サイドカーに犬のレビュー・感想・評価
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徘徊系ではあるが
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主人公が子供の頃、母が家出して父の愛人に面倒を見てもらった。
結局母が帰って来て別れが来るが、良い思い出だった。
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竹内結子演じるヨーコさんが優しく柔軟で魅力的。
でもそれがただずっと続くだけという感じの映画。
【”20年前の夏、母が家を出た後にその自由奔放な女性がやって来て、私に色々な事を同じ目線で体験させてくれた・・。”改めて竹内結子さんの、華やかさ、確かな演技に唸らされる。残念である・・。】
ー 今作を観ると、改めて竹内結子さんの、華やかさ、確かな演技に唸らされる。
今作を含め、邦画界を牽引して来た竹内さんの突然の逝去が実に残念である。ー
◆感想
・やや、高圧的な母(鈴木砂羽)が家を出て、ヨーコが薫の前に現れた時の、ヨーコと、弟透の戸惑い。
ー ヨーコは、薫たちと同じ目線で話をし、知らなかったコーラの味を教えてくれ、RCサクセションなどの薫たちが知らなかった事を教えてくれる。-
・自由奔放なヨーコは、中古車業をやっていた父(古田新太)の愛人だったようだが、アッサリと見切りを付け、薫に”あたしの夏休みに付き合ってくれない?”と言って西伊豆へ出かける。
ー 薫にとって、ヨーコは知らなかった世界を教えてくれた、素敵な女性なんだろうな・・。-
・20年後、自立した女性として働く薫(ミムラ)の姿も印象的である。
<80年代のポップカルチャーを取り入れながら、内気だった女の子が、自由奔放な女性と出会ったことで、自立して行く姿を描き出した作品。>
子供視点
根岸吉太郎には、滝田洋二郎とおなじで、ポルノ出身者で、まっとうな映画をつくった監督──という認識がある。日本映画風のギラつきがなく、さわやかだった。
ヨーコの来歴には男女間の混濁がある。もしそれを描写してしまうなら、たんなる「日本映画」だった。
がんらい彼女では配役が若すぎるし、きれいすぎる。母が出ていった家庭に入りこんだ間女なのであれば、もっとスレた風情があっていい。
が、ヨーコに世俗やつれの気配がないのは、また男女間の混濁が描写されないのは、子供視点だから、だった。──それが清涼感へつながっていた。
子供の頃、出会った、かっこいい女性。
ヨーコはおそらく、薫にだけは、いい記憶のままのじぶんでいようとしていた。──のだと思う。
ほんとはサバサバなんてしていない──のかもしれない。
大人にはそういうところがある。
昔、出会ったひとに、もう会いたくない、ことがある。
それは会いたくない──わけではなく、費えたじぶんを見せたくないからだ。きれいな記憶のままにしておきたいから、だったりする。
物語は、薫の目線であり、ヨーコの気持ちは描かれていない。だけどそんなヨーコを深読みできる余白を映画は持っていた。
だれにでも子供のときだけ交流があったひとがいる。
大人になって、振り返ってみたとき──ふしぎなひとだったな、あのひと。でも、いろいろ隠していたんだろうなきっと。しみじみ、そんなことを思う──ものだ。
それがこの映画の普遍性だった。
けっこう淡泊な話だったが、ドロップハンドルとソバージュと竹内結子を、わりとあざやかに思い出せる。
ドラマや映画で彼女を見るたび、思っていたことだが、なんとなく、そこはかとなく「無理している」感じのある女優だった。
どこが、そうなのか──具体的に指定できるわけではないが、なんか常に「すごく頑張ってしまっている」印象のあるひとだった。
そして、その印象は、なんとなく、可哀想なのである。
その可哀想は、同情ではなくて「もっと気楽にやればいいのに」と言いたくなる可哀想──なのだった。
