出口のない海のレビュー・感想・評価
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天業を既倒に挽回する
原作未読
原作は『半落ち』『クライマーズ・ハイ』『臨場 劇場版』『64 ロクヨン 前編後編』『影踏み』の横山秀夫
監督は『半落ち』『結婚しようよ』『ツレがうつになりまして。』『この道』『大綱引の恋』の佐々部清
脚本は『釣りバカ日誌』シリーズの山田洋次
脚本は他に『うなぎ』『赤い橋の下のぬるい水』『福耳』の冨川元文
人間魚雷回天に搭乗する若い軍人を描いた戦争映画
戦闘シーンはない
回天を扱った映画は意外と多かった
特攻といえば神風特攻隊だが特攻兵器として開発されたのは回天が初
クレイジーという点では小型飛行機より回天が凌ぐ
作戦としては似たようなものだが回天は失敗が多く敵戦艦ではなく海底に刺さったまま抜けなくなりそのまま呼吸困難で亡くなるという死んでも死に切れない無念の死を遂げるケースも多かったらしい
飛行機ごとぶつける自爆攻撃は9.11でも活用されたが魚雷に操縦席を作るなどという発想は後にも先にも日本人くらいだろう
なぜか海老蔵と伊勢谷のやり取りはリアルにピリピリしていて観てるこっちが緊張する
配役
甲子園優勝投手で明治大学でも投手を続けたが海軍に志願し少尉から回天搭乗員になった並木浩二に市川海老蔵
明治大学競争部を辞め海軍に志願し中尉に昇進し回天搭乗員になった北勝也に伊勢谷友介
並木の恋人の鳴海美奈子に上野樹里
回天隊整備員の伊藤伸夫に塩谷瞬
回天搭乗員の佐久間安吉に柏原収史
回天搭乗員の沖田寛之に伊崎充則
明治大学野球部マネージャーの小畑聡に黒田勇樹
明治大学野球部キャッチャーの剛原力に平山広行
並木の妹の並木幸代に尾高杏奈
光基地先任将校の馬場に永島敏行
イ号潜水艦航海長の戸田に田中実
光基地将校の剣崎に高橋和也
久里浜対潜学校司令の佐藤に平泉成
イ号潜水艦艦長の鹿島に香川照之
並木の母の並木光江に古手川祐子
並木の父の並木俊信に三浦友和
とても長く涙が出た
虚しさ。くだらなさ。哀しさ。切なさ。儚さ。
哀しく虚しいな、戦争は。
生きる事も死ぬ事も出来ない時間、メンタルはどうなるんだろう。
宇宙に肉体1つで投げ出されるのと同じだろうな、深海で閉じ込められるのは。
不安と寂しさと恐怖と。暗い暗い深海で身動き取れない狭さで救助が来る分けでもなくただひたすら死を待つ。その状況に置かれた事がないがどういう時間の立ち方なのだろうか。
どんな死も嫌なものだ
死ぬのが怖くないなんて、衝動的な行動ぐらいだろう
考えたくないから日頃考えないのだ死について。
あらためて平和の大切さを実感
評論子は、その分野に詳しいわけではありませんが、ネットの解説によれば、工業製品の品質管理の分野に「デミング賞」というものがあって、それは、「戦後の日本に統計的品質管理を普及し、日本製品の品質を世界高水準に押し上げることの大きな礎となったウイリアム・デミング博士の業績を記念して創設されたTQM(総合的品質管理)に関する世界最高ランクの賞」とのことです。
(もちろん、デミング博士はアメリカ人)
戦後の日本に教えることができたくらいですから、太平洋戦争中のアメリカ工業界は、すでに(兵器の)品質管理手法を確立していたということになるのだろうと思います。それだけ信頼性の高い(品質的に優良な)兵器が対日本の最前線に供給されていたということになります。
一方で日本の側といえば、戦局挽回の切り札ともいうべき兵器(回天)を潜水艦に搭載し、せっかく敵前にまでたどり着いたとしても、肝心のその回天が故障で発進不能というのでは、何をかいわんやでしょう。
潜水艦の艦長としても、回天の出撃不能を聞いても別段驚かないところを見ると、そんなことは日常茶飯事だったことが窺われます。けっきょく、回天の兵器としての信頼性は、「その程度のもの」と言わざるを得ないのだと思います。
そして、そんな「やくざな」兵器に、文字通り命をかけて搭乗させられる搭乗員こそ、無念の一言では、その心情を言い尽くせないことでしょう。
そんな状況で太平洋戦争を戦った日本の「無茶ぶり」もさることながら、改めて戦争のない世の中の大切さに思いが至りました。評論子には。
出口はなかったが、それでも青春を感じた。
何故、二度と帰れないと分かってて魚雷に乗り込んだのか、そして魚雷の中で日記を書くシーンでこれが最後の遺書だったかもしれません。
※ちなみにこの映画には桐谷健太さんも出ています。
あの頃の海老蔵は爽やかだった
