オール・ザ・キングスメンのレビュー・感想・評価
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権力の腐敗
元作はスタークの成り上がりから凋落までの全編を描くスペクタクルドラマでしたけれども。
本作の方は、スタークがバージニア州知事にまで登り詰め(更なる売名目的の?)自身の名を冠した病院を建設するあたりが、物語の中心に据えられています。
エッセンスを抽出したという意味では、本作の方がインパクトは大きいのですけれども。
しかし、それは、評論子が元作(1949年版)を観ていて、スタークをめぐる「全体像」が既にアタマに入っているからという理由も大きいと思います。
(両作とも未観の方には、元作=1949年版を先に観ることをお勧めします。)
彼が政界進出の、いわば「足がかり」として踏み台にした、小学校の非常階段の崩落事故。
その不明朗な政治的背景が、本作でははっきりと浮き彫りにされるのですけれども。
彼が今回、彼の名を冠した病院(黒人と白人貧民層の治療費は無料)を建てようとしていたことも、どうやら、事故が発生した小学校の工事と同じように、公共工事をいわば「錬金マシーン」として機能させようとする政治的な打算が見え隠れしていたようです。
郡の木っ端役人を務めていた頃は、権力(の腐敗ぶり)に批判的ですらあった当のスターク自身が、いったん権力の座についてしまうと、今度はその権力を維持し、あまつさえ更に拡大しようとする彼の姿からは、そのポピュリストぶりが覆うべくもない彼の政治姿勢と呼応して、かのアドルフ・ヒトラーすら彷彿とさせると言ったら、それは言い過ぎになるでしょうか。
いずれ、本作とも共通するのですけれども。
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。」というのはイギリスの歴史家ジョン・アクトンの名言と承知していますけれども。
その言葉そのものを体現するかのような本作は、いわゆる統治行為論に関する「Cinema de 憲法」としても好適な一本であり、佳作としての評価は揺るがないと、評論子は思います。
判事にも何か後ろめたいことがあるはずだ!・・・そう、人肉喰ってます
1949年にアメリカで公開された『オール・ザ・キングスメン』の脚本・監督のロバート・ロッセンは『グッドナイト&グッドラック』でもお馴染みのハリウッドの“赤狩り”の犠牲になった人だ。オリジナル作品は民主主義であるはずのアメリカ暗部を描いていたため、日本でも公開されたのが70年代に入ってからとなった。今リメイク作では時代も人物設定も同じではあるものの、多少オブラートに包まれたかのようにウィリー・スターク知事(ショーン・ペン)の独裁者ぶりはおとなしくなっていたように感じました。しかし、その政治的・社会的なメッセージは重く、質を落とすことなく見応えのある映画となっています。
オリジナルでは新聞記者ジャック・バーデンと元恋人アンの心理描写はそれほど克明ではなかったので、今回の鑑賞によってそれぞれの登場人物の関係が掴みやすくなってたのは良かった点です。一方、腐敗政治・独裁的知事の悪魔ぷりはそれほどでもなく、ショーン・ペンのヒトラー然とした鬼気迫る演説シーンが印象に残るだけでした。圧倒的な民衆の支持を得て、貧乏人のための政治を強調する演説。最初は歓迎すべき政治家だと感じるのですが、徐々に権力にしがみつく醜さが浮き彫りにされる展開には震えさえ起こるほどです。
『ホリデイ』では兄妹の関係。この映画では元恋人同士のジュード・ロウとケイト・ウィンスレット。何が二人を深い関係から遠ざけてしまったのかは複雑なのでしょうけど、「やっておけばよかった」と後悔するジュード・ロウの姿には共感を覚えてしまいます。そしてケイト・ウィンスレットの兄役であるアダム(マーク・ラファロ)の旧友への想いや政治家への憎悪などはとてもわかりやすく描かれていました。
今リメイク作ではショーン・ペンが主演となっているけど、旧友・恋人・判事(アンソニー・ホプキンス)に対する複雑な思いや政治に対する冷静な心理描写を考えると、むしろジュード・ロウが主演であるような気がします。ショーン・ペンは映画での活躍よりも、数々のブッシュ批判コメントのほうの活躍が目立ちます。もっと吼えて暴れてほしいと願うのは不謹慎でしょうか・・・
【2007年4月映画館にて】
丁寧さに欠けるもキャスティングの良さで何とかなった。
原作:ロバート・ペン・ウォーレン小説『すべて王の臣』。モデルは、アメリカ合衆国の政治家”ヒューイ・ロング”、1935年9月暗殺。
地方の活動家が貧困層の為に立ち上がり、理想に燃えて政治家になるも、権力欲の虜となって自滅していく姿を描いた作品。
丁寧さに欠け、わからない部分が多々ありましたが、キャスティングがすばらしかったので良しとし
とこ...。
ヒトラーを想像させる演説で貧困層の指示を得て州知事になったが、様々...