山田洋次の遙かなる山の呼び声(1980)で、北海道で女手ひとつで酪農をやっている未亡人、倍賞千恵子を、従弟夫婦がたずねる。
夫婦は武田鉄矢と木ノ葉のこ。博多から、新婚旅行でドライブしてきたのだった。
帰りの車で武田鉄矢が、涙をこぼしながら、ぽつりと言う。
「なんか、可哀想なんだよな、あの姉さん」
あの感じと似ている。
木村拓哉と共演した医療ドラマがあった。キムタクのドラマのなかでも一二を争える低迷を喫したドラマだった。
放映前、いくつかのドラマ出演者が、番宣を兼ねて、対抗競技する──というバラエティ番組があり、たまたま見ていた。
バラエティのノリに不慣れな感じだった。他愛ない競技に、すごく頑張っている印象があった。木村拓哉に気をつかっていたし、じぶんのミスで敗退することを畏れている感じもあった。
生真面目ゆえに、なんとなく、そこはかとなく、損しているのに、それを明るい笑顔や、高めのテンションで隠している気配──をつねに感じる女性だった。
どんなに近しいひとのまえであろうと、家族であろうと、なんらかの品(しな)をつくる、ひとがいる。どこかにいる借り物のパーソナリティであろうとする。人前ではぜったいに「素」ができないひとは、けっこう、いる。と思う。
これらは、むろん、なにも知らない人間の勝手な印象に過ぎないが。
ご冥福をお祈り申し上げます。
竹内結子さんのご冥福をお祈りいたします
20年前のヨーコさんと過ごしたひと夏を回想する薫(ミムラ)。なんの変哲もない展開の映画かと思いきや、普通でない家庭環境を見事に普通に描いているところが凄い。母親が家出をしてしまい、その間に夕飯の世話をするのが父親(古田新太)の愛人であるヨーコ(竹内結子)。父親は怪しげな中古車販売業を始めてしまうし、家の中にはパックマンのゲーム機を持ち込んだり・・・
時代背景も1980年代であり、流行でもある昭和30年代を描いた映画たちとは一味違った雰囲気を作り上げている。車やスーパーのお菓子コーナーなどはよく集めたな~と感心させられるけど、年代はバラバラだったり、80年代でも珍しい駄菓子屋が存在感をアピールしていたりします。違和感はほどほどに感じながらも、冷蔵庫の位置はおかしいだろ!と勝手につっこんでみたりするのも楽しいかもしれません。コーラを飲むと歯が溶けるというネタもいいけど、その昔はチクロという発がん性物質のネタもいいかも・・・古っ。
物語としても大きな展開があるわけでもなく、少女時代をノスタルジックに描いただけなのですが、松本花奈ちゃんが演ずる小4の薫のとても繊細な心理がスクリーンに広がるんです。ヨーコさんがガサツで図々しいと第一印象を植え付けられたのに、彼女に対して徐々に傾倒していく様子。「新しい母親になってほしい」と言いたいのだろうけど、大人の世界とは距離をおいた物の見方をしているかのようでした。
伊豆への気ままな旅行がクライマックスとなっていましたけど、脇役として登場する樹木希林がツボでした。100万円を拾った住所不定の男の奇妙な話を聞いたばかりの薫が、愛人が相手の男の子供を誘拐という話をも鵜呑みにするシーンだとか、「お母さん」の言葉に敏感であるヨーコさんを気遣うところも微妙にリアルでした。
「嫌いなものを好きになるより、好きなものを嫌いになるほうが難しい」などという印象的な台詞もさることながら、「飼われているのがいいか、自分が飼うほうがいいか」などと男女の仲とも大人の縦社会ともとれる意味深な言葉も心に残ります。飼い犬として扱われることへの反発もなく、それでも幸せなひと時を感じられる子供時代。そして、ヨーコさんの面影と決別することによって大人しく周りに流されてきた自分も硬い皮から脱皮することができるんでしょうね。
【2007年7月映画館にて】
こういう竹内結子もあり
若く綺麗な竹内結子演じるヨーコは古田新太演じる父ちゃんのどこに惚れたんだろう…?