靖国神社の遊就館で見た桜花、回天、震洋。本当にこれに乗って敵に突入した人がいたと考えただけで背筋が寒くなった。本気でこんなものを開発したことが信じられないが、普通に出撃してもどうせ全員未帰還、だったら最もコスパの良い方法で、という発想になるのだろう。戦争が、というより国を上げてのジリ貧状態が狂気と正気の区別を失わせていくのかもしれない。この頃の海老蔵は毒の無い爽やかさで、周囲の空気に押されて特攻を「熱望」と書かざるを得なくなる愛国でも反戦でも無い普通のスポーツ青年を良く演じていた。
敗戦があって今の日本と私たちがある
明大野球部の名ピッチャー並木が、仲間に感化されて海軍に志願し、人間魚雷回天に乗るなる話。
並木は家族、友人、恋人に野球と青春真っ只中の生活から、急に特攻へ。
当時大学に通える人は限られていたはずで、そのレベルの人でも戦争(日本の負ける可能性や、戦争の意義)に何の疑問を持たずに海軍志願したり、特攻を請け負ってしまう無知さに驚きを隠せない。当時はそれだけ日本という国が幼かったのだと思う。
敗戦後日本は成長し、また情報社会の今、私たちは、「特攻以外の戦闘方法を考案する余裕もない状態での戦争参戦なんてあり得ない」と誰でもわかる。命より大切なものをなんてない。「敵を見たことがあるか?」という父のセリフにあるように、誰も自分の目で戦争意義について裏取りをしないなんてありえない。
選択肢の少ない当時、無駄死にだとわかっても、人間魚雷の存在を知ってもらう為に死ぬと理由づける並木少尉。本番1回目出番なしで引き返し、2回目故障で突撃できず引き返す。死ぬ覚悟を何回も繰り返すなんて、どんな精神状態だ!と切なくなった。
しかしながら、演習で浮上できず回天の中に閉じ込められて死ぬという最期も、かなり間抜けで別の意味でも切ない。実際、役目を果たせた回天はほんのひと握りだった模様。
俺を軍神にさせてくれ!そうすりゃ靖国に奉られ、少なくとも家族には数十年間軍人恩給が支払われるんだ!
魔球が夢だった野球青年は後に軍神とされたのかどうかはわからないけど、フォークの達人がハマの大魔神として活躍していたことは記憶に新しい。物語の主人公は甲子園の優勝投手、そして大学野球を続けながらも肩を痛めて魔球を研究していた青年並木(市川海老蔵)。速球はもう投げられないと諦めていたが、彼は魔球開発を夢見て野球に打ち込んでいた。しかし、彼の同級生でマラソン選手の北(伊勢谷友介)が召集令状の届く前に志願したり、中学生でも出陣しているという話を聞くにつれ、自らも志願する道を選んでしまった。
恋人美奈子(上野樹里)にさえ軍の秘密を漏らすことはできない。特攻で自分が死にゆく身であることすら伝えることができないのです。戦友同士では家族のためにだとか夢を追い求めるためにだと語り合えるのに、正直な心を伝えられないことの悲しさが伝わってきました。終戦間近、日本は負けると皆わかっていた状況下で、「何のために二度と帰れないと知りながら回天に乗ったのか」というテーマが半ば自暴自棄とも思える言動で重くのしかかってきます。
面白いことに、この映画は戦争の悲惨さを直接的な映像にすることを意図的に避けているように思えます。それが並木の父(三浦友和)の「お前、敵を見たことあるのか?」に集約され、敵だって人間であること、アメリカ人は野球も好きなんだという単純なことを改めて教えてくれます。「国って何だ?」といった問答も、愛国心が議論される現代的なテーマに絡めて考えさせられました。もちろん、当時は「お国のため=天皇のため」ですから、見たこともないので「家族のため、恋人のため」だとしか答えようがありません。
たまたま朝の連ドラ『純情きらり』が敵国の音楽であるJAZZがテーマとなっているので共通項があって興味深いのですが、どちらも三浦友和が父親であるという偶然も見過ごすわけにはいきません。そのほか、俳優陣の中で気に入ったのが柏原収史。突撃直前の表情が凄まじいものがありました。全体的には抑え目の演出であり、日記の朗読によって補完するような内容だったため、小説を聞かされているような感覚に陥ってしまったのがマイナスポイントでした。それでも人間魚雷=回天についての知識を与えてくれる、戦争を理解するためには必見の映画かと思います。
〈2006年9月映画館にて〉
悲しい兵器&お粗末な結末
世間体を気にする主人公なのか。
召集状が来る前に自ら海軍に志願する青年。
挙句の果てに人間魚雷「回天」に志願する始末。
戦地で幸運にも生き延びておきながら、演習で回天に乗船して岩場に挟まれ身動きが取れず絶命となる悲しい結末。
本当に面白くない作品。
人間魚雷の回天の話。 光市が舞台で、地元だし見とこうと。 その時代...
