蟻の兵隊のレビュー・感想・評価
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2025年8月15日に思うこと
80回を迎える終戦の日。
終戦を迎えた後も、上官の命令で山西省に日本軍として残り、国民党と共に、中国共産党と戦った人々がいたことを知った。
「皇国の復興を本義とす」と服務規程に記した彼らの存在は、武装解除を定めたポツダム宣言に真っ向から反している。そのため「国」としては、「彼らはあくまで志願兵として残留した」として、軍人恩給も支給していないし、彼らの起こした訴訟も、2005年に上告棄却で敗訴のまま終わっている。
今作は、訴訟団の一人、奥村和一さんへの密着を通して、日本軍の中国での行いや、戦時の軍隊の中での兵士の心理、そして今も奥村さんの心の中に残る「無抵抗の人を殺した葛藤」について赤裸々に描き出している。
上官の命令には絶対服従を叩き込まれて、終戦後も中国の国内の争いに巻き込まれつつ「天皇陛下万歳」を叫んで戦死した兵士たちに対し、厚顔無恥な司令官は、東京裁判を逃れ、戦後ものうのうと生き延びたという現実。
現在、「虐殺はなかった」「あれは侵略戦争ではない」「慰安婦は自ら望んだセックスワーカー」といった言説をまことしやかに語る人々をよく目にするし、感覚とすると、一頃の新しい歴史教科書問題の頃より、確実に増えているように思う。そして、そうした人たちは、こぞって愛国を語り、反対の立場の人々を「反日」と断じて冷笑を浴びせるが、その人たちが愛する「国」というのは、犠牲にできる者をトコトン犠牲にして、「ずる賢く立ち回って逃げ切ることが最上の価値」というデストピアのことを指すのだろうか。
ぜひ、この映画を観た後の感想を聞いてみたいものだ。(多分観ないだろうが…)
自分自身も、そんなシニカルなことを考えた、2025年8月15日。
※山西残留問題について、「オーラルヒストリー企画」の「山下正男」氏のインタビューがとても参考になった。(「 」内の言葉で検索すると、インタビューリストの中からたどりつける)
映画をご覧になられた方は、描かれていたことの背景が見事にクッキリと見えてくると思うので、ぜひご一読をオススメしたい。
「複数性」に耐えうるか
正直、ところどころ観ていて不愉快になる映画だ。
上官の指示で戦争が終結したのも知らされず、大陸に残された約2600人の日本兵たち。信じてきた国に対して裏切られた気持ちを考えると、同情できる部分も多々ある。
しかし、彼らは大陸で数多くの殺戮行為をおこなってきたのは紛れもない事実。
自身の残虐行為を棚に上げ、他人事のような発言が気になる場面がいくつかある。
冷静な判断ができない状況であることは十分理解できるが、なぜここまで上官の指示を聞き続けなくてはならなかったのか。
(なぜ逃げなかったのかと)中国の生き残りの親族に詰め寄るシーンがあったが、自分たち残留兵も何故逃げるという選択肢がなかったのか。
戦時総動員体制下、軍人も民間人も人間本来の「考える」機能を失っていく。それが全体主義の恐ろしさ。
日本には被害側の立場で描かれた作品は多いが、本作のように加害者側をクローズアップしたものは少ない。そういう意味で、後世に残すべき作品である。
多くのバッシングを覚悟して、カメラの前に立ったであろう、奥村氏の勇気を称えたい。
日本人の敵は日本人
混沌とした贖罪と自己正当化
毎年“あの夏“はやって来る
今年も間もなく8月15日がやって来る。既に終戦から61年の時が流れた。※1
敗戦を知る我が国日本では節目の年に決まって《戦後○○周年記念》と銘打って大作映画が製作され戦争の恐怖を風化させない様に努めて来た。時に感動作品として、また場合によっては“賛美”する様な描写で賛否を浴びたり…。
内容はともあれ今後も続けていかなければならない。
『蟻の兵隊』は国家から‘過去を否定された男’を追いかけるドキュメンタリーだ!戦後も60年を過ぎて当事者も当事を知る人も次々と亡くなってしまい《本当の証拠》がなかなか見つからない。
「真実は一つなんです」「いかに戦争が恐ろしいモノか、地獄を見たからこそ伝える義務がある」と言い、少しずつではあるが蟻は行進する事を止めようとはしない。
軍隊がいかにして殺人マシーンを作り上げたか…これは真実の『フルメタル・ジャケット』の話でもあります。
特に中国で初めて人を殺してしまった際に逃げ出した中国人の息子と孫に詰め寄る所と、《日本一有名な蟻》に“無名の蟻”が喰ってかかる場面が圧巻です。
女の子達が写真を撮り屈託無く笑えるのも《平和》だからこそで、最後に言う「時間との勝負なんです」の一言が胸に突き刺さります。
※1 鑑賞直後のレビューなので…。
(2006月年8月3日[シアター]イメージフォーラム/シアター2)
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