まずそこが気になった。主人公の女の子がヨーコに憧れる気持ち良く解るなあ。
ヨーコには男も女も惚れますわ と思った。
少女のひと夏の、でもその後の人生に大きく影響するであろう出来事を描いた作品。
色んな大人を見るって大事
たまらない懐かしさ
忘れかけていた子供の頃の記憶を、ほんのりと思い出させてくれるような、何とも懐かしさ溢れる作品でしたね。
時代背景が80年代だったけに、これは昭和生まれの方にはたまらない作品だったのではないでしょうか。
ともすれば、自分も劇中の場所に住んでいた気になってしまうぐらい、物凄く身近な話と言うか、子供の頃あるあるな部分もあったりして、思いっ切り入り込んで見てしまいました。
大人になってしまえばほとんど思い出さないレベルの、ほんのちょっぴり切なさ漂う作風も何気にツボでしたね。
主演の竹内結子が演じたヨーコのような、家族でも親戚でもない謎の魅力的な大人って、子供の頃を思い返すとそう言えばいましたよねぇ。
ずっといた訳ではないんだけど、ある時期とても濃い時間を過ごした大人って・・・でも自分が大人になってしまうとほとんど思い出すこともなかったりで。
劇中のヨーコは父親の愛人と思われる女性でしたが、まあ子供にとってはそんなことどうでもいい、と思えるぐらい魅力的な人、自分の世界を広げてくれた人、自分を対等に扱ってくれた初めての大人の人って感じで、見ているこっちも思わずウットリ見惚れてしまいました。
しかしこの映画の竹内結子は本当に素晴らしい演技でした、まさしく豪放磊落、子供から見たらこんな自由人的な大人に惹かれない訳がない、しかも色気も半端じゃないと来たもんだ、鈴木砂羽が演じた家出した母親がまた真逆のタイプの人間だっただけに、子供からしたらこんな大人って存在するんだなと、まるで宇宙人でも見てるような感覚に陥ってしまいそうなぐらい、完璧な役作りだったと思いました。
気の強いヨーコの心が、わずかに揺らいだ瞬間の演技が特に好きだったなぁ。
ヨーコを見つめる薫の表情もホント良かったですね!
性格的な問題で微妙な距離感を保ちつつも、チョコチョコ付いていく姿がホント可愛かった、そしてヨーコと正反対で何事も我慢しちゃう辺りが何とも健気で・・・。
そんな薫を演じた松本花奈は本当に素晴らしい存在感でした、今は若くして映画監督もこなす多才ぶりを見せているのもこれを見れば思わず納得です。
ミムラが演じた現在の薫があんな風に成長していたのも、何となく想像通りでニンマリ、ラストも個人的には好きな微妙な切なさ加減でした、ノラリクラリな古田新太親父もいい味出してましたねぇ。
とりあえず麦チョコにコーラが欲しくなった!
誰もが持ち合わせている子供時代の郷愁
少女が垣間見た大人の世界。
子役の女の子、松本花奈ちゃんがとても良い。
ちょっとした大人同士のトラブルや会話に、{どうしたら良いか解らない}と言った表情がとても上手い。
誰でもが持っている子供時代の郷愁と共に、初めて自転車に乗って自由に外を出歩き、ちょっぴり大人に近付いた時の嬉しかった感触を思わず思い出した。
竹内結子もぶつきらぼうな性格で居ながら、実はとっても傷つきやすい女性を好演している。
何だか久しぶりにコンビニで○チョコでも買って帰ろうかなぁ(笑)
(2007年6月29日アミューズCQN/シアター2)
日曜日の昼間に見たい
タイトルに惹かれてみてみた。
とある薫という女性(ミムラ)の少女時代の夏の思い出がテーマの映画。
弟から、結婚の報告を受け、離婚した両親が参加することを聞かされた薫が、昔のことを回想する形で物語はすすむ。
おとん(古田新太)に愛想を尽かしたおかん(鈴木砂羽)が出ていってしまって、刺激的な夏が始まる。
かっこいい自転車に乗った洋子さん(竹内結子)という女性がご飯を作りに現れる。おとんも「今日から飯を作ってくれるから」としか説明なし。
自由奔放な洋子さんとの初めてばかりの夏。禁止されていたコーラ、乗れなかった自転車。薫の世界がかわっていく。
竹内結子さんがすごく魅力的な作品。ちょっと演技が臭いというか、気に入らない人もいるかもしれないけれど、どうにもならない思いが溢れてパンケーキを食べながら薫の前で泣いてるシーンがとてもかわいかった。洋子さんというある意味アンバランスな女性を見事に表現してた。
でも実は一番素晴らしかったのは、薫役の女の子!!
