「「登場人物を壊す」キューブリック節。」ロリータ(1962) すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
「登場人物を壊す」キューブリック節。
◯作品全体
ドロレスの魅力に狂わされ、壊れていくハンバートの描写はさすがのキューブリックだった。
いつから狂った、というようなわけではなくて、ドロレスと過ごす時間が増えていくたびにハンバートの中にあった庇護欲が膨れ上がっていく。出会った頃はお転婆なドロレスを優しく見守るようなハンバートであったのに、気づけばドロレスに諭される側になる。演劇のパーティへ行かずに旅行へ行くことを了承するドロレスはハンバートの保護者のようでもあった。
ただ、ハンバートを狂わすドロレスの魅力、という部分では少し足りないような気もした。
美しい少女、というだけで理由になるのかもしれないけれど、固執するエピソードが少ない分、ハンバートが深みにハマっていく要素が垣間見えなかったというような気がした。少女を描く作品で過激なことができなかったというのもあるだろうけど、二人の関係性が遠回しに語られることが多かったのも物足りなさの一因かもしれない。直接的な、過激な表現をしろというわけではなく、もう少しハンバートの目線を通したドロレスを見たかった。
一方でシャーロットを使って対比的にドロレスの魅力を描いていたのは上手だなと感じた。あどけなさがあるのに掴みどころがなく、自分の手中に収められないような不安定感がドロレスにはある。男としてそれをモノにしたい、と感じさせる距離感にドロレスはいる。シャーロットはファーストシーンからしてハンバートに気があることがわかるような表情や距離感で、あまりにも直接的なラブレターにハンバートは思わず爆笑してしまう。シャーロットが一生懸命並べたロマンチックな文章にあれほど笑うハンバートはちょっと、いや、かなり最低だなと思うけれど、ハンバートが追い求めているものが完全に別のベクトルであることがわかる演出でもあって、印象に残った。
終盤の完全に自分を見失ったハンバートの狂気は恐ろしくもあり、悲しくもあった。
どう足掻いても届かないハンバートの気持ちが、大きければ大きいほど虚しく映る。ハンバートへ好意を寄せるシャーロットの姿も痛々しかったが、ハンバートの迷走っぷりはそれを大きくうわ回る。シャーロットを笑ったハンバートへの意趣返しのようでもあり、中年男性の醜い悲哀の表現でもある。そのどちらの面を取ってみても容赦ないハンバートという登場人物の壊しっぷりだ。
夢のような時間と、それに固執し崩壊する主人公。表現方法に自制はあれど、「登場人物を壊す」キューブリック節を堪能できる作品だった。
○カメラワークとか
・ファーストカットを長回しにしてテロップを映すのはキューブリック作品では『非情の罠』を思い出した。
後になって足にマニキュアを塗っていたのはハンバートで、塗られていたのはドロレスだとわかるけれど、意図としてはハンバートの「ドロレスを自分色に染めたい」という願望と、足を支えることで「自由にさせたくない」という感情を表現しているように感じた。
○その他
・ドロレスがクィルティを好きになった理由が芸術家の雰囲気が他の人間と違ったから、みたいな少女っぽい単純な理由なのがまたハンバートに刺さってそうだなあと感じた。しかも結局捨てられて他の男の子供を作っていて、それをドロレスはそこまでダメージを受けていない。そういうあっさりした感情を突きつけられる激重感情のハンバートへのダメージたるや。
・ラストシーンでクィルティを撃った時に穴が空いた絵画はジョージ・ロムニーという画家の絵なんだとか。Wikipediaを読んでみるとなるほどなあとなって面白かった。