街のあかりのレビュー・感想・評価
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三部作の中では一番好みではない
アキ・カウリスマキ監督による敗者三部作の3本目。この作品が一番敗者感がある。しかし本作が一番、居心地の悪さを感じる。
カウリスマキ監督の作風は、良くないことが起こっていてもどこか笑えてしまうユーモアだろう。それが本作ではちょっと笑えないギリギリを越えてしまっている気がした。これは個人差なので何とも言えないが、ラストにフワッと上がる「希望」も薄く感じてしまった。
前作の「過去のない男」が最高だったのでその反動だろうか。カウリスマキに慣れてきたことによる弊害だろうか。何かちょっと求めていたものと違うんだよなと、カウリスマキの雰囲気を真似て別の人が撮ったような印象を受けた。
孤独で世渡り下手な男性のお話。 近づいた女性に何度も騙されるも、信...
カウリスマキ作品を知る。
主人公の状況・感情の流れが自然に、というより場面場面で紙芝居のようにトントン変わり、上がって落ちて落ちていきそして…。
コイスティネンよ、なぜにそんなに音声と文字が浮かびあがる位「のこのこ」と、女性の誘惑という罠に何の疑いもなく素直にかかってるのだ。突っ込み入れざるを得ないキャラだ。騙されて強盗の濡れ衣(あっけなさ過ぎる)着せられようとも、家を壊されようとも職を奪われようともただ、静かにそれらを受け止め、次に向かおうとしてはとことん痛めつけられる。どうしようもない中、ラストに差し伸べられる今まで振り向くことなかった手、これがせめてもの救いであり、希望、になるんだよね?
何とも言えない気持ちになったが、ここまで無駄がなく分かりやすい見せ方撮り方で特徴あると記憶に残りやすいよなぁ。。音楽も興味惹かれるし。
やはりカウリスマキは敗者に優しかった
カウリスマキが言うところの『敗者三部作』の、「浮き雲」(1996)、「過去のない男」(2002)に続く最終章とのこと。敗者というより希望がまさった前2作に対し、今作の主人公は紛れもない敗者だった。
ヘルシンキの百貨店で夜警を務める孤独な男コイスティネン。百貨店強盗をたくらむマフィアの情婦ミルヤに恋をして、強盗の罪をかぶせられ服役した。
そばにはいつも彼に思いを寄せるソーセージ売りのアイラがいたが、その思いに気づくこともなく。
そう、とことん救われない愚かな男。
彼を見捨てないアイラの存在が希望だった。
彼女の存在がカウリスマキの優しさだった。
最初は、全く救いのない映画かと思った
これまでみてきたアキ・カウリスマキの映画の中でも、とりわけ救いのない映画のように思われた。
ショッピングセンターの警備員を務めるコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)。例によって周囲から孤立している。特に趣味もなく、近づいてきた美女ミルヤ(マリヤ・ヤルベンフェルミ)には、ハニートラップで、本人の知らぬ間に宝石店襲撃の幇助者に仕立て上げられ、一人だけ囚われて刑務所で服役。全くやりきれない筋立て。
しかし、途中で変だなと思った。
まず、本人が自分のありえない運命に対し、全くと言って良いほど告発、抵抗しない、基本的に従順。本当に心を寄せてくれる女性アイラ(マリア・ヘイスカネン)はいるけど、付き合いはあくまで淡いまま。
冒頭から、ロシアーソ連の影がある。最初に出てきたエスカレーターは、ショッピングセンターのものだろうけど、モスクワの地下鉄のそれみたい。警備のシステムも厳しくて、ロシアから来たのでは。宝石店の襲撃にしたって、本当の黒幕はロシア人らしく、ギャングたちもお伺いを立てていた。
