父親たちの星条旗のレビュー・感想・評価
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英雄として翻弄された若者たち
戦争によって失われた命、戦友たち
若者が次々と死んでいく姿に
また味方からの攻撃を受けたり
戦争が意味の無いことに気づいた
そして星条旗を掲げた事によって
いつの間にか…英雄として称えられてしまう
死んでいった仲間に申し訳なく思う
英雄をアピールする訳は
国民に国債を買ってもらう為の国の策略
それによって精神を病む者も
戦場に行った体験者は家族に戦争のことは
話したりしないと聞いています
悲惨な現状が余りに酷くて語れるものでない
思い出したくないと言います
心の傷が修復できず心の奥底に閉じ込めて
勝った負けたからということではなくて
どちらの若者も青春を奪い命を奪われる戦争に
意味はないんだと
日本版〈硫黄島からの手紙〉とは同じ戦争
を描いていますが見える視点が違う
戦争に勝ったからいいんだよということではなかった
戦争に英雄はいらない
戦って国のために命を落とした人を敬う
…イーストウッドの反戦映画の様に思えた
硫黄島の戦いの実像と、帰還後の英雄としての活動の苦痛、戦争の真実を伝える映画の役割
戦争そのものの狂気を描いた硫黄島からの手紙の米国版ということで、少し予想外であったが、戦争映画というよりも、戦争の体験、実像をどう捉えどう伝えるかという映画の様であった。少なくとも、硫黄島の戦いで英雄とされた3人の主人公達だが、戦争の実態とはかけ離れた虚構。国債を広く買ってもらうための広告塔、模像的なヒーローであることを知らされた。
イメージとは異なりあの写真にある星条旗は、山上に立てた最初の旗を高級将校が欲しがったため、その後に交換するための星条旗ということなのだ。
死んでいった仲間たちも、味方の誤爆でやられてしまったりしてて、決してお国のためにと思って勇敢に死んだ訳ではない。ただ皆、仲間たちを大事に思い、仲間たちの迷惑にならない様に役割を必死に努めたことは疑いの無い事実で、言わば硫黄島に行った全員が英雄と訴えている様に思えた。
星条旗を掲げて生き残った主人公達、英雄扱いされた3名、特にアダム・ビーチ演ずるインディアンのアイラ・ヘイズはヒーロー扱いに苦しみ酒浸りとなり戰後行き倒れ的に死亡。ライアン・フィリップによる衛生兵ジョン・ドク・ブラッドリーも戦争の悪夢にずっと苦しめられる。ジェシー・ブラッドフォードによる伝令レイニー・ギャグノンは広告塔を積極的にこなし多くの知人を得たが、戰後の職探しでは全く役立たず。ということで、戦争体験が個人的には全く役に立たず、ブラッドリーは家族にも戦争の話を一切していなかった。
なお、映画とは直接無関係だが、ドク・ブラッドリーが実は星条旗掲げた6名ではなかったことを、2016年米国海兵隊が認めたとのことで驚かされた。彼はそれを知っていた上で英雄演ずる国債キャンペーン活動をしたのだろうか?