ヒトラーを想像させる演説で貧困層の指示を得て州知事になったが、様々な疑惑を産み出し破局を迎える。本来有るべき姿を見極め進むことの大切さを思わされる作品
キャスティングに惹かれる映画
キャスティングに惹かれる映画。渋くてかっこいい演技が見れる。
内容は意外と難しい、というか全体を把握しにくかったりする。
知事の話だけでも密度が濃いのに、記者側の話も幼少期から振り返ったりするので、だんだん頭がこんがらがってくる。
集中してみないと結構きついかも。
ただ全体としては良い感じの映画。
どこの国にも、いるんですね。
舞台は、1949年のルイジアナ州。汚職を非難していた州の役人が、他の候補の当て馬として州知事選挙に出馬。選挙最中にそのからくりに気づき、それをバネに州知事に当選するものの、自身も腐敗にまみれ、大衆を煽動しながら自身の保身を図っていく話。1920~30年代に実在した人物をモデルにした物語だそう。若干のネタバレ的なことがあるのでご注意。
舞台がルイジアナ州ということで、あのカトリーナで壊滅的な打撃を受けたニューオリンズでの撮影も行っています。もっとも、撮影自身は、カトリーナの惨劇の前に終わっていたようです。その意味では、カトリーナ前の最後の映画らしいです。州の政治を描いた作品なので、実際の州議会議事堂や、州知事の執務室でのロケが行われているそうで、今の州知事も、映画セットと化してしまった自分の執務室の見学をしたりしたそうです。ちなみに、州政府所在地は最大の街ニューオリンズではなく、バトンルージュと言うもっと小さい街です。アメリカには、そう言うのが多いですが。
話が始まったときには既に、ショーン・ペン演じるウィリー・スタークは腐敗してしまっているので、何が彼を腐敗させてしまったのかはわかりません。権力がそうさせたのか、あるいは、元々そう言う人物であったのか。だた、知事選挙の件から想像するに、元々、煽動政治家の素養はあったということだと思います。それと、なぜかスタークの参謀となってしまっているジュード・ロウ演じるジャック・バーデン。彼は、富裕層出身と言う設定。物語上も、富裕層のつながりを利用して、スタークのために、汚い仕事もやっています。
それにしても、こう言うような、利益誘導型の煽動政治家って言うのは、どこの国にもいるんですね。学校を作ります、橋を作ります、病院を作ります・・・、言っている事は、日本の煽動政治家と全く同じ。そう言う、デマゴーグを生み出すか、あるいは、真に有能な政治家を選ぶかは、有権者次第なんですよね。今年は、選挙イヤーなので、ちょっと考えてしまいました。決して、面白おかしい内容の映画ではありません。この映画を見て、我がふり直せと言う感じですね。
権力の虜
総合:80点
ストーリー: 75
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 75
権力に取り付かれそれを守ることに執着した元役人の男を、彼の正義感に惹かれて彼の元で働いた新聞記者の男が、けだるい憂鬱な雰囲気の中で描く。
ショーン・ペン演じるウイリーは、最初は賄賂を拒否したことで職を失うことになったほどの清廉な人物であり、田舎でほそぼそと生きていくのが似合う小人物だった。しかし権力を目の前にした途端に彼の全ては変わる。
彼は普段は真面目な一市民でも、彼の正義感から来る扇動政治家の素質があった。通常通りの選挙演説から自分流の派手で人々の怒りの感情を煽り立てる方法に変えたとき、その素質が開花する。敵を作り上げそれを攻撃することで、自分こそ大衆を代表して正義を全うする英雄だとして自分自身を祭り上げ大衆にそれを認めさせる。出納役人をやっていた彼を静とするならば、選挙からの彼はまさに動である。まるでヒトラーの演説を彷彿とさせるし、それがその後の彼を暗示している。実際その後の彼は大衆の金持ちへの怒りを支持母体に、自分の思うままに権力を使おうとするのである。
元々彼は器の大きな人物ではなかったのだろう。彼の器を越えるものが自由に出来る権力を手に入れたとき、過去の彼は完全に消え去ってそれに固執するだけの違う人物が誕生してしまった。彼の正義感は消えて、自分のために正義の名の下に彼の政敵を攻撃するために使われる扇動の力となった。