人間魚雷の回天の話。
光市が舞台で、地元だし見とこうと。
その時代には、回天に志願することが美徳ですばらしいことである風潮。それには誰も疑うことをしない。
時代によって良いとされることが変わってくる。それをはっきりと見極める眼力を持つ必要があるなーと思った。
山口県周南市の大津島、回天記念館へ足を運び残酷さと悲しさを目にした...
山口県周南市の大津島、回天記念館へ足を運び残酷さと悲しさを目にしたあと、この作品を思い出し再視聴する事に。改めて軍国時代の日本は一部の狂気ある人間により多くの青少年の命を奪った。別れの手紙の「お父様、ご両親様」が無残でならない。
真実を知る人の想いにはどうあがいても辿り着けない
世界のどこかでテロによる犠牲者が出て‘聖戦’の言葉が使われる度に日本人にとって思い出してしまう悲しい過去の悲劇。
『出口のない海』はこれまでにあまり語られ無かった《回天》とゆう乗り物に関する事実を描写した小説を元にした作品で、これまでの戦争映画同様に家族や恋人との別れ、友人達との友情等を丁寧に描きながらクライマックスに持って行き観客の涙を誘おうとする作品でもあります。
とにかく監督が佐々部清なので舌を巻く位に上手いですね。ちょっと感傷的になりすぎるのが長所でもあり欠点でもある気がするのですが、知らず知らずの内に最後には泣かされてしまいます。
しかしながら当時の状況から如何にこの《回天》とゆうモノが必要であったのかとゆう“切迫感”が感傷的な画面からは一切伝わっては来なかった。
前日にTBSのドラマがあり(本編は未見)昼間に回天に関する裏話が放送されていた。
主にドラマの中のNG集だったのだが、実際に回天に乗った経験のある人や場所・施設、遺書らしき手紙や遺品を見せられて胸に詰まる思いを感じてしまった者としてはこの脚本と演出には深く入り込め無かった。いゃ、本当に上手いんですけどね…。
(2006年9月18日丸の内ピカデリー2)
俺は「回天」を伝えるために、死のうと思う
映画「出口のない海」(佐々部清監督)から。
「神風特攻隊」には、いろいろな遺品などが残っており、
どうしても、ドラマチックに描かれてしまうが、
潜水艦に装備されていた「回天」という「人間魚雷」のほうが、
その孤独感は、強かったと思う。
魚雷の中に、人間が乗り込み、相手のレーダーを潜り抜け、
敵の戦艦に体当たりする、まさに生きて帰れる見込みはゼロ。
それもそのはず、「回天」には脱出装置はなかったから。
どうしてこんな兵器が考えられたのか、私には信じ難いが、
回天の乗組員である主人公が語るシーン。
「俺は『回天』を伝えるために、死のうと思う。
人間魚雷という兵器があったことを。
人が兵器の一部になったことを、
この悲しい事実を語り残してもらうために死ぬ。
それでいい。まぁ、俺は俺なりの理由づけだけどな」
また作品中、何度か使われる台詞に、
「おまえは、敵の姿を見たことがあるか?」というのがある。
戦争とは、いかにも敵と戦っているようだが、
実は、その姿を見たこともなく、アメリカ兵とは、
どんな体格で、どんな言葉を話すかも知らずに、死んでいく。
だからこそ「何のために死ぬのか?」を自分なりに、
理由づけして戦う必要があったことは、とても辛かった。
そういう意味では、こんなバカげた兵器があったことを、
次世代に伝えるために死ぬ、という理由はありなのかもしれない。
だって、しっかり私には、伝わったのだから。
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