そうか、コイスティネンの行動は、ロシアと対峙していた頃のフィンランドを象徴しているのではないか。途中で、フィンランドの英雄、シベリウスの指揮者姿の肖像画も出てきた。フィンランドとロシアには長い抗争の歴史があるが、フィンランドは人口550万人程度の小国、とてもロシアのような大国とまともにぶつかっても叶わない。
アキ・カウリスマキは、苦しいことのみ多い貧しき労働者たちに、耐えていれば、いつかはほのかな「あかり」が灯ることを教えているのでは。最後まで観て、いつまでも心に残る映画と知れた。
見た。
駄目な警備員が、自分に優しくしてくれた女を信じるが、
この女がマフィア的な奴の愛人か何かで、極悪女。
そして睡眠薬を飲まされ、警備先の鍵を奪われ、盗難が発生、クビになる。
そこへまた女が現れ、男の家に盗品の一部を密かに置いて警察に通報、
男は共犯の容疑で逮捕され、懲役を受ける。
が、女のことは最後まで口を割らず、そのまま仮釈放となる。
やがて再就職するが、そこで客として来てた女とマフィアと偶然対面し、
隠していた犯罪暦(濡れ衣だが)を暴露され、またまたクビ。
キレてナイフでこのマフィアを襲うが失敗してボコにされるという話。
まずこの男の気持ちが理解できなかった。
出会って間もないこの女を何故そこまでして守る必要があったのか?
最後の最後まで駄目駄目だったが、こういう奴を主人公にして
いい映画を撮るのは至難の技じゃないのかなぁ。
タイトルなし(ネタバレ)
『ロシア人に報告しろ。開放の日は近いって』それでコメディアン?
まさか、どこかの国の大統領の事?
負け犬だったんだ。
やっぱり、死んでいない。負け犬のようで、まだ、死んでいない。
絶望の中で、復讐を誓う。
やっぱり、ロイ・アンダーソンが目一杯入ってる。
孤独を描いているようで友だちっていいなと思える
今泉力哉監督のツイートでカウリスマキのような映画のような、とあったので、カウリスマキってどんな映画をつくってる人なんだろうと興味があり、監督作品の中でも、孤独な男が美女に騙されて、とあるプロットが興味をもって、この作品を選んでみてみた。
警備員に勤めて家族との交流もなく、友達も、彼女もない独身男。会話はソーセージなどの簡易食を売る売店の女性だけ。そんな境遇を見透かされて、美女を使った手口にだまされ、刑期を負って最後は失業の境遇に落ちるが、その売店の女性が友だちのように気を遣ってくれて、その手を合わせるところでエンディング。
孤独を描いているようで、友だちっていいなと、なんだかじんわり希望がもてる感覚がした。脚本はとても静かな構成で、BGMもなく、セリフも極力抑えた展開。景色のカットの間があって、写真のカットをつなげてみているような感覚もする。独特の感性をみた思いがした。
まだ大丈夫
【孤独な男の哀しき物語。男は何度も”意図された不幸”に襲われても怒りや絶望を表すことなく、不幸を受け入れる・・。そんな男を、ずっと見ていた女性と手と手を握るラストシーンは、グッとくるのである。】
■フィンランドのヘルシンキ。
警備会社に勤務するコイスティネンは、友人もなく、孤独な毎日を送っていた。
ある日、見知らぬ美女と出会ったコイスティネンは、たちまち彼女に魅了される。
ところが彼女はマフィアのボスの愛人で、ボスの仕掛けた罠に嵌り、刑務所に送られる。
◆感想
・普通は、今作のようなストーリーであれば、コイスティネンは”美女”が行った事を見抜いているのであり、何らかの行動を起こすだろう。
だが、彼は運命に身を任す様に、刑務所に送られる。
・彼が、唯一マフィアのボスを襲うシーン。だが、アッサリと返り討ちに・・。
<そんな、コイスティネンをずっと見守っていた、行きつけのソーセージ屋の娘。そして、町の黒人少年。
マフィアの部下にヤラレタ、コイスティネンの手を握るソーセージ屋の娘。
そして、その娘の手を握り返すコイスティネンの手のアップで終わるラストシーンからは、微かな希望が伝わって来る。
