ロリータ(1962)のレビュー・感想・評価
全17件を表示
「登場人物を壊す」キューブリック節。
◯作品全体
ドロレスの魅力に狂わされ、壊れていくハンバートの描写はさすがのキューブリックだった。
いつから狂った、というようなわけではなくて、ドロレスと過ごす時間が増えていくたびにハンバートの中にあった庇護欲が膨れ上がっていく。出会った頃はお転婆なドロレスを優しく見守るようなハンバートであったのに、気づけばドロレスに諭される側になる。演劇のパーティへ行かずに旅行へ行くことを了承するドロレスはハンバートの保護者のようでもあった。
ただ、ハンバートを狂わすドロレスの魅力、という部分では少し足りないような気もした。
美しい少女、というだけで理由になるのかもしれないけれど、固執するエピソードが少ない分、ハンバートが深みにハマっていく要素が垣間見えなかったというような気がした。少女を描く作品で過激なことができなかったというのもあるだろうけど、二人の関係性が遠回しに語られることが多かったのも物足りなさの一因かもしれない。直接的な、過激な表現をしろというわけではなく、もう少しハンバートの目線を通したドロレスを見たかった。
一方でシャーロットを使って対比的にドロレスの魅力を描いていたのは上手だなと感じた。あどけなさがあるのに掴みどころがなく、自分の手中に収められないような不安定感がドロレスにはある。男としてそれをモノにしたい、と感じさせる距離感にドロレスはいる。シャーロットはファーストシーンからしてハンバートに気があることがわかるような表情や距離感で、あまりにも直接的なラブレターにハンバートは思わず爆笑してしまう。シャーロットが一生懸命並べたロマンチックな文章にあれほど笑うハンバートはちょっと、いや、かなり最低だなと思うけれど、ハンバートが追い求めているものが完全に別のベクトルであることがわかる演出でもあって、印象に残った。
終盤の完全に自分を見失ったハンバートの狂気は恐ろしくもあり、悲しくもあった。
どう足掻いても届かないハンバートの気持ちが、大きければ大きいほど虚しく映る。ハンバートへ好意を寄せるシャーロットの姿も痛々しかったが、ハンバートの迷走っぷりはそれを大きくうわ回る。シャーロットを笑ったハンバートへの意趣返しのようでもあり、中年男性の醜い悲哀の表現でもある。そのどちらの面を取ってみても容赦ないハンバートという登場人物の壊しっぷりだ。
夢のような時間と、それに固執し崩壊する主人公。表現方法に自制はあれど、「登場人物を壊す」キューブリック節を堪能できる作品だった。
○カメラワークとか
・ファーストカットを長回しにしてテロップを映すのはキューブリック作品では『非情の罠』を思い出した。
後になって足にマニキュアを塗っていたのはハンバートで、塗られていたのはドロレスだとわかるけれど、意図としてはハンバートの「ドロレスを自分色に染めたい」という願望と、足を支えることで「自由にさせたくない」という感情を表現しているように感じた。
○その他
・ドロレスがクィルティを好きになった理由が芸術家の雰囲気が他の人間と違ったから、みたいな少女っぽい単純な理由なのがまたハンバートに刺さってそうだなあと感じた。しかも結局捨てられて他の男の子供を作っていて、それをドロレスはそこまでダメージを受けていない。そういうあっさりした感情を突きつけられる激重感情のハンバートへのダメージたるや。
・ラストシーンでクィルティを撃った時に穴が空いた絵画はジョージ・ロムニーという画家の絵なんだとか。Wikipediaを読んでみるとなるほどなあとなって面白かった。
泣きながら財産を渡す姿に、何故か男らしさが感じられる
ハンバートが拳銃を持って3年ぶりにロリータと再会した時に、色んな葛藤があったんだろうと思う。
①ロリータを撃って自分も死ぬ。
②ロリータの夫を撃って、ロリータを連れて行く
③財産を渡すことを条件に、ロリータに性暴力を振るう
しかし、ロリータ自身のことを一番大事に想って、泣きながら財産を渡すことを選択する。
