リトル・ミス・サンシャイン : 映画評論・批評

2006年12月26日更新

2006年12月23日よりシネクイントほかにてロードショー

アメリカ的な価値観に異議を唱える気骨あるドラマ

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個性が強すぎて協調性ゼロ。悩みとトラブルの絶えない家族が、ひょんなことから“絆”を取り戻していく。そんなどこにでも転がっていそうな話のホームドラマなのだが、これほど強烈なインパクトをもたらす映画にはそうそうお目にかかれない。天真爛漫な娘を美少女コンテストに出場させるため、アリゾナからカリフォルニアへの旅に出たフーバー一家の6人が、フォルクスワーゲンのミニバスに乗り込んでおかしな珍道中を繰り広げる。

乾いた空気の広大な大地を黄色いミニバスがゆく様は、いかにもアメリカンな光景なのだが、実はこれ、アメリカ的な価値観に異議を唱える骨っぽいドラマでもある。国民の経済格差が広がり、いつしか社会には人を勝ち組と負け組に二分する風潮が定着した。もちろんフーバー一家は筋金入りの大負け組だ。しかしこの映画は一家のどうしようもないダメっぷりを痛烈かつ執拗に描写しつつ、「負け組の何が悪い。そんなこと勝手に決めつけるな!」と主張する。ユーモラスなタッチの中に、いじめられっ子が無敵のガキ大将に噛みつくような妙な迫力がこもっている。こんな一家が参加するクライマックスのミスコン・シーンは、当然ハチャメチャな大混乱に陥る。負け犬一家の開き直った大暴れに拍手喝采だ。

こうした社会風刺や家族の再生ドラマを説教臭く描くのではなく、ちゃんと映画らしく“見せる”巧みな工夫が為されていることも見逃せない。その最たる例は、故障したミニバスのエンジンをかけるため、ドライバーのパパ以外の5人が車を押さねばならないという設定。そう、このバラバラのダメ家族は、当の本人たちがさっぱり気づかぬうちに映画の前半で“一致団結”しているのだ! 実にチャーミングで懐の深い快作である。

高橋諭治

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