短カットを積み重ねてのストーリー展開は、この時期のアキ・カウリスマキ監督のスタイルだが、テンポがあり、彼特有の独特の世界観を生み出しているのである。>
ここまで負けて暗く落ちない凄さ
人が良い割に周りと上手くやって行けない不器用さ、それだけに周りにいる人の少しの優しさが滲みますね。
もっと賢く生きればいいのにできずに転がり落ちてく様が淡々としつつ暗くなり過ぎずにクスッと笑えるテンポで進んでいく事事態に監督の力量を感じます。
自分をよく見せようとしている時は器の小さな人間に見えるのに、等身大の時はそれなりにカッコよく見えて不思議でした。強ぶらない方が根の優しい性分が見えて良い。獄中で一度だけ見せた楽しそうな笑顔が何でもないシーンの様でいて胸に刺さりました。
何故こんなにも、転落していくストーリーが悲しい気持ちに落とされずに見れるのか。つい考えてしまいました。これは怒りの感情が映画の中にほとんど無いからかもしれない。加えて完全なあきらめもまだない。
何となくあきらめないし今より良く生活していく事はできるだろうというゆるい希望。高くを見すぎる必要は無いんだっていう社会の大多数の人を肯定する温かさを感じます。
負け犬3部作!良いじゃない!!浮き雲も見なきゃね!
パン屋を演じた『スキージャンプ・ペア』以来の・・・いや、『過去のない男』以来のアキ・カウリスマキ映画。
監督自ら“敗者三部作”と銘打っているこの作品。警備会社で夜警をしている主人公コイスティネンは仕事をそつなくこなすが、同僚からは嫌われ、家族も恋人もいない、孤立した人生を歩んでいるのです。本人は「警備会社勤務のままじゃ終わらない」と、夢は大きく独立心旺盛なのだけど、どうもうまくいかない。警備会社も3年目だというし、職場の人間関係が原因で転職を重ねているのだと想像できる。
失業だとか転職だとか、人生の落伍者というキーワードは他人事ではないのですが、コイスティネンのように真面目な不器用さを見せつけられると、ついエールを送りたくなってきます。なにしろ、夜明けのカフェで声をかけてくる謎の女ミルヤに誘われるままデートする、なんてシチュエーションはやばいでしょ・・・孤独さゆえに人を見る目がないというか、純粋すぎるというか。それに加えて、ソーセージ屋の女性アイラの気持ちにも気づかないという鈍感さも憎めないところ。
やがて宝石強盗の幇助罪として実刑を受けることになるのですが、いつの間にかミルヤのことを信じて、警察や裁判所でも彼女の名を出さなかった。そこに男らしさも感じられるものの、彼女に対する執着心もなさそうだったし、罪を全て一人で被ってしまうほどの神のような存在だったのかもしれません。だけど、時折キレてしまい、暴力的な一面を見せるところは人間臭さも感じてしまいました・・・
一見すると冷たさも感じられる町並み、それに刑務所の壁の映像。カウリスマキの映像にはこの敗者の心情をそのまま建物に投影したかのようなものを感じます。そして、刑務所内で初めて笑顔を見せる主人公や、ほのかな希望を感じさせるラストシーンには全体に比べると際立つほど印象的。それに暴力シーンを直接見せない手法そのものにも作り手の優しさを感じさせる作品でした。
【2007年8月映画館にて】
他人の不幸はミルクティの味(?)
決意の映画
辛酸なめ男の物語
掌を掴むラストシーンは希望を示すようだけど……勘違いを信じ込むのみならず、彼女の好意を冷酷に無視する主人公のダメ男ぶりを見ていると、信用ならんし、希望も何もあったもんじゃない。
『浮き雲』のラストは希望が確かにあった。でも、この映画では感じなかった。ひたすら男の墜ちゆく姿(自業自得)をブラックユーモアとして眺めるS(人によってはMか)な映画という印象。
知性も品性も無い感想ですんまそん。
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