回想的に挿入される幾つかの戦闘シーンは相当の迫力。生き残ったのは単に運が良かったとしか思えない縦横無尽に銃弾が飛び交う世界で、みじかな仲間たちが呆気なくやられてしまう世界。敵に見るも無惨にされてしまう世界。こんな恐ろしい戦場で良く行動が取れるものだと感心させられる映像であった。
英雄扱いせず、戦争反対と括らず、静かに淡々とだが、戦場における彼らの闘いの真実の姿そのものを、今生きている人間はきちんと記録・記憶しておくべきとクリント・イーストウッド監督は主張している様に思えた。本映画が有するその知的で俯瞰的な視点に静かな感動を覚えた。
ブッシュ大統領にもよくよく見ていただきたい
戦中の硫黄島とアメリカ本土、そして現代という3つが同時に進行していくのが少しキツイ。
結構集中してないと、わからなくなるかも。
メディアが発達した時代においては、たった一枚の写真で英雄が作られ、国策にのっとって利用される。
でも、現場にいた彼らは、戦争を続けくなんかなかったんじゃないのか。
単に、あの地獄が早く終わり、みんなで生きて帰れることだけを願ったのではないのか。
戦争なんて、結局は自分が現地に赴かない政治家たちがはじめるもの。
実際に前線にいる人たちが目にするのは、ただただ悲惨な世界。
戦闘シーンはリアルすぎてえぐい(体は千切れ、内臓飛び出す)。
それをはっきりと見せ、あくまでも「戦争=悲惨なもの」として描ききり、「英雄なんかいない」と言い切っただけで、この映画は価値があると思う。
「父親たちの星条旗」を観て・・
クリント・イーストウッドの監督による戦争映画。硫黄島の戦いをアメリカ側の立場から作品にしたもの。日本側の立場からは渡辺謙が主演した「硫黄島からの手紙」がある。
太平洋戦争末期に水陸両用車からアメリカ軍の兵士が硫黄島に上陸し、洞穴から死守する日本軍と戦闘する。その戦闘シーンは凄まじい・・結局、アメリカ軍が占領して硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を立てた。アメリカ合衆国では戦時国債の販売キャンペーンを星条旗を立てた兵士を国民的英雄にして行った。その為の銅像も出来て、国債ツアーを各地でする。だが、その兵士らのその後の人生は・・戦争の悲惨さを物語にしている。
2006年公開のアメリカ戦争映画の名作。
そこじゃなくない?
戦争アクションとしては中々見応えがある。が、それだけ。
真面目な戦争映画としてはズレていると感じた。
この映画は、硫黄島の戦いにおいて、たまたまアメリカ国旗を掲げたに過ぎない者が、
本国で英雄視され、政治宣伝に利用されたことによる葛藤を描いている。
彼らの葛藤の根本は
「自分は英雄ではなく、真の英雄は他にいるのに…(世間はそこをわかってくれない)」
ということであるらしく、映画の描写の大半はそこに割かれる。
しかし、その葛藤自体、見誤ってはいないか。
なぜなら、世間は、彼らに特別な能力や功績がないことは知っているのだから。
つまり世間も、彼らが真の英雄ではないことはわかったうえで、
彼らを戦争のシンボルとして祭り上げたにすぎない。
彼らに、兵役で死んだ自分の息子やらを重ねただけである。
にもかかわらず、「大衆には偽者と真の英雄の違いもわからない」
ことを前提にプロパガンダを描くのは、大衆を馬鹿にしている。
そして、そもそもこの葛藤自体が幼稚ではなかろうか。
個人の能力とは関係ないところで脚光を浴びることは、長い人生の中では割とあること。
重要なのは、そこで実力のなさや、本来脚光を浴びるべき他人を慮って苦悩することではなく、
そういうものと割り切ったうえで、自分やその他人のためにどう行動するか、だろう。
この映画は、彼らを政治に振り回された被害者であるかのように描いているが、
個人的には、彼らは折角の機会を生かせずに勝手に自滅しただけで、自業自得だと感じた。
「利用されたこと」で彼らが失うものはなかったし、利用自体の強制力もそこまでなかったのだから、
一種の偶像として祭り上げられていることは自覚して開き直ったうえで、
いまのうちだけと思って、戦友のために活動するなり、権力者のオファーに乗るべきだった。
この映画の描き方では、そういう感想をもたざるを得ない。
"星条旗の下に結集せよ"
‘星条旗の下に結集せよ’
移民の国、人種の坩堝のアメリカでは全員が結集して「自分はアメリカ人ある」事を強く意識し、確認する“モノ”が重宝される。
一番解りやすいのは視覚・聴覚で訴えてくるモノで、音楽なら。
お馴染みの国歌「Star Spangled Banner」を始め、