ここでバサっと金を置いて、背を向けて手を振りながら颯爽と去るという、カッコ良い終わり方もあると思う。
でも泣きながら、割り切れない思いを無理矢理振り切って、金を渡す姿に真実を感じる。
それに応えるようにロリータもホンネを話す。
「いろいろ勘違いさせて悪かったわ。でも世の中そういうものよ。」
ロリータは小生意気なギャルのようだが、人生設計はしっかりしていて、好きな人と良い人をキッチリ分けていて、結婚相手には良い人を選んでいる。
ハンバートは好きな人どころか、良い人にも入ってなくて、利用される人であるとハッキリ言われた形になっていて、しかもそれが世の中であると諭されたわけである。
昔見た時は、小悪魔的なロリータに振り回されるロリコンおっさんの悲劇の映画だと思ったけど、今見ると普遍的なテーマに見える。
ロリータ的な考え方って割と普通の女性の考え方に近いんじゃないかなと。
この映画を見て、最近話題になった頂き女子りりちゃんが思い浮かんだ。
現在の日本にはロリータを超える女性と1000人以上のハンバートが存在していると。
これはコンプレックスではなく、立派な犯罪、ペド●●●ァ●である。
初見である。
14歳を主人公にした『Angus, Thongs and Perfect Snogging』を昨日見たので、今日はその元祖と思しき『ロリータ』を見た。どちらも薄気味悪い作品だが、この映画の台詞にピーター・セラーズが演じるクィルティ(?)をロリータが『素敵な日本的な東洋的人生哲学を持っていた』と称し、全て彼の計画と打ち明ける場面がある。これは第二次世界大戦後15年が経過して、いよいよ高度経済成長をしだした日本に対する黄禍論なのかと思った。後半部でも実存哲学とか『うんちく』を並べる。さて、そう言った『ゴタク』はいくら並べても、変態オヤジの薄気味悪い『言い訳』でしかない。脚本家が原作者だから、演出家は同じ思考の持ち主と見てよいのだろう。さて、何故変態か?若い年端も行かぬ女性に対する性癖だけが問題なのではない。正に『●親●姦』なのである。それを完全否定する形で描いていれば、容認できる部分もあるが、若い女性に狂わされた教養のある文化人と自称している。つまり、投げかけたい言葉は『read the room』である。客観視すれば、この主人公の魂胆は丸見えなのに、それを演出する演出家は『市民ケーン』の様なミステリアス仕立てにしている。しかし、スキャンダラスなだけで、『筋書き通りに終わってくれた』とトラウマだけが残る話だった。
追記
もう一度立ち返ってよく考えて見よう。『ロリータ』は、いずれこの母親の様な女性になるんだろうね。シェリー、ウィンタースさんが可愛そうだ。
初見で良かった。
ロリコンの由来
観ている間ずっとゾワゾワした。
原作は読んだことがないが映画のストーリーにはあっという運びもあった。
大人と子供の端境期にあるロリータという名の娘。子供のように純真な部分がある一方で大人の女性のように冷たい恋の駆け引きもする、いわば天然のファム・ファタル。
原作では12歳のところ映画では14歳に引き上げているそうだが、それでも発達的にも思春期であり、自立心が芽生えるがまだまだ大人の保護を必要とする年齢で、その年頃の子供と性的な関係を匂わせるだけでも犯罪になる。
なのに、彼女の水着姿に一瞬で心を奪われてしまった大学教授。彼が彼女に人生を翻弄される形で墜ちていく様子が見事に描写されている。
結局、頭の中で彼女を勝手に無垢な少女として理想化し、そのままずっと自分の手元に置いておきたいという欲望を抑えきれなくなった教授の自業自得ということだ。
見る順番に秘密が
奇跡的に冒頭のシーンを見逃してしまい、10分程度経過頃の「その4年前」のシーンから視聴。
見終わった感想として、なんかカメラワークがキューブリックらしくない映画だったなぁ。そういえば冒頭はどんな展開だったんだろう?と見返してみたら!??んっ??なんかさっき見たぞ??天才キューブリックのアイデアがこんなところに隠されていたなんて…。凄く面白い見方が出来た。
ハンバート、キッショ!