芦田まなちゃんなんて目じゃないくらい上手だった。
てか、薫っていう役柄に彼女がピッタリだった。
薫は、口数は少なくてでもすごく芯の強い女の子。洋子さんの「ハードボイルドな女」、おとんの「お前はブレないね」の言葉に象徴される。
印象的なシーンが何個かあって、このお話を象徴してるようなシーン。
1.薫と洋子さんがならんであるく
洋子さんが「薫はいっつもそっち側なんだね」っていう。
薫は、いつも左側をあるこうとする。
洋子さんが、「わたしもそうだったけどいつの間にかどうでもよくなっちゃった」っていう。
薫が、「わたしもそうなるのかな」
洋子さんが、「薫は大丈夫だよ」
っていう。
そうなんだな。薫は大丈夫なんだよな。
映画のラスト近く、現在のシーンで、弟から薫に連絡が入る。
昼間にひどいことを言ってすまなかった、姉ちゃんがあまりに昔から変わってないからイラっとした。と。
あぁ、と思った。
誰だって、ブレずに真っ直ぐに大人になりたい。自分のままで、ずっと左側を歩くこだわりを持ち続けるように。
弟の感覚がすごく繊細で普通で。
それに対するミムラの反応がいい。
それをいいと思って無さそうななんともいえない感覚。
そんな弟は結婚をして、薫は独身。
2.やりきれない思いに悶える洋子さんのセリフ
嫌いなものを好きになるより、
好きなものを嫌いになる方がずっと難しい。
好きなものを嫌いにならないといけない場面に直面した人だけが言えるセリフだなとおもった。
何気ない夏の思いでのお話のようで、いろんな思いのつまった作品でした。
俳優陣も非常によいです。
ラストシーンもたまらない。
詳しくは書きませんが、そっか、そうだよな、振り返らないよな。ってなりました。
誰にでも忘れられないひとがいて、でも何十年かたってすれ違う事ができたならわたしは振り返るのかな。
日曜日の昼間にみたくなるような、あったかく切ないお話でした。
ほのぼの
家出した母と正反対の女性、ヨーコは竹内結子の名演だ。子役の娘との関係もちょっと素敵だった。幼心に春風のように現れて去って行ったんだと思う。
明るさと爽やかさは、劇中のコーラを思い起こす。なぜか、ヨーコとコーラが重なる。
ひと夏の経験
この映画はひとりの30歳の女性のターニングポイントとなった小学4年生の夏の話です。
山口百恵の話題が映画に出て来たので、このレビューの題名はこれにしました。
この映画は続けて2回見ました。一度目は子供目線、二度目は大人目線で観れて、まったく違った角度から見れるおもしろい映画でした。
映画から主張のようなものを感じなかったので、鑑賞後は物足りなさも感じて、何か見落としてしまったように感じました。
見応えを求める人には不向きだと思います。
最大の魅力は父親の愛人の洋子だと思います。裏表がなく豪快で、ザバサバしていて、家出した母親の代わりに愛人の子供にごはんを作りにいく話なのにまったく悲壮感がないのがすごいところだと思います。
主人公の子供目線で作られているので、子供が分からない謎の部分は謎のままなところもいいと思います。
洋子さんの過去や仕事などを含め、家に来てるとき以外の様子がまったくかかれてなくてどういう人なのか、なぜ愛人になったのか分からないままでした。
洋子さんみたいな女性なら、何もこんな男性を選ばなくても…とも思いましたが、少しだけこの父親の魅力も分かりました。
題名がなぜ、サイドカーに犬なのか考えましたが、深い意味があるようでまったくなさそうで謎です。
でも、豪快な洋子と愛人の父親との関係の主導権が完全に父親にあるなと思いました。
上下関係にはないが主導権は人間で洋子はあくまでも犬ポジション。次期妻の位置には座れないってことを表してるのかな…、考えすぎだと思いますが。
ふたりがなぜ、別れたのか私には分からなかったです。
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「自分も小さいときに、こんな素敵な人と巡り会っていたかった」と、この作品を見た人の多くが思うのではないか。それくらい、「サイドカーに犬」の竹内結子扮する主人公ヨーコは、爽やかで人を気持ちよくさせる、新鮮な空気に満ちた風のような存在だった。