「God Bless America」
「America The Beautiful」
「National Emblem March」
「Strike Up The Band」
「Stars And Stripes」
それにジョージ・M・コーハンの数多くのヒット曲等々。
これらの曲を聴く度に思い出すある有名な一枚の写真。視覚で訴えるのにこれ以上に効果的な‘モノ’は無い。
クリント・イーストウッドは“国家に振り回された”男達に哀惜の念を寄せながら“国家に利用された”事実を静かに訴える。
徹底的にリアルにこだわった戦闘場面を始めとして、あの戦争の不条理さを明らかにした上で如何にして“英雄”は作り上げられていくのか…。
アメリカの恥部を暴いているだけにアカデミー賞を始めとする賞レースからは冷遇されるであろうと思われるが、※1 ‘国家の為では無く、友と共に生き抜こう’とした若者たちのドラマを、イーストウッドは自分で音楽も作り彼らの魂の浄化をしょうとしている様に思え、実に感動的でした。
※1 結果はご存知の通り
(2006年11月20日丸の内プラゼール)
硫黄島(アメリカ側の視点)
巨匠クリント・イーストウッド監督による、硫黄島の戦い”第1作”
太平洋戦争末期の大戦争、硫黄島の戦いについて、
1作目が、父親たちの星条旗。
2作目が、硫黄島からの手紙。
硫黄島からの手紙を観た後、本映画、父親たちの星条旗を観た。
同じ戦争を日本、アメリカの全く異なる視点で描くといったスタンスが良い。
硫黄島からの手紙では、戦力で圧倒的に上回るアメリカ軍に太刀打ちするため、
擂鉢山を始め、地下壕を拠点とした戦略などを描いている。
一方、父親たちの星条旗では、砂浜から上陸を開始するも、
日本軍による銃撃が一向になく不気味な雰囲気を漂よわせる。
そして、想定以上に戦争が長期化し、財力が減少していくアメリカ。
そこで政府に利用されるのが、本映画に登場する兵士たち。
擂鉢山頂上での、国旗の星条旗を掲げる瞬間を捉えた写真を基に、
そこに映る兵士をヒーローに見立て、国債の購入をPRしまわる。
誰も自分が硫黄島の戦いでのヒーローとなどは思っておらず、
にもかかわらず、世間からは過剰な賞賛を得るため、
彼らの心に生じる矛盾には大いに納得させられた。
死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ
映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)から。
「太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを
日米双方の視点から描く映画史上初の2部作」である。
監督の意図からすれば、第1部、第2部の順に鑑賞すべきなのだろうが、
日本人側の視点で描かれた作品「硫黄島からの手紙」を、
先行して観てしまったため、同じ場所、同じ時間で戦っているのに、
こんなに違うのか、と驚くほかなかった。
しかし、最前線で戦う男たちにとっては、どこから相手の攻撃を受け、
いつ死ぬかわからない恐怖が常に充満していて、
個人レベルでは、日本兵も米兵も変わらないことは作品は教えてくれた。
作品のラストで、こんな台詞が流れる。
「英雄とは、人間が必要にかられてつくるものだ。
そうでもしないと、命を犠牲にする行為は理解し難いからだ。
だが、父と戦友たちが危険を冒し、傷を負ったのは仲間のためだ。
国のための戦いでも、死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ」
日米の戦争映画の違いが、この2部作で理解できた気がする。
自国の戦争を正当化し、美化しがちな「ハリウッド映画」の体質に、
横穴を開けたような作品の仕上がりに、敬意を表したい。
誰も幸せにならないのに、どうして世界の国々は戦争をするのだろうか、
そんな疑問が、また私の脳裏を横切ってしまった。
原作もぜひ
マイク役のバリー・ペッパー目当てに観た映画でしたが、かなり良かったです。
実は旗は2番目のモノだった、とか、間違えられてた人がいた、とか初めて知りました。
そして、原作の「硫黄島の星条旗」がかなり良い本です。
私的には原作を読んでから映画を観ることをオススメします。
本の方が写真の中の6人について詳しく書いてあって、彼らのことをより身近に感じられます。
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