アメリカは若い。明るすぎる土地。甘いお菓子のような匂いのするロリータに魂を奪われたハンバートの異常性が噴出するにはふさわしい土地だ。
男性に巣くうおぞまししい欲望というものが、当時のハリウッド界には当たり前のようにまかり通っていたのではないか。キューブリックによる秘密の暴露のようだった。
ハンバートは生活の面倒をみる代わりに性的欲望と支配欲を満たそうとする。それを愛と勘違いする身勝手さ。
ピーターセラーズは自らの才能と立場によって夢を与え、そそのかし、商業目的に利用しようとする。
どちらも女性を一人の人間として見ていない。
「老いたロシア」の文豪ナボコフの皮肉に、キューブリックは「若いアメリカ」らしく悪質なユーモアで応えた。
追悼スー・リオン
原作も途中までしか読んでないし、1997年版の映画も録画したまま未見。Mプラスのジャッジ・ザ・ムービーでは当然のごとくオリジナルが勝ってしまう。キューブリック作品、白黒映像、ナボコフ自身の脚本とあらば、観るしかない。ということで鑑賞。
冒頭から決闘シーン。しかもピンポン対決というわけのわからないシーンだ。これはキューブリックの素晴らしさなのだろう。4年前に戻ってストーリーがスタートするが、どことなくコミカルな部分が多い。音楽にしても明るいポップスばかりで、オヤジが少女に恋心を抱くような雰囲気とはちょっとずれているような気がする。シャーロットが死んだときも、ポップスが流れ、心理状態を推し量ることができない。母親の死の事実をしばらくを隠し、車の中で告げるシーンもシリアスさが感じられず、一体どういうことになるのか心配にもなってしまいます。
やはり、ハンバートが過保護になり、ロリータを他の男から遠ざけようと嫉妬心の権化となる雰囲気は良かった。原作ではもっと寛容さもあったと思ったけど、そこは原作と映画、2度楽しめるようにアレンジしてあるのだろう。
ピーター・セラーズが出演していることは、コメディ色を持たせたかったのか、劇作家をリアルに描きたかったのか・・・
検閲意識で「純愛」になっちゃったかも
今 見ると大したことないのだが 当時(1962年)は
アメリカの検閲が厳しく、イギリスで撮影、ロリータに絡む二人の男も イギリス人俳優を起用している
ジェームス・メイソン、ピーター・セラーズ、シェリー・ウィンタースらの演技を、面白く見た
私は 屈折したインテリを演じさせたら、ピカイチの メイソンが好きである
明暗があり、セクシーだと思う
駄目男を演じても 許してしまう(笑)
セラーズは 後の活躍(博士の異常な愛情 等)の下地が見て取れる 劇作家の喋り方は、ウッディ・アレンにそっくりで、アレンは この天才の演技を 真似したのだろうか?
ウィンタースは 今回は、そのポッチャリが 無神経を連想させるような未亡人を好演している
ロリータやハンバートの嫌悪が わかるウザさである
(なんとなく、幸薄い役柄の多い人だが、やっぱり死んだ… )
ロリータの スー・リオンは ボーイッシュで、魔性は感じない
製作側が かなり神経を使っていたのが、わかる
なのでエロティシズムはない
キューブリックと大人三人の俳優が、ともすれば
ヤバくなりそうな話を、頑張って
やや、コメディタッチで まとめている
最後は ロリータが、孕み オバサン化してしまう
(ハンバート、ショック!)
ハンバートが 怒りで劇作家を殺してしまうのは、
騙されて奪われた恨みと ロリータがオバサン化した怒りだろうか?
少女の輝きも それに眩惑される歳月も、
意外に 儚いものである
わりと 面白かった
原作の持ち味からは、離れてしまったかもしれないが…
キューブリック監督作品。美少女に向けられた中年男の異常な執着を愛と...
キューブリック監督作品。美少女に向けられた中年男の異常な執着を愛という名で描かれている。ロリータに翻弄されていく男の情けない様子が憐れだった。
ロリコン親父に成り下がった男の切ない末路
ペディキュアを塗る足のアップから始まる。小説家ハンバートがおしゃべりなテレビ脚本家クィルティを探しだし射殺する。庭で水着で横たわるロリータ(当時14歳)が印象的だが妖艶な説得力があるかと言われると…。妻を殺してしまおうか悩んでると死亡してしまう。ホテルでの朝、補助ベッドで寝るハンと娘ロリータの幸せな会話。ロリータ「ずいぶん騙したけど、物事ってそんなものよ」。クィルティを射殺したハンバート自信は冠状血栓で病死。
意外とコメディ映画!?
今もう一度、撮るならロー役はE・ファニングがハマるだろうなぁ。
全体的に笑える滑稽な描写が多く難しい印象や悲観的になるイメージが?最後までスッキリ楽しめる。
最初から最後まで自由奔放なロリータに好んで人生を狂わせられる教授先生が再会してヨリを戻そうと涙を流したりで情けないケド父親が娘にしてあげるコトを最後はシッカリ成し遂げて。
まぁ、教授先生の本望では無いのだけれどロリータの一人勝ち!?
親子のような恋人のような
年端もいかない娘が好きで好きでたまらない主人公を視点に物語が進んでいく。アブない映画だと思ってみたらほんとに危なかった。
冒頭で酒瓶だらけになった家を、足元を気にせずぼうっと歩いていた意味がだんだんわかっていく構成が気持ちいい。
あとホテルでホテルマンの黒人と補助ベッドをそぉっと設置するシーンはずっと笑える。
終盤、息苦しいような何とも言えないやりきれなさを感じる。あそこでロリータを(殺意を持ったかもしれないが)撃たなかったことが唯一の救いであり、ハンバートは最後まで彼女への愛を突き通したことになる。去り際もいいね。
娘を持つ世の男親には、きっとこの過保護な主人公の背中の気持ちがわかるはず。
ああ、なにかが目覚めそうでいやだ。
わたしはロリコンではありません。
全17件を表示