なぜそれほどにヨーコが素敵に見えるのか。それは、あらたまってヨーコが人生を語らなかったからだ。映画はとかく、登場人物に人生を語らせて、そこから人と人との触れ合いを描こうとしたがる。ところがこの作品で、ヨーコは初めて出会う女の子に、自分の過去や現在を話そうとはせず、素の自分のペースに引き込ませていくので、あけっぴろげで快活なヨーコの素顔に観客も女の子といっしょに惹かれていってしまう。人の魅力とは素顔そのものにあることに、映画を見ているこちら側があらためて気づかされたことが、この作品のポイントとなった。もっとも主人公ヨーコを、奇をてらうわけでなく、素直に演じてみせた竹内結子の醸し出す魅力を抜きにしては、こんな主人公は作り出せなかったかもしれない。
過去の根岸監督の作品の中にも、「遠雷」のあや子や、「ウホッホ探検隊」の登起子や良子などの魅力的な女性が登場している。ただ、今回の主人公の女性のほうがより魅力的に写るのは、以前にはあった泥臭さが、根岸演出からなくなっているからだろう。根岸監督の映画を知っている者には、この演出の熟成ぶりに思わずニンマリしてしまう。
そしてこの作品のもうひとつの魅力は、背景となった1980年代の空気だ。バブルの時代の前、着飾ることなく、正直に人と人とが触れ合っていたあの頃を、私も生きた人間で、今でもあの時代を共にした友人との親交が深いだけに、個人的なのだが、ヨーコがまったくのあかの他人には見えなかったのも、私がこの作品に大いに魅了された要因だったようにも思う。
これってかもめ系?
なんとも言いがたい、得体の知れないお話です
基本的には、おじさんとは正反対のとても駄目な父と潔癖症の母を持つ、少女と父の愛人との夏休みの出来事なんですがなんとも不思議な関係
特にオチというものがあったかな?と思うとあったのかもしれないし、なかったかもしれない
タイトルに意味があるようで、特に意味が無いような気もする
少女は大人になっても、中途半端な人生なような気もするし、普通なような気もする
なんとなく、面白かったような気がするし、だまされているような気もする
竹内結子は不良愛人には似合わないが、似合う役者が主役だったら誰も観ないだろうし、それはOK
不思議な世界。
名画座で鑑賞。
原作は読んでないんだけど、発想がとても面白い。
普通、父親の愛人には敵対心を抱くものだけど(汗)
この作品の場合、どう見ても愛人の方が分がイイのだ^^;
なんで?竹内結子だからか?(爆)
主人公の父親が古田新太、母親が鈴木砂羽なんで、
(なんかひと悶着ありそうな夫婦だもんねぇ~)なんて
失礼ながら思ったけれど、いきなり愛人が竹内結子って、
あまりに飛躍してないかい?^^;みたいな感覚があったり。
大人になった主人公がミムラ、突然有給とって釣り堀へ
行けば、そこの主人が'寺田農'っていうのはどうよ。とか
面白いんだけど、よく分からない配役の妙、、、。(^^ゞ
でもいちばんの難所は、捉えどころのない描き方ですね。
サイドカーに犬が乗っていた記憶を持つ主人公のこだわり、
もっとそのあたりを描くのかと思えば大したこともなく^^;
私の方がよっぽどサイドカーには思い入れがあるぜぇ!
なんて、ほぼ頭の中では「キカイダー」が渦巻いてました。
まぁいいんですが…(^^ゞ
とにかく最初から最後までコレといった説明もなく、淡々
と物語は進み、やがて帰ってきた母親と三つ巴の闘い!?
かと思いきや、脅威の頭突きで〆るという…^^;
大人になった主人公が独身でいるのも仕方ないのかな、
親が親だとねぇ…なんて辛いものを漂わせつつ、
弟の結婚という現実を目の当たりにして、ちょっと揺れる
姉の立場を、ミムラがこれまた淡々と締めくくっています。
ほのぼのというか淡々というか、不思議な味わいを楽しめる。
竹内結子が煙草をふかそうが、タンカを切ろうが、
いま一つ上品で怖くなかったので^^;余計そう思ったのか。
(でもサイドカーには乗りたいですよ♪そりゃねぇ~!(^^)!)
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