街のあかりのレビュー・感想・評価
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孤独で世渡り下手な男性のお話。 近づいた女性に何度も騙されるも、信...
孤独で世渡り下手な男性のお話。
近づいた女性に何度も騙されるも、信じて、痛手も罰も受け入れ。
次々に騙され、失い、転落してゆくものの
将来の希望は捨てていないキャラで、悲壮に見えないというか、
画面を傍目から見ている身では、
あーあまた騙されて…と失笑したくなる場面も何度も。
鈍いのか強いのか、どちらも彼のキャラなのでしょうが
なんとも独特な演技でした。
カウリスマキ作品を知る。
主人公の状況・感情の流れが自然に、というより場面場面で紙芝居のようにトントン変わり、上がって落ちて落ちていきそして…。
コイスティネンよ、なぜにそんなに音声と文字が浮かびあがる位「のこのこ」と、女性の誘惑という罠に何の疑いもなく素直にかかってるのだ。突っ込み入れざるを得ないキャラだ。騙されて強盗の濡れ衣(あっけなさ過ぎる)着せられようとも、家を壊されようとも職を奪われようともただ、静かにそれらを受け止め、次に向かおうとしてはとことん痛めつけられる。どうしようもない中、ラストに差し伸べられる今まで振り向くことなかった手、これがせめてもの救いであり、希望、になるんだよね?
何とも言えない気持ちになったが、ここまで無駄がなく分かりやすい見せ方撮り方で特徴あると記憶に残りやすいよなぁ。。音楽も興味惹かれるし。
最初は、全く救いのない映画かと思った
これまでみてきたアキ・カウリスマキの映画の中でも、とりわけ救いのない映画のように思われた。
ショッピングセンターの警備員を務めるコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)。例によって周囲から孤立している。特に趣味もなく、近づいてきた美女ミルヤ(マリヤ・ヤルベンフェルミ)には、ハニートラップで、本人の知らぬ間に宝石店襲撃の幇助者に仕立て上げられ、一人だけ囚われて刑務所で服役。全くやりきれない筋立て。
しかし、途中で変だなと思った。
まず、本人が自分のありえない運命に対し、全くと言って良いほど告発、抵抗しない、基本的に従順。本当に心を寄せてくれる女性アイラ(マリア・ヘイスカネン)はいるけど、付き合いはあくまで淡いまま。
冒頭から、ロシアーソ連の影がある。最初に出てきたエスカレーターは、ショッピングセンターのものだろうけど、モスクワの地下鉄のそれみたい。警備のシステムも厳しくて、ロシアから来たのでは。宝石店の襲撃にしたって、本当の黒幕はロシア人らしく、ギャングたちもお伺いを立てていた。
そうか、コイスティネンの行動は、ロシアと対峙していた頃のフィンランドを象徴しているのではないか。途中で、フィンランドの英雄、シベリウスの指揮者姿の肖像画も出てきた。フィンランドとロシアには長い抗争の歴史があるが、フィンランドは人口550万人程度の小国、とてもロシアのような大国とまともにぶつかっても叶わない。
アキ・カウリスマキは、苦しいことのみ多い貧しき労働者たちに、耐えていれば、いつかはほのかな「あかり」が灯ることを教えているのでは。最後まで観て、いつまでも心に残る映画と知れた。
囚人服可愛すぎ。パジャマに欲しい。
目にみえるかみえないかギリギリの
彩度の低いところで愛を語らせたら
カウリスマキの右に出る者はいないのでは。
そして毎度思うのだけど、
哀愁漂うわんこ見つけるのうますぎる。
あんな憂いを帯びた目を持つわんこ
なかなかいなくないか?
わんこも演者として過去作品
観てきたとしか思えない。
コンスティネンの部屋がカウリスマキ作品でも
過去一タイプだった。
真似できるところはどんどん取り入れたい。
会って二言目にどうする?結婚するか?
ってあの顔で言えるコンスティネン。
このセリフも日常に取り入れよう。
大人の恋愛となると
どうしても濡れ場が入ってくることが多い。
時にラブシーンが有効な働きをすることもあるが、
大画面で観たいと思うことがわたしは少ないので
カウリスマキの愛の描き方が好みだ。
約1ヶ月間のカウリスマキ特集。
大画面で観る夢が叶って本当に感謝!
ユーロスペースありがとう。
ケーキの切れない..
世の中を上手に渡りきれない人っているんだよね。
表情も乏しく、話も下手、頭の回転も鈍い。
...
