「画面に登場しない、よく眠る“もっと”悪い奴に、現代に続く金権政治も想起され…」悪い奴ほどよく眠る KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
画面に登場しない、よく眠る“もっと”悪い奴に、現代に続く金権政治も想起され…
TV放映を機に再鑑賞。
1960年キネマ旬報での第3位選出作品。
市川崑の「おとうと」が第1位のこの年、
小津の「秋日和」、
新藤兼人の「裸の島」、
今村昌平の「豚と軍艦」、
大島渚の「日本の夜と霧」
がベストテン入り。
また、橋本忍は、第2位に選出された
「黒い画集 あるサラリーマンの証言」と、
この「悪い…」で脚本賞を受賞して
いるので、黒澤を含めた5人の脚本家が
名前を連ねるこの作品での中心的な立場で
あったことが想像されたのだが、
ある解説本によると、
実際は久坂栄二郎+黒澤が中心だった
ようなので、キネ旬での橋本忍選出は
「黒い画集…」が主なる選考対象だった
のかも知れない。
さて、
現代映画では台詞での説明を極力廃して、
映像や登場人物の所作で真相を伝え、
場合によっては結論場面を全く省いて
観客にその解釈を委ねる作品も
多いと思うのだが、
この作品のように、徹底して台詞によって
経緯や真相の説明が行われる手法は
分かり易くて良いのだが、
多少の違和感と共に、大変驚かされた。
黒澤映画って、
他の作品でもそうだったのか、
改めて確認したくなった。
この作品で一点疑問に思ったのは、
自殺するつもりでの
巨悪の政治家?に提供された薬物を入れた
お酒を娘に飲ませた副総裁は、
どこまで深くそれを認識して
その行為に及んだのか、
また何故娘は眠っただけで助かったのか、
私には分からなかった。
そして、
全く姿の見せない副総裁の電話の相手が
「“もっと”悪い奴ほどよく眠る」
との構図は、今にも繋がる金権政治と、
加えて、そこに群がる業者の姿は、
弱含みになりつつある現代の日本の国力低下
の源のようでもあり、そんな意味では、
まだまだ現状の日本に警鐘を鳴らすべく
価値のある作品のように思えた。