地位・責任・権力が人を育てることもある。しかし自分の器を越えるものを手にしたとき、それらが人を駄目にすることもある。それが多くの市民に影響を与える。そのような怖さが出ていた映画であった。
しかしジュード・ロウが最初の清廉なショーン・ペンに惹かれたのはわかるが、ショーン・ペンが権力欲のかたまりに変貌してしまった後も彼の下で働き続けたのは何故だろう。ジュード・ロウは美しい思い出や友情や親愛など多くのものを失うことになったし、そうかといって彼が権力欲に取り付かれていた感じではなかったし、またそのままでは多くのものを失うことがわかっていたはずなのにである。彼は新聞記者として正義の心をもっていたはずで、それだからショーン・ペンに惹かれたはずだ。過去の姿の幻想から抜け出せなかったのだろうか。そのあたりが少し疑問として残った。
政治家は清濁併せ飲み干す肝が必要だ・・・
ジュード・ロウが難しい役を良く演じている。ショーン・ペンも役所の公務員から悠知事まで上り詰めたあくの強い役を演じていますが、正直、ショーンペンとアンソニーホプキンス役柄逆でもいいのではって思ってしまう。シンプルなストーリーで最期にジュード・ロウにもちょっとしたどんでん返しがあるのだが作中の雰囲気や複線で先に読めてしまう。名俳優が脇を固めた映画ですが私はそこそこ。そもそもショーン・ペン自体があまり好きではないうえにこの作品の役柄もいま一つ。なので名作ではあるが評価3.0なのである。
今の日本にピッタリ?
“談合”“汚職”“政治の私物化”etc etc…。昨今の日本の地方自治が抱える問題点の数々。この映画は、そんな現在の日本にとって、非常にタイムリーな内容が描かれているような気がします。
『不正を憎んでいた男が権力の座に着き、いつしかその亡者と化していく』よくあるお話です。日本だけでなく、これは全世界共通でいえることでしょう。権力の中枢にいながら、公明正大でい続けるというのは、なかなか難しいことだと思います。この映画の主人公のウィリーも、最初は弱者の側にいるのですが、やがては権力の波にのまれ、その魔力に溺れてしまいます…。て、感じなんでしょうが、残念ながらこの映画、ウィリーが権力の側に堕ちていく様が、あまり描かれてないんですよね。選挙に勝った後、いきなり5年が経ってしまいますので、何でそこまで悪くなったか?がイマイチよくわかりません(実際に賄賂を受取ったとかいうシーンが出てこないので)。選挙前に弱者の側から言ってたことは、知事になってからの政策にも反映されていたように感じられるので、判事から弾劾されるという話が出てきたときも『コイツ、そんなに悪いことしてるか?』と思ったのが、吾輩の正直な感想です(そりゃ、『酒を飲むようになった』とか、『女グセが悪くなったとか』はあるんですけど。それって、権力や政治には無関係でしょ?)。その辺をもう少し掘り下げて描いてくれれば良かったような気がします。大河ドラマなんですから、もう少し上映時間が長くても(2時間8分では、モノ足りん!)問題ナシでしょう。ひょっとしてそんなところが、アメリカで大コケしてしまった要因の一つかも知れませんね。
ただこの映画、キャスティングは秀逸です。ショーン・ペンの狂気を孕んだ演技は、観る者を圧倒せんばかりですし、ジュード・ロウの控えた演技も見事。そしてわずかな出演で、その存在感を強烈にアピールするアンソニー・ホプキンス。“動”のショーンを“静”で受ける貫禄が素晴らしいの一言!この男達の共演に、無垢で可憐でありながら、やがて汚れていってしまうジャックの思い人・アンを演じたケイト・ウィンスレットと、政治(権力)の世界で生きる女・セイディの悲哀を演じたパトリシア・クラークソンが絡み、非常に濃厚な人間ドラマが繰り広げられます。うん、こんな展開ならホントにもう少し長くても良かったと思いますよ。惜しいな~!
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