ケーキの切れない非行少年たち かな。
主人公がセクシーな頃のミッキー・ロークに良く似てる。
孤独を描いているようで友だちっていいなと思える
今泉力哉監督のツイートでカウリスマキのような映画のような、とあったので、カウリスマキってどんな映画をつくってる人なんだろうと興味があり、監督作品の中でも、孤独な男が美女に騙されて、とあるプロットが興味をもって、この作品を選んでみてみた。
警備員に勤めて家族との交流もなく、友達も、彼女もない独身男。会話はソーセージなどの簡易食を売る売店の女性だけ。そんな境遇を見透かされて、美女を使った手口にだまされ、刑期を負って最後は失業の境遇に落ちるが、その売店の女性が友だちのように気を遣ってくれて、その手を合わせるところでエンディング。
孤独を描いているようで、友だちっていいなと、なんだかじんわり希望がもてる感覚がした。脚本はとても静かな構成で、BGMもなく、セリフも極力抑えた展開。景色のカットの間があって、写真のカットをつなげてみているような感覚もする。独特の感性をみた思いがした。
まだ大丈夫
同僚に怒る際もスローに全くもって喜怒哀楽を表現しない無感情に思える主人公、でも哀しげな表情はする訳で若い頃のミッキー・ロークに似ている気がする。
今更になってからの憎しみから復讐へ、主人公に共感できる反面でイライラする行動ばかりが彼のキャラもあってか腹も立たず、徹底的に嫌がらせの如くな傍迷惑で悪を成敗出来なかったが傷を負わせただけで良しとしよう、最後の場面を含めて見捨てなかったアキ・カウリスマキ、この映画には希望しかない、人生は捨てたモンじゃないなと教えてくれる。
【孤独な男の哀しき物語。男は何度も”意図された不幸”に襲われても怒りや絶望を表すことなく、不幸を受け入れる・・。そんな男を、ずっと見ていた女性と手と手を握るラストシーンは、グッとくるのである。】
■フィンランドのヘルシンキ。
警備会社に勤務するコイスティネンは、友人もなく、孤独な毎日を送っていた。
ある日、見知らぬ美女と出会ったコイスティネンは、たちまち彼女に魅了される。
ところが彼女はマフィアのボスの愛人で、ボスの仕掛けた罠に嵌り、刑務所に送られる。
◆感想
・普通は、今作のようなストーリーであれば、コイスティネンは”美女”が行った事を見抜いているのであり、何らかの行動を起こすだろう。
だが、彼は運命に身を任す様に、刑務所に送られる。
・彼が、唯一マフィアのボスを襲うシーン。だが、アッサリと返り討ちに・・。
<そんな、コイスティネンをずっと見守っていた、行きつけのソーセージ屋の娘。そして、町の黒人少年。
マフィアの部下にヤラレタ、コイスティネンの手を握るソーセージ屋の娘。
そして、その娘の手を握り返すコイスティネンの手のアップで終わるラストシーンからは、微かな希望が伝わって来る。
短カットを積み重ねてのストーリー展開は、この時期のアキ・カウリスマキ監督のスタイルだが、テンポがあり、彼特有の独特の世界観を生み出しているのである。>
パン屋を演じた『スキージャンプ・ペア』以来の・・・いや、『過去のない男』以来のアキ・カウリスマキ映画。
監督自ら“敗者三部作”と銘打っているこの作品。警備会社で夜警をしている主人公コイスティネンは仕事をそつなくこなすが、同僚からは嫌われ、家族も恋人もいない、孤立した人生を歩んでいるのです。本人は「警備会社勤務のままじゃ終わらない」と、夢は大きく独立心旺盛なのだけど、どうもうまくいかない。警備会社も3年目だというし、職場の人間関係が原因で転職を重ねているのだと想像できる。
失業だとか転職だとか、人生の落伍者というキーワードは他人事ではないのですが、コイスティネンのように真面目な不器用さを見せつけられると、ついエールを送りたくなってきます。なにしろ、夜明けのカフェで声をかけてくる謎の女ミルヤに誘われるままデートする、なんてシチュエーションはやばいでしょ・・・孤独さゆえに人を見る目がないというか、純粋すぎるというか。それに加えて、ソーセージ屋の女性アイラの気持ちにも気づかないという鈍感さも憎めないところ。
やがて宝石強盗の幇助罪として実刑を受けることになるのですが、いつの間にかミルヤのことを信じて、警察や裁判所でも彼女の名を出さなかった。そこに男らしさも感じられるものの、彼女に対する執着心もなさそうだったし、罪を全て一人で被ってしまうほどの神のような存在だったのかもしれません。だけど、時折キレてしまい、暴力的な一面を見せるところは人間臭さも感じてしまいました・・・
一見すると冷たさも感じられる町並み、それに刑務所の壁の映像。カウリスマキの映像にはこの敗者の心情をそのまま建物に投影したかのようなものを感じます。そして、刑務所内で初めて笑顔を見せる主人公や、ほのかな希望を感じさせるラストシーンには全体に比べると際立つほど印象的。それに暴力シーンを直接見せない手法そのものにも作り手の優しさを感じさせる作品でした。
【2007年8月映画館にて】
他人の不幸はミルクティの味(?)
まずは一言、愛すべき映画です。
主人公、どこか人間不信ぶってるが、簡単に人を信じちゃう。前向きな言葉をいつも言ってるが、表情は全然前向きじゃない。おつむがなければ、学もない。そんな彼は、それでも一つ覚えのように前向きな言葉を言い続ける。沈みそうな人生なのに、そんな言葉がライフジャケットになってぷかぷか浮かんでる。
ほんと萌えてきます。
カウリスマキは作品に一切の説明ほどこさず、展開で観客を納得させるタイプの監督。はっきりいって天才です。
決意の映画
この映画が描いているのは「決意」のことだと思う。どんなバカな人間でも、決意することは出来る。どんな不幸な状況であっても、ひとは「大きな会社を設立してやる」と決め、「このひとを愛する」と決め、「復讐する」と決め、「生きる」と決めることが出来る。それは条件なしの、保身なしの、自分の全部を賭ける、潔い決意だ。バカじゃなきゃできない決意だ。すべてのシーンがその決意の力強さと同じ力強さを持っていて、圧倒された。
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