死に掛ける.
しかしそこで死に損なって,結局,第二部のラストまで生き続ける.
つまり,彼女は二度死に損ね,生き長らえる.
一度目はその人生において.
二度目はこの映画において.
結論として言うならば,
この映画は彼女の人生そのものなのだ.
彼女の死の場面が映画第二部のラストに移動したことによって,
この映画は彼女の人生そのものになった.
私たち観客は,この映画を見ることによって,
平野皆実と言う一人の原爆被災者の人生を生き直すことになる.
また,そうすることが,
「忘れんといてな,うちらのこと」
と言い残して死んでいく皆実への,私たちなりのこたえともなるのだ